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皇室の言論責任を問う

【「開かれた皇室」論が招いた日本の危機的状況を憂う】
『ヴォイス』平成5年(1993年)8月号

【売れっ子脚本家の貧寒な皇室像】
六月九日、皇太子殿下のご成婚が行われた。私自身、皇室問題の専門家では全くないが、日ごろ皇室のあり方に関心を抱いている者の一人として、現在の皇室および皇室の論じられ方について感じている疑問を、この機会に率直に述べさせていただきたいと思います。
まず今回のご成婚の際のマスコミ報道の問題から始めよう。新聞・放送・出版などのマスコミ・メディアにおいてじつに大量の情報が生産・流通させられた。一口でいえば情報のバブル現象であって、マスコミ産業ではバブルは全く崩壊していない。その見本が御成婚の当日の主要各紙朝刊に付けられた別刷り特集であり、元日のそれと同じく、広告と写真ばかりが目立つ内容の乏しいものであった。当日の社説では、『毎日』が分量も多く力を入れて「開かれた皇室」論を展開していた。一方、平成元年一月八日、「新天皇への私たちの期待」と題する社説で開かれた皇室論を謳い上げた朝日は、今回は制裁を欠いていた。産経そして日経の社説には、開かれ過ぎに対する危惧の念が表明されていたのが注目された。

御成婚以前に出たその週の新聞社系週刊誌では、『週間新潮』(六月十八日号)の張り切り振りが目に付いた。雅子妃殿下表紙の下の右には、大きく「祝ご結婚皇太子さま雅子さま」と題し、もう一つの週刊誌『アエラ』(六月十五日号)は、皇太子殿下の表紙のもと「プリンスの結婚」なる大特集を行った。以上の朝日の報道姿勢をまとめて考えると、自ら主導したキャンペーンの成果として、開かれた皇室に相応しいカップルの誕生を慶祝する、という構図が浮かんでくる。
では朝日は、この上に皇室に何を求めるのか。それを示しているのが、『週刊朝日』のメーン記事、橋田壽賀子・渡辺みどりのお二人による対談である。その興味深い部分を少し紹介してみよう。
「橋田 皇太子さまと雅子さまには、月に一度、トークの日みたいに国民にお話ししていただきたいです。このまえこういうことで夫婦喧嘩して、こう解決したとか、育児のことでも何でも。そうすると、うちも喧嘩したな、ああいう解決があるのかと国民は思えますよね」「橋田 神秘のベールに包んでおきたいのかしら。だとしたら宮内庁は、皇室が何のためにあるのか分かっていないと思う。ロイヤルファミリーといっても、私たち人間と違わないのにねえと、そういうことを国民が思うことに意義があると思う。それでたくさんの人が励まされたり、安らいだりできる。そういう存在だと思います」
断るまでもないが、橋田さんは週刊誌の対談だからといって、べつにふざけているわけではない。御成婚当日の朝日の別刷り特集第一面には、橋田さんは同趣旨のことを、「身近な皇室を御二人の手で」と題する文章でも述べている。開かれた皇室論に立脚する皇室解放要求は、際限なくこのようにエスカレートするのである。橋田さんは、皇室が一般人と同じことをやっていれば「それでたくさんの人が励まされたり安らいだりできる」というのだから、皇室の動静をテレビ・ドラマで見るように、娯楽として楽しむべきだと主張しているわけである。まことに売れっ子脚本家らしい意見である。しかし、この橋田さんの考えの何と貧困であることか。このような娯楽の対象なら、日本で唯一の皇室に求めなくとも、他にいくらでも存在するのではないか。それよりなにより、皇室が一般人と同じことをやっていれば、皇室もただの人になってしまうのは自明の理である。しかもこのような皇室理解は、朝日そのものの考えであることは、橋田さんの文章が別刷り特集の巻頭に掲げられた事実により証明される。

【河原敏明氏の浅薄な勧善懲悪ドラマ】
