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男系天皇絶対論の危険性―女系容認こそ日本文明だ―

『諸君』平成十八年十月号

はじめに
 二月七日、秋篠宮妃殿下の御懐妊が発表され、皇室典範の改正問題は先送りされることになりました。同妃殿下の御懐妊について、一般には驚きを以て迎えられているようですが、私は正直に申し上げて全く驚きませんでした。それは眞子内親王・佳子内親王お二人以後、お子様がお出来にならない事こそ、異常であり不自然だと感じていたからです。したがって至極当然のことが漸く生起したと受け止めている次第です。但しまもなくお生まれになる予定の第三子の方が男子であっても、根本的状況にそれほど変わりは無い訳ですから、いずれ皇室典範改正問題は浮上せざるを得ません。その際なるべく正確且つ多様な議論が、判断の材料として提供されるべきだと考えますので、東京大学史料編纂所につとめ、日本の朝廷の歴史を研究対象とし、現代の皇室についても発言したことのある者として、この問題に関する私なりの見解を述べさせていただきたいと思います。

基本的な疑問
皇室典範問題でよくいわれるのは、「神武天皇以来百二十五代、二千六百六十六年という間に一度も例外のない男系継承が行われてきた。これを絶対に変えてはいけない。そんなことをすると日本は大変な事になってしまう」というのが「男系絶対主義」と私が呼んでいる方々、反対からいえば女系反対論者の主張であります。この言葉通りとは限らず、色々な表現の幅がありますけれども、大要はこういう事をかなり断定的に、繰返し繰返し主張されています。しかしこのような言葉自体に、私としては疑問を感ずる所が多々あります。
例えば彼ら男系絶対主義者は「神武天皇以来二千六百年の男系継承」と言いますが、そもそも神武天皇自身が実在の人物なのでしょうか。実在の人物でなければ、それからずっと「二千六百年の間絶対不変の男系継承だ」とはいえないわけですが、ごく常識的に考えれば神武天皇というのは神話的な人物、神話的な存在です。日本の皇室の始祖となってはおりますが、明確な歴史上の人物であると断言する事は、かなり熱烈な皇室論者でも躊躇せざるを得ない筈です。そう断言するには、日本書紀や古事記に書いてある事が全て歴史的事実なのだと考えなければなりません。聖書に書いてある言葉が全て正しいという、聖書原理主義という考え方が欧米ではあるらしいですけれども、皇室典範問題の議論においては、実に安易に記紀原理主義が横行しているようです。
また私が以前から非常に奇異に感じているのは、特に「男系でないと、天皇家のY染色体がとだえてしまう」という議論です。Y染色体というからにはこれも実在の人物でないとY染色体というのはおかしな訳でありまして、神話的な人物のY染色体がある筈が無い。だから神武天皇のY染色体という言葉自身が、それだけで矛盾が含まれている表現だという事になります。このY染色体問題については又後で詳しく取り上げる予定ですので、今は触れるだけに止めます。
また、二千六百何年の間一度も例外のない男系継承であったのかというと、これはよくわからない所が多い。歴代の天皇の中でも、神武をはじめ前の方はかなりの部分を神話的な人物が占めている訳でありまして、その期間に男系継承が確実に守られていたか否かは、不明と言わざるを得ません。それを事実と言い切って良いのか。しかもその後の実在が確認できる天皇の歴代においても、男系の継承が絶対的に守られてきたのかどうかという事は、私は専門家ではないので具体的に議論するつもりはありませんが、それなりに異説もあると思います。
 それからこれは本題から少し外れるかも知れませんけれども、「日本の皇室は世界遺産だ」という言い方がかなりされた時期がありました。私が知る限りでは、昨年十一月に行われた皇室典範改正反対のデモ行進の際には、大いに強調されていたと思います。現在ではどれくらい流通しているのかわかりませんが、私はこの「皇室は世界遺産」という言葉を聞いた途端に、非常に大きな違和感を覚えました。
