Home > 過去論文集 > 御皇室関係 Archive

御皇室関係 Archive

戦国時代の朝廷 朝廷の「式微(しきび)」は真実か

酒井信彦(元東京大学史料編纂所教授) 『日本及び日本人』1643号から 平成14年(2002年1月)

一、はじめに

天皇、皇后両陛下が参列して行われた「歌会始の儀」=宮殿・松の間(平成26年1月15日)、室町における宮中歌会始は今に至るまで連綿と続いている。今年のお題は「静」だった。本稿「四、皇室・朝廷の歴史における戦国期の意味」参照

御製
慰霊碑の先に広がる水俣の海青くして静かなりけり

皇后陛下御歌
み遷(うつ)りの近き宮居に仕ふると瞳静かに娘(こ)は言ひて発つ

朝廷の研究はその重要性にもかかわらず、日本史の研究の中では戦前・戦後を通じて、比較的遅れている分野であると言わざるを得ない。その理由として考えられるのは、戦前の場合は、皇室尊崇の立場から、客観的に研究することを惧れ多いと憚る雰囲気があったこと、戦後の場合は全く反対に、左翼史観の影響で、反動的対象を研究すること自体が反動的だと決めつける空気が存在したからであろう。(ただし近年左翼史観の凋落に伴って、タブー視も漸く薄れてきた傾向はある。)さらにそれだけではなく、戦前・戦後を通じて、朝廷の研究が低調だった理由として、権力中心史観が考えられる。すなわち権力なき存在は重要な存在ではなく、従って研究に値しないという発想である。つまり古代律令時代はともかく、権力を失った中世以後の朝廷の研究は、重要性がないと判断するのである。しかしこのような史観は、とりわけ朝廷の研究において、全く不適切だと私は思う。朝廷の存在の意味は、権力喪失の状況にこそ却って明瞭に現れていると考えるからである。そこで本稿では、一般に朝廷が最も衰微したとされる戦国時代の朝廷を取り上げ、以上の点を具体的に説明することにしたい。

 

続きを読む

  • Comments (Close): 0
  • TrackBack (Close): 0

「女系天皇こそ日本文明に適う」に対する批判に答える

『國民新聞』 平成19年2月10日

 私が「諸君!」10月号に書いた論文(講演録)「女系天皇こそ日本文明に適う」に対して、いろいろご批判を戴いている。本紙にも深澤成壽・花見赫両氏のものが掲載された。

 従来私が書いてきた文章については、賛成であれ反対であれ殆ど反響が無いのが常であった。薦める人もあったので、この際、両氏に対する多少の反論と、私の考え方のベースになっている日本の現状及び将来に関する見解を述べておきたい。

続きを読む

  • Comments (Close): 0
  • TrackBack (Close): 0

男系天皇絶対論の危険性―女系容認こそ日本文明だ―

『諸君』平成十八年十月号

はじめに
 二月七日、秋篠宮妃殿下の御懐妊が発表され、皇室典範の改正問題は先送りされることになりました。同妃殿下の御懐妊について、一般には驚きを以て迎えられているようですが、私は正直に申し上げて全く驚きませんでした。それは眞子内親王・佳子内親王お二人以後、お子様がお出来にならない事こそ、異常であり不自然だと感じていたからです。したがって至極当然のことが漸く生起したと受け止めている次第です。但しまもなくお生まれになる予定の第三子の方が男子であっても、根本的状況にそれほど変わりは無い訳ですから、いずれ皇室典範改正問題は浮上せざるを得ません。その際なるべく正確且つ多様な議論が、判断の材料として提供されるべきだと考えますので、東京大学史料編纂所につとめ、日本の朝廷の歴史を研究対象とし、現代の皇室についても発言したことのある者として、この問題に関する私なりの見解を述べさせていただきたいと思います。