ではここで開かれた皇室論そのものに立ち戻って、その考えたかの構造を検討してみよう。開かれた皇室論の普及に功績があったのは、新聞社では朝日、出版社では講談社であろう。講談社は著名な「皇室ジャーナリスト」河原敏明氏の一連の著作を出版している。それらには『美智子妃』(昭和六十二年・文庫判平成三年)、『美智子さまと皇族達』(平成四年)、『皇太子妃雅子様』(平成五年)、『昭和と平成の皇太子妃』(文庫オリジナル平成五年)などがある。

河原氏の一連の著作を通読してみるとすぐわかることだが、同一事項の繰り返しがじつに多い。これは河原氏の手法といえばそれまでだが、どの本を読んでいるのか分からなくなるほどである。これらのなかでは第一作の『美智子妃』がいちばん丁寧につくられているし、文庫本もあるから、河原氏の皇室論を直接読んでみたい方は、この本を読まれるのがよいだろう。同氏の皇室論がなぜ重要かといえば、その影響力の大きさによる。最近の新聞広告によれば、『美智子妃』が三十八万分部、『美智子さまと皇族たち』が二十三万部、それぞれ突破とある。これどれくらい正確な数字か、私には分からないが、類書の中ではぬきんでたものであろう。したがって今日の通俗的皇室観、すなわち大衆ジャーナルズムに出現する皇室観は、河原氏の皇室論と同質のものと考えて間違いない。またそれは河原氏が最近作『昭和と平成の皇太子妃』のなかで、近年の皇室ブームについて、「そのブームを醸成させたのが女性週刊誌とテレビのワイドショウだろう。ともに"功罪"はあろうが、皇室を国民大衆、とくに女性層に深く刻み付け、より親しみと愛着を持たせた功績は甚大といえよう」(169頁)と述べていることからも明らかである。
 では河原氏の皇室論はどのようなものであろうか。まずその署名から分かるように、現・美智子皇后を主人公に据えていることである。現在の皇族はもちろん旧皇族について述べる場合でも、その観点で述べられる。つぎに美智子皇后が皇室に入られてからの歴史は、旧皇族・華族出身でないことを根拠とする、美智子皇后に対する旧勢力(その中核は東宮女官長など三人の女性)による迫害の歴史として説明される。しかし美智子皇后はそれを耐え凌がれ、現在は皇室の改革に邁進されている。そしてその改革とは、皇室をより開かれたものにすることである。すなわち開かれた皇室は、皇室御自身が追及されている課題であり、それは内にあっては国民との接触を密にすることであり、外にあっては皇室外交を積極的に展開することである。ただしこの改革にも宮内庁・警察などの守旧派が頑強な抵抗を試みる。以上が、河原氏の描き上げる皇室像の大要である。
 河原氏の皇室論読んで気づくのは、まずその人間像の浅薄さである。単純極まる善玉・悪玉論的人間観である。たしかに皇室内部においても精神の軋轢はあったであろう。かつての宮中や大奥のような閉鎖社会では、つねにそのような問題が存在したように。しかし人間の善悪はそう簡単に割り切れるものではない。にもかかわらず河原氏は、美智子皇后と対立する人間を悪者視し、それは皇太后陛下まで及ぶ。また河原氏の考え方は、まことに安直な進歩主義に彩られている。それはあたかも戦後流行した、何でも「封建的」として退ける風潮を想起させるものである。ここにおいて、宮内庁などの反動派は、改革を阻止するものとして徹底的に罵倒される。
 すなわち橋田さんが求める皇室像がホームドラマだとしたら、河原氏が描く皇室像は勧善懲悪ドラマだとだと考えて間違いない。極めて安手の人間観と進歩主義に基づいた河原氏の皇室論は、巨大出版資本の力によって今日大量に百万部も流通させられているのであり、これは紛れもなく日本の恥、日本の不幸である。

【日本にはテロリストが存在する】
では以下に、現代皇室の具体的問題として、開かれた皇室論のなかでも取り上げられることの多い、皇室に対する警察の警備問題を見ていくことにしよう。河原氏はその著作のなかで、繰り返し繰り返し警察の皇室警備のあり方を糾弾して止まない。たとえば最新作『昭和と平成の皇太子妃』の末尾近くでつぎのように記す。