世界遺産というと、普通の人はどうしてもユネスコの指定する世界遺産の事を思い出します。ユネスコの指定する世界遺産というのは世界中で一体幾らあるのでしょうか。現在のところ全世界で八百以上あるようです。毎年毎年三十とか四十とか、何十単位で新しく指定されている。世界遺産というのはそれだけ数の多いものなのです。では日本の皇室は世界に何百もあるようなその程度の存在なのか、それ程安っぽい存在なのか。世界遺産の中には日本の姫路城や日光東照宮などもありますが、原爆ドームも世界遺産なのです。そうするとこれはちょっと極端な言い方かも知れませんけれども、日本の皇室と原爆ドームは同格なのかと言いたくなる。こうした表現ひとつとっても、男系絶対主義者の人々は、真剣に皇室の問題を考えているのかという点に、大きな疑いを持たざるを得ません。
男系絶対主義はシナ文明、女系容認が日本文明
 皇室典範の議論が盛んに行われている中で、私が非常に疑問に感じているのは、日本の皇室の継承の事だけを問題にしている事です。皇室の継承の意味を考えるためには、少なくとも以下の二つの点についても十分考えておかなければならないと思います。
第一に、男系継承に関して、もう少し広く東アジア世界の中で男系継承にはどういう歴史があるのかという事です。第二に、日本の皇室は男系継承だとしても、それが本当に日本で一般的な継承方法といえるのか。天皇家以外の普通の日本国民の継承方法はどうなのかという事です。この二つの事が全く論ぜられてなくて、ただただ皇室の継承方法だけを近視眼的に追い掛けている。ここに非常に大きな問題、根本的な欠陥があるのではないかと私は考えます。
 先ず初めにシナや朝鮮、東アジアの他の国の男系継承の事を考えてみますと、これは完全な、非常に完備した男系継承であります。はっきりと一つの例外もないような男系継承がシナでも朝鮮でも行われて来た訳です。特にシナの場合はそれが極めて長く続いて来ました。何故そういう事が出来るのかということですが、その前に日本とシナ・朝鮮の文明的な相違という事を、前提としてお話ししておきたいと思います。
日本とシナ・朝鮮は東アジアの国であって、全世界の中で考えると、よく似ているといえばよく似ている国なのですが、文明的には非常に大きな違いがあるのです。日本とシナ・朝鮮との文明的な違いというのは、大きく分けて二つあると考えられます。その一つは歴史の違いです。もう一つは社会の構造、特に親族構造の違いなのです。
歴史の違いというのはどういう事かといいますと、日本は古代奈良・平安時代にかけてシナから律令制度を取入れました。ところが日本の律令国家は長続きせずに崩壊してしまう訳です。その後は鎌倉幕府、室町幕府、江戸幕府というように武家政権が連続して出来る。ただし律令国家の頂点の部分が朝廷として存続し、朝廷と幕府が並存する国家が出来上がりました。これこそが日本の歴史の特徴なのです。
それに対してシナ・朝鮮ではどうだったかといいますと、シナ・朝鮮では基本的に律令国家がそのままずっと続きました。それがシナでは一九一一年の辛亥革命で清帝国が潰れ、朝鮮の場合では一九一〇年の日韓併合によって李氏朝鮮という国家が消滅しました。そこにいたって漸く律令国家がシナ亜大陸、朝鮮半島で終焉を迎えました。このように日本の歴史とシナ・朝鮮の歴史は大きく違う訳です。
 もう一つ日本とシナ・朝鮮で大きく異なるのが親族構造です。この親族構造の問題が、皇室典範問題を考える上で、絶対に必要な知識です。親族構造というのは親子関係、親戚関係の在り方です。一言でいいますと、シナ・朝鮮では父系制、父親の系統を継承した形の親族制度、父系氏族制度といってよい制度が、極めて強固に出来上っています。それをシナの場合は宗族といい、朝鮮では門中・宗中というような言葉で表現しますが、ある特定の父親の系統で出来上った血縁集団、親族集団が形成されている。この親族集団の中の男女はお互いに絶対結婚してはいけません。この集団は同じ姓を頭に頂いているので、それを「同姓不婚」といいます。女の人は必ず他の氏族の男と結婚しなければならない。そのかわり女の人は結婚しても前の姓が変わらず、元の姓をそのまま引き継ぎます。父系制ですから子供は男でも女でも父親の姓を引き継ぎますから、母親と子供は姓が違います。この夫婦別姓は今でも続いています。日本で男女共同参画運動をやっている人の中には、シナ・朝鮮は夫婦別姓でこれは非常に進んでいると誤解した人もいるようですが、これは別に進んでいるのではなくて、元々そういう親族制度が出来上っているからそういう事になったのです。それに対して日本では、このような強固な父系の親族制度は形成されませんでした。