続きを読む

  • Comments (Close): 0
  • TrackBack (Close): 0

戦国時代の朝廷 朝廷の「式微」は真実か

『日本及び日本人』1643号 平成14年(2002)1月

1、 はじめに
  朝廷の研究はその重要性にもかかわらず、日本史の研究の中では戦前・戦後を通じて、比較的遅れている分野であるといわざるを得ない。その理由として考えられるのは、戦前の場合は、皇室尊崇の立場から、客観的に研究することを惧れ多いと憚る雰囲気があったこと、戦後の場合は全く反対に、左翼史観の影響で、反動的対象を研究すること自体が反動的だと決めつける空気が存在したからであろう。(ただし近年左翼史観の凋落に伴って、タブー視も漸薄れてきた傾向はある。)さらにそれだけではなく、戦前・戦後を通じて、朝廷研究が低調であった理由として、権力中心史観が考えられる。すなわち権力なき存在は重要な存在ではなく、従って研究するに値しないという発想である。つまり古代律令時代はともかく、権力を失った中世以後の朝廷の研究は、重要性がないと判断するのである。しかしこのような史観は、とりわけ朝廷の研究において、全く不適切だと私は思う。朝廷の存在の意味は、権力喪失の状況にこそ却明瞭に現れていると考えるからである。そこで本稿では、一般に朝廷が最も衰微したとされる戦国時代の朝廷を取り上げ、以上の点を具体的に説明することにしたい。

続きを読む

  • Comments (Close): 0
  • TrackBack (Close): 0

皇室の言論責任を問う

【「開かれた皇室」論が招いた日本の危機的状況を憂う】
『ヴォイス』平成5年(1993年)8月号

【売れっ子脚本家の貧寒な皇室像】
六月九日、皇太子殿下のご成婚が行われた。私自身、皇室問題の専門家では全くないが、日ごろ皇室のあり方に関心を抱いている者の一人として、現在の皇室および皇室の論じられ方について感じている疑問を、この機会に率直に述べさせていただきたいと思います。
まず今回のご成婚の際のマスコミ報道の問題から始めよう。新聞・放送・出版などのマスコミ・メディアにおいてじつに大量の情報が生産・流通させられた。一口でいえば情報のバブル現象であって、マスコミ産業ではバブルは全く崩壊していない。その見本が御成婚の当日の主要各紙朝刊に付けられた別刷り特集であり、元日のそれと同じく、広告と写真ばかりが目立つ内容の乏しいものであった。当日の社説では、『毎日』が分量も多く力を入れて「開かれた皇室」論を展開していた。一方、平成元年一月八日、「新天皇への私たちの期待」と題する社説で開かれた皇室論を謳い上げた朝日は、今回は制裁を欠いていた。産経そして日経の社説には、開かれ過ぎに対する危惧の念が表明されていたのが注目された。

続きを読む

  • Comments (Close): 0
  • TrackBack (Close): 0

慶事のお振る舞いはこれでよいのか 皇太子殿下に諫言する

<開かれた皇室のもと、男女の私事の公開を執拗に迫る質問に、なぜ、律儀にお答えになったのか?>

『諸君』平成5年(1993)4月号
【衰微から形成した皇室の原型】

 今年の年が明けると間もなく正月六日の日に、皇太子妃が事実上決定したとの報道がなされた。そして十九日、皇室会議が開催されて正式な決定がなされ、同日皇太子殿下・小和田雅子嬢ご両人の記者会見がもたれて、その一問一答がマスコミによって詳しく報道された。この皇太子決定に対する各界の反応が、皇室の慶事であることからして、これを祝福するものが殆どであったのは、けだし当然である。しかし私個人としては率直なところ、この記者会見に関して多々釈然としないものを感ぜざるを得なかった。そこで本稿では、私なりに皇室の歴史を振り返り、その上で皇太子妃決定後の記者会見に示された皇室の現状に対して、忌憚のない感想を述べさせていただきたいと思う。

続きを読む

  • Comments (Close): 0
  • TrackBack (Close): 0

Index of all entries

Home > 過去論文集 > 御皇室関係 Archive

検索
Nationalism_botをフォローしましょう

Twitterをお楽しみの方は、
Followしてください。

リンク集
フィード購読リンク
QRコード
 
QR_Code.jpg

このブログを携帯でご覧になれます

ページのトップに戻る