「戦後天皇の地位が『国民統合の象徴』とされたのは、天皇家本来の姿に戻った、との認識から今上天皇、美智子皇后は現在の象徴天皇制を守り抜く決意である。この姿勢を貫き尊厳性を押さえて国民との、触れあいをはかることを、国民は等しく願っているはずだ。それには外出をグッと自由にかつ気軽になさることである。一般国民との親しみを深め、"下情にも通じ"ていただくことはご本人のためにも国のためにもよいことだ。それには警察を、より親しめるものにする。長い交通止めや人々をにらめつけるような警官の人垣など、特別のケースを除いてはヨーロッパの王国では見られぬ現象である」(177頁)
 つまり警備が厳しすぎるから、皇室の方々は一般国民と近づけない。そのために皇室をよくすることができないというのである。この考え方がエスカレートすると、次のような主張になる。「物々しい警備配置と交通止め、時代的な随員たちの数が、反抗心をあおるのである」(既述の、日光駅頭での美智子妃への暴行事件も、そんな警備に触発された、刹那的行為であった)(『美智子妃』306頁、ページ数は文庫判、以下同じ)として、警備するから事件が起こるのだとまで極言するのである。
ただしこの警備問題については、河原氏だけが問題にするだけでなく、皇室自身が主体的・積極的に関与されようとしていることは、十分に注意すべきである。皇太子殿下の発言については、『美智子妃』に次のように述べている。 「こうして二年四ヶ月の留学を終え、米国経由で十月三十日帰国したが、記者会見では大胆率直な発言をして全国民を喝采させた。『英国皇室の警備を見て感じるが、日本の警備は過剰との印象を受ける。人数が多く、しかも目立ちすぎる。米国での印象も、警備ぶりはスマートでプロだなあと思った。警備は国民と皇室を隔てるものであってはいけない。ただ日本と英国の環境や国民感情の相違があり、そこは考慮すべきですが』。こうした率直な発言は皇族として前例がなく英国で新しい皇室像を体得した現れだった。二年間の留学が実りあるものだったことに、国民は大いに満足した。」(270頁)
 この御発言は今から八年前、昭和六十年十一月五日の記者会見の際のものである。そして同月十五日、当時の皇太子御夫妻が上野の日本学士院に行かれたとき、赤信号で停車する方式がとられたことが、新聞に報じられた。警備関係者は、この処置は先の御発言とは無関係だと述べたとのことだが、無関係ということはありえないだろう。
 皇太子殿下の警備についての御発言、並びに赤信号停車の問題については、私自身の意見があるが、それは後に述べさせていただくとして、ここではまず河原氏の警備論そのものについて、その内容をさらに検討しておきたい。日本人はよく外国、特に欧米と比較して遅れている日本、改善すべき日本という発想でものをいうのが常だが、河原氏もその手法を積極的に用いる。「外国の王室に照らしてみよう。イギリスのスコットランドの田舎道をヒッチハイクしていた西ドイツの青年が、通りかかった車に親指を立てると女性一人が運転する車が停まり、乗せてくれた。しばらくして今で気軽に話を交わしていたその女性が、エリザベス女王であることを知って仰天した、という実話がある。ノルウェーのオラフ国王にしてもよく王宮前につづく商店街や周辺を一人のSPだけで散歩する。昔は切符を買って市電に乗り、映画館にも入ったものだが、『四百万人の国民が私を守ってくれるから、護衛はいらないよ』と単身のときが多いそうだ。オランダのユリアナ女王(現皇太后)が一時、自転車を駆って孫を訪ねたし、デンマークのマルガレーテ女王の自転車散歩も有名だ」(『美智子妃』307頁)とヨーロッパの事例を賞賛する。では、日本とヨーロッパの警備のあり方が違うのはどうしてなのか。そこには日本の皇室とヨーロッパの王室との伝統の相違が存在しているかも知れない。現実的には社会状況の違いが根本であろう。ならばその社会状況の違いは何かといえば、じつに簡単なことで、王室を直接の標的とするテロリストが存在するか否かの問題である。もちろん日本には明らかに存在する。しかし河原氏は、頻りに後逸問題を論じながら、この根本問題についてはほとんど触れようとしない。言及するとすれば、次のような場合に限られる。昭和五十七年七月、現在の天皇皇后両陛下が沖縄を訪問されたが、このときひめゆりの塔で火炎瓶を投げつけられる事件が発生した。これを河原氏は、このテロ事件が起こったために、かえって皇室と沖縄県民とのいだの紐帯が深まったと評価するのである。また次のような記述すらある。
