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酒井信彦の日本ナショナリズム

東京大空襲の犠牲者も慰霊せよ

『月刊日本』2016年8月号 羅針盤 2016年7月22日

    ※このタイトルは編集者によるもので、私の主張は、
    「沖縄と原爆を、特別扱いするな。戦争犠牲者を平等に慰霊せよ。」ということです。

毎年夏になると戦争を回顧することが盛んである。今年も6月23日には、沖縄戦の終結記念日に慰霊祭が行われた。今年はその直前に行われた例の殺人事件の追悼集会と関連し、基地移設問題も併せて特に盛り上がったようである。

また八月になると、広島・長崎の原爆記念日があり、これも大きく報道され、十五日の終戦記念日に続くことになる。

この一連の戦争回顧の年中行事に関して、私は以前から強い違和感を感じていたことがある。それは戦争の犠牲者に関して、沖縄と原爆がとりわけ大きく取り上げられるに対して、それ以外の多大な戦争犠牲者への慰霊が、あまりにも粗略に扱われていることである。

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歴史問題の害毒

『月刊日本』2016年7月号 羅針盤 2016年6月22日

今年は二〇一六年。ということは、一九八六年の第二次教科書事件から、丸々三十年にもなる。第一次教科書事件はその四年前だから、歴史問題で我が国はすでに、戦後七十年の半分近くも苦しめられ続けているわけだ。しかもそれは七十年談話・日韓慰安婦合意などでは全く解決せず、今後も日本民族の命取りになりかねない危険性をはらんでいる。

そもそも歴史問題は、戦後の東京裁判史観が、一貫して作用し続けてきたからではない。それは一九八二年の第一次教科書事件を契機に、中共・韓国によって、日本罪悪史観として再構築されたものである。

第一次教科書事件では、日本の中学歴史教科書の検定において、「侵略」表記が「進出」に書き換えさせられたと、日本のマスコミが報道し、それに中韓両国が抗議し、日本政府が外交圧力に屈服してしまった。つまりそのメカニズムは、日本マスコミの報道⇒中韓政府の抗議⇒日本政府の屈服という連鎖となる。私はこれを「歴史問題の三段跳び」と言っているが、つまり発端と末端は、日本人が演じているわけである。

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さらに国際化した「報道の自由」問題

『月刊日本』2016年6月号 羅針盤 2016年5月22日

最初に述べておく。先月号の拙稿のタイトル「高市発言・真の問題はメディアの自己規制だ」は、編集者によるものであり、私の本意は「高市発言批判は、支離滅裂だ」である。

ところで高市発言に関連した、報道の自由問題は、更に一段と国際化した。それには二つあり、一つは国連人権委員会の特別報告者の来日で、もう一つは「国境なき記者団」による「報道の自由度ランキング」の発表である。特別報告者デビット・ケイなる人物は、四月十一日来日して調査し、十九日に外国特派員協会で記者会見を行った。まさにそれに合わせるように、四月二十日にランキングが発表された。共に日本の報道の自由について危惧を表明するもので、朝日新聞は二十日朝刊と同夕刊で、個々に取り上げるだけでなく、二十四日には両方を合わせて、「メディアタイムズ」欄で、「報道の自由 海外から警鐘」「国連が調査 NGO『世界72位』」と、大喜びで取り上げている。

この記事には記者会見でケイが指摘した六つの点が一覧表になっている。放送法第4条の廃止、自民党の憲法草案への危惧、特定秘密保護法への恐れ、朝日植村記者への脅迫問題、沖縄の反基地運動の規制を懸念、などが挙げられており、これらは朝日新聞の主張そのままである。ただし記者クラブ制度への批判は、最後に目立たないように付け加えているし、ヘイトスピーチ法に対する反対は、ここには出てこない。

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高市発言・真の問題はメディアの自主規制だ

『月刊日本』2016年5月号 羅針盤 2016年4月22

    ※このタイトルは編集者によるもので、本稿の意図とは大きく違います
    本来は、「高市発言批判の支離滅裂」ということです

高市停波発言問題は、依然として続いている。というより意図的な一大キャンペーンとなっている。高市発言に反発したジャーナリスト数名は、再び三月二十四日に今度は外国人特派員協会で記者会見を行った。産経新聞の産経抄が四月二日にこれを取り上げ、「ニュースサイト『ブロゴス』によると、彼らは一様に安倍晋三政権を批判しつつ、矛盾するような意見も強調していた」とあるので、私もこれを読んでみた。

なるほど田原総一朗と他の四人が言うことが丸で違う。田原は高市発言が安倍首相へのゴマすりだとするのに対して、大谷昭宏は「大先輩である田原さんの言葉を翻すようで申し訳ないですが、高市発言について私は到底そうは思えなくて・・」と、憲法改正を目指す安倍総理の政治姿勢に基づくものだとする。

また鳥越俊太郎がオフレコ懇談を問題にして、「メディアが権力を監視するというのが世界の常識。しかし日本では権力がメディアを監視する」というのに、田原は「僕は今の鳥越さんには異論ありなの。要するに、官房長官がオフレコでこう言っているというのが伝わって、それに従うと。冗談じゃないよ。僕は若い時から官房長官とも幹事長とも何回も会っていますが、そんなこと言ったら文句言いますよ」と反論する。

さらに田原は、「これは余計なことだけど、政治の圧力なんて大したことないんですよ。本当に。これは局の上の方が、むしろほとんど自己規制なんですよね。TBSも自己規制、自主規制だと思います。僕は総理大臣を3人失脚させたんだけど、僕のところに圧力なんて何にもないもん。そういうもんなんですよ。局の上の方の自主規制で変わっていくこと。そこが一番問題なんです。僕はそれを『堕落』と言っているんです」と自説を展開する。

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マスコミの権力こそ問題にせよ

『月刊日本』2016年4月号 羅針盤 2016年3月22日

高市大臣の停波発言をきっかけに、マスコミ・メディアと権力の問題が、このところ盛り上がっている。ジャーナリストが、次いで法学者が高市発言を批判する記者会見を開催した。先月号でもこの問題に言及したのだが、今月号ではこの権力とメディアの問題について、私が基本的にどのように考えているか、殆ど取り上げられない二つの視点から、私見を述べさせてもらいたい。

第一の論点は、マスコミ自身が強大な権力だということである。マスコミ自身はこの根本的な真実に、まったく自覚がないようだが、これは厳然たる事実である。そのなによりの証拠は、マスコミの報道によって、大臣の首が飛ぶという言う現実である。国務大臣と言えば、これは明らかな政治権力者であるが、その首を飛ばす力を有しているのであるから、良くも悪くも、マスコミはまぎれもない権力である。

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