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2020年11月 Archive
三島由紀夫が憎んだ戦後日本の偽善
『月刊日本』2020年12月号 酒井信彦の偽善主義を斬る 2020年11月22日
三島由紀夫が自決してから50年になる。彼の発言としてよく知られているのは、昭和45年7月7日のサンケイ新聞夕刊に掲載された、「果たし得ていない約束―私の中の二十五年」の末尾の部分である。
それは「私はこれからの日本に大して希望をつなぐことができない。このまま行ったら『日本』はなくなってしまうのではないかという感を日ましに深くする。日本はなくなって、その代わりに、無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、或る経済的大国が極東の一角に残るのであろう。それでもいいと思っている人たちと、私は口をきく気にもなれなくなっているのである」とあった。
ただし今の日本は経済大国ですらない。アメリカによって、日本経済はたたきつぶされ 、何万もの自殺者を生み出し、この二十数年にわたって経済成長していない。
しかし私が三島の発言とし重要だと考えるには、同じ文章の冒頭の部分であり、それは以下のように発言されている。
「私の中の二十五年間を考えると、その空虚さに今さらびっくりする。私はほとんど『生きた』とはいえない。鼻をつまみながら通りすぎたのだ。二十五年前に私が憎んだものは、多少形を変えはしたが、今もあいかわらずしぶとく生き永らえている。生き永らえているどころか、おどろくべき繁殖力で日本中に完全に浸透してしまった。それは戦後民主主義とそこから生ずる偽善というバチルスである。
こんな偽善と詐術は、アメリカの占領と共に終わるだろう、と考えていた私はずいぶん甘かった。おどろくべきことには、日本人は自ら進んで、それを自分の体質とすることを選んだのである。政治も、経済も、社会も、文化すら」。
すなわちここで三島が強調しているのは、戦後日本を徹底的にダメにしたのは、「偽善」であることである。この「偽善」こそ、三島の怒りを理解するための、キーワードである。
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