「昭和天皇の崩御により、国民は等しく哀悼の念に浸りながらも一つの不安を隠せなかった。一部の過激派が皇位の交代に合わせ不穏な言辞を弄していたからである。ところが幸いにも、それは杞憂に終わった。全てが平穏裡に進められたのは、新しい両陛下への国民の期待を示すものだった。過激派はその現実に対して、手も足も出せなかったのではなかろうか」(『美智子皇后』三二二頁)
 ここに述べられていることは正しいかといえば、じつは明らかに間違っている。これは平成元年の一月から二月の状況であるが、事実に基づいて当時を振り返ってみれば、次のようになる。二月四日午前四時ごろ、東京都渋谷区神宮前の東郷神社で時限爆弾が破裂し、本殿と社務所に損害を与え、本殿裏の茶室も放火された。同月五日、革労協のナンバー2の人物が逮捕された。同派は大喪の礼に向けて、「新型翼付き弾」を準備中だった。そして大喪礼当日には、多摩御陵への経路である中央道深大寺付近で、午後二時頃地雷型爆弾が爆発して土手が崩された。すなわち「全てが平穏裡に進められた」わけではないし、極左テロリストは「手も足も出せなかった」のでもない。その翌年平成二年の秋、新天皇の皇位継承儀式である即位礼、・大嘗祭が行われた十一月には、いったい何が起こったのか。このときこそ凶悪なゲリラ事件が続発したのである。以下に重要なものだけでも思い出しておこう。十一月一日夜、東京都新宿区北新宿の警視庁寮「清和寮」で爆発があり、警察官一人が殺され、警察官・寮職員など五人が重軽傷を負わされた。爆発は二回あり、一回目の爆発で人を引きつけておいて、二回目の爆発で殺傷するという、卑劣極まりない手口であった。殺されたのは新宿署の青木紘巡査長(四十八才)で、あとには奥さんと二人の娘さんが残された。また翌二日の深夜には世田谷区下馬の警視庁独身寮「誠和寮」でも消火器爆弾が爆発した。
 即位礼当日の十二日には、中央区佃など都内の四カ所から迫撃弾が発射された。現実には届かなかったが、その標的は「皇居」そのものであったことが、調査によって判明した。そしてこの十二日には、全国で同時多発ゲリラ事件が起こされ、自衛隊施設・寺社などが攻撃された。その件数は全国で三十九件、都内で三十三件に及んでいる。
 大嘗祭が行われた二十三日から二十四日にかけても、ゲリラ事件が多発した。JRの無人駅など三カ所と、大宮・牛久・大月市で神社が放火された。さらに京都の桂離宮では、桂川の河原から迫撃弾数発が発射され敷地内に四個が着弾、二個が爆発炎上したが、幸い建物に被害はなかった。桂離宮といえば数多くあるわが国の文化財でも超一級の、世界的に見ても掛け替えのない人類の財産であるが、それを皇室施設という理由で焼き討ちしようとしたのである。
 二十六日は、天皇皇后両陛下が即位礼・大嘗祭を終えられて、伊勢神宮に向かわれる日であった。同日早朝、横浜市港北区の新横浜駅付近線路脇コンクリートの側壁に仕掛けられた爆弾が爆発したため、新幹線上下二十六本が運休、七十八本が遅れて、十四万人の乗客が迷惑を被った。この爆発力は、半径五十メートルにわたって大きなコンクリート塊飛び散るほど強力で、大惨事を引き起こしかねないものだった。

【警察官への思い遣りを欠くご発言】
これら一連の事件は、いまからわずか二年半前に起きた事件であるのに、日本人のほとんどはまったく忘れてしまっている。しかし朝日新聞阪神支局襲撃事件(いまから六年前、昭和六十二年五月三日)が憎むべきテロであるのなら、清和寮爆破事件も憎むべきテロである。