朝鮮の場合は明らかにシナの影響によって、この父系氏族制度が出来上がりました。シナの父系氏族制度は、夏・殷・周という非常に古い時代の夏の時代頃から、殆ど歴史と共に始まっているといって良いのです。紀元前千年以上前から始まっていますが、朝鮮の場合はかなり遅れまして、朝鮮にそういうシナの親族文明が入ってきて普及するのは、高麗時代と考えられています。高麗時代というのは日本でいえば平安時代から鎌倉時代にかけてです。モンゴル人に攻め込まれて降伏し、モンゴル人の手先として日本に攻めてきた当時の朝鮮が高麗です。それから李氏朝鮮になったら益々それが定着して、シナと同じような父系親族制度が強固に出来上がった訳です。このために朝鮮人の名前は、完全にシナ式の名前になりました。つまり日本による統治の遥か以前に、創氏改名があった訳です。
そのように日本とシナ・朝鮮とでは、親族構造に関する文化・文明において、根本的に大きな違いがあるという事なのです。すなわち日本はシナから律令制度は受け入れましたが、科挙制度や宦官制度を受け入れなかったように、朝鮮と違って父系の親族制度も受容しなかったのです。この父系氏族制度は父親の系統だけを辿る制度ですから、家の当主は全く男だけでありまして女の人は絶対に出て来ません。すなわちシナ・朝鮮では、皇帝や国王はもちろんのこと、一般庶民ですら完全な男系男子継承なのです。ではその場合、男子が生まれなかったら一体どうするのか。日本の皇室では側室制度によって男系主義を維持していたと説明されますが、シナ・朝鮮の庶民すべてが妾を持てる訳がありません。その時は養子を取るのですが、必ずその氏族の中の他の家の男子を養子とするのです。明確な氏族制度が確立しているから、こういう事が出来るのです。
それに対して日本はどうかといいますと、日本の場合は女系容認というか、女系による継承も認めています。はじめからそういう親族構造になっている。従って家の跡継ぎが女の人だけしかいなかったらお婿さんを取る。そうすると家としては女の人の系統がその跡を継ぐ事になりますから、これは明らかに女系であります。女子もいなければ男子の養子をとり、嫁を娶わせる。それから夫婦養子というのがありまして、その家に夫婦揃って養子に入る訳です。そうすると、血統としては男の系統でも女の系統でも繋がらないという事になります。そういうやり方で日本の社会は運営されてきたのです。後でもまた触れますけれども、実際の血統を絶対視せず、男系・女系の区別にもこだわらないというのが、日本の社会の伝統であり文化である。従って私は女系容認が日本の文明だと考えます。つまりたとえ、皇室が一度の例外もなく男系継承をしてきたとしましても、日本全体としての文明を考える場合は、国民の大多数の人達が採用している文化・文明を、日本文明と考えるしかありません。幾ら皇室が男系継承を徹底してやって来たとしても、皇室が日本の文明を代表する訳ではありません。そこのところを非常に取り違えている方々が、男系絶対主義者の中においでになって、皇室の男系継承は日本文明の核心だと言い切っていますが、それは明白な錯誤であると私は思います。
男系絶対主義を神聖視することの危険性
 「日本の皇室の男系が非常に厳密に保たれてきたことは真に素晴しい」と、男系絶対主義者は盛んに言うのですが、実をいいますと、シナに孔子という人物がいますが、この孔子の家系と比べると日本の皇室でも実質的に見劣りをすると私は思います。
神武天皇は今年で即位から二千六百六十六年という事になっています。つまり紀元前六百六十年の即位ですが、孔子が生まれたのはそれより百十年後で、昨年の九月二十八日で生誕二千五百五十六年でありました。生れたのが紀元前五百五十年で亡くなったのが紀元前四百七十九年だそうです。シナの場合は孔子の時代になったら一年単位ではっきりと生没年がわかっています。神武天皇は実在したとしても孔子から百年少し前の方だという事になるのです。正確にいうと神武天皇のお年はもうちょっと前に遡るのですが、この事は後で説明します。
とにかく孔子の家系は非常にはっきりしておりまして、これは完全な父系すなわち男系の継承を今に至るまで続けている。孔子から数えると現在は大体七十五代から七十七代位の人が多い。一番代数が多いのが八十二代だという事です。その子孫が全世界に三百万人いる。中共(中華人民共和国)・台湾・香港で二百五十万、それ以外の国々に五十万いるという話が昨年ニュースになりまして、孔子の系図が世界で最も長い系図であるとギネスが認めたという報道が、昨年の十月ころ話題になりました(『