 もちろんそれ以後もテロ事件は続いている。今年の春、天皇皇后両陛下の沖縄ご訪問のときには、仁和寺・三千院など京都の六ヶ所の寺社が放火された。これも皇室に縁の深い寺社という理由による犯行であった。そして今回の御成婚にあたっては、取り持ち役の元外交官と宮内庁幹部の家が狙われ、田園調布署に迫撃弾が撃ち込まれたが、それはもう忘れられているのだろうか。すなわちヨーロッパとくに北欧と我が国とでは、王室を巡る治安の状況が完全に相違しているのである。その相違をまったく無視して、日本の警備を過剰警備と罵倒し続ける河原氏の警備論は異様というしかない。河原氏はつねに、過剰警備が皇室と国民とを離間させるだけでなく、反皇室感情を醸成するというのだが、では今回の御成婚において警備に起因して反皇室感情はどこでどのように発展したのか。結局、河原氏の警備観は、朝日新聞社会部の警備観とよく似ていることは、まことに興味深い。
 だは先にふれた、皇太子殿下が英国留学から帰国直後の記者会見で行われた、皇室警備にかんする御発言について考えてみよう。河原氏は「全国民が喝采し満足した」と記したが、私はまったくそんな気持ちになれない。「すぐに宮内庁と皇宮警察からクレームがつけられた」(『昭和と平成の皇太子妃』一七八頁)というが、当然のことである。殿下はこの会見で、「『(皇室と警察が)お互いにそれぞれの立場を理解し、話し合って解決することに尽きると思う』」(朝日新聞・昭和六〇年十一月六日朝刊)とも述べられているようだが、それならば内部的に話し合われて、然るべき処置を取られればよろしいのである。公然と外部に公表すべきことではない。そのような態度は、明らかに警備そのものを軽んずることに通じる。同様の御発言は本年にもあった。御誕生日の会見で、昨年の秋、警備を全くつけずに外出されたことを認められたのである。如何なる理由にせよ、無警備の外出など論外であり、万やむ得なかったとしても、御自身で得々と、「前代未聞」などと公表されるべきことではない。
 では、警備を軽んずる御発言はなぜよろしくないのか。それは警備を軽んずることは、警備を担当する人間を軽んずることだからである。警備の立案は幹部がやるとしても、現場の警備を担当するのは末端の警察官であって、命じられた任務を黙々と務めている。彼らは汗を流すだけではない。場合によっては青木紘巡査長のように、命を捧げなければならない。「過剰警備」の御発言は、警察官への思い遣りを甚だしく欠いておられる。
 皇族の、とくにその中心的方々の発言は、いったん口から出たら、それ以後繰り返し繰り返し、徹底的に利用される。現に河原氏はその多くの著作のなかで、必ずといってようほど皇太子殿下の御発言を取り上げ、警備の過剰を非難・糾弾するのが常である。今回の御成婚の際、私がたまたま見たテレビでも、キャスターともタレントともつかぬ人々が警備に悪口をいい、そのとき殿下の御発言に言及していたし、六月十六日の朝日新聞投書欄でも、二十五才の女性がおなじことをいっていた。
 皇太子殿下は留学帰国後の記者会見で、「日本の皇室もこれから先、国民のなかに入っていく姿勢が必要。それはいろいろな場を通じていろいろな人々に接したい」とおっしゃった。そのために警備が厳重すぎるというので、「過剰警備」の御発言になったのだが、ほんとうにそうだろうか。皇室と国民のあるべき関係がそのようなものだと、私には思われない。平成以後、警備にも偏向が加えられ、赤信号でストップすることはもちろん、沿道に参列者がいれば、両陛下は必ず窓を開けて手を振られるとのことである。しかし私個人の見解を述べれば、国民は皇室に対してこんなサービスを求めていない。また赤信号での停車の国民に迷惑をかけるまいとの、ありがたいご配慮とも思わないのである。
 もちろん警備の簡素化が考えられて、悪いわけではない。日本人的の細かさでやっているうちに、次第にエスカレートする面も、ないわけではないだろう。ただしその場合でも、それは基本的に経費の節約、すなわち税金の節約の観点から考慮されるべきである。その意味で私がもっとも理解できないのが、赤信号でのストップということである。まったくの素人でもわかることだが、赤信号で停車すれば、それだけ攻撃のチャンスが増加するのだから、かえって警備を厳重にしなければならないのではないか。

【一般人とは異なる甚大な社会的影響力】
 そして国民に接する機会が増えれば増えるほど、国民を理解できるとの御考えも、正しいとは思えない。現在海外旅行に出かける人間は無数におり、普通の若い女性が気軽に出かけている。しかし人間社会の本質・仕組みといったことについての知恵は、生まれた村を一歩も出たことのない昔の女性のほうが、はるかに豊であったのではないか。皇室の歴史自身がそれを示している。近代以前の天皇の外出はきわめて希だったし、近代以後も基本は同じである。しかし情報は収集することができる。そして情報は量ではなく質である。もっとも大切なのは正しい情報を収集することである。この点について、六月九日御成婚当日の産経新聞「正論」欄で、小堀桂一郎氏が明確に指摘されているとおりである。
 ところで皇室が情報を得るということにかんして、まことに寒心に堪え得ない事実がある。『文藝春秋』七月号、「次代への適応ということ」と題する佐伯彰一・三浦朱門両氏の対談の三浦氏発言部分に、次のようにある。「先の今上天皇のご訪中の際も、誰の知恵かわかりませんが、『中華人民共和国』とはおっしゃらない。もちろん『中華民国』ともおっしゃらないで、『中国』という言い方をしておられる。これも長いスパンで考えられた上での隣国との接し方ではないでしょうか。体制はどうであろうとも、自分は英語で言う『チャイナ』に来たんだということを態度で示されている」。佐伯氏は次のように応ずる。「日本の政治家が相次いで中国に出かけ、『アメリカ帝国主義反対』といわれると、『そうです、そうです』と共同宣言までして来るような人がいて、与野党問わず、その都度場当たり的なもみ手外交を繰り返してきたでしょう。そういうところからみると、いまの天皇陛下の態度や発言は光るものがある」。
 しかし、これはまったく逆である。「中華人民共和国」、「中華民国」は、国家の固有名詞であって、いくら陛下が使われてもかまわない。それに対して「中国」はある一定の価値観を強烈に帯びた言葉である。同じ『文藝春秋』七月号号の巻頭随筆「支那と中国」(吉田壮人氏)にそれはちゃんと書いている。「中国の中という語は、周囲に東夷・西戎・南蛮・北狄がいることを示している」「このような自己中心的な中国や中華の概念から中華思想が生まれたのである」。日本人は中国という言葉を使うべきではないが、そのなかでもっとも使われてはいけないのが天皇陛下である。それは日本民族の象徴が中華思想を受け入れ、シナ中心の世界観への従属を宣言することにほかならない。これこそ今回の御訪中において、シナ側がもっとも狙っていたことである。いったい誰がこんな入れ知恵をしたのかわからないが、陛下御自身も情報の真贋を識別する眼力をもっていただかなければならない。これによって昨秋秋の天皇陛下御訪中は、日本の歴史上もっとも愚劣な外交であることが、いよいよ明白である。シナ外交の大勝利、日本外交の巨大な敗北である。ただし敗北の真の巨大性は、敗北を敗北として自覚し得ない、精神の主体性の喪失にある。
 以上、私は皇太子殿下さらには天皇陛下の御言葉を批判してきた。このことについて、皇室の方々を直接批判の対象とすることは避けるべきとの意見がある。そこで私の考えをごく簡単に申し述べておきたい。
 近年皇室の方々の御言動を拝察するに、「開かれた皇室」のスローガンのもとに、御自分の言葉で語られようとする姿勢が顕著である。しかしその御言葉がマスコミにのって流通すれば、一般人とはまったく異なる甚大な社会的影響力を及ぼす。さらに御自分の言葉で語られる以上、皇室の方々であっても、そこには言論人としての責任が必然的に生ずる。したがって、われわれがその御言葉について納得できなければ、天皇陛下・皇太子殿下といえども批判申し上げざるをえない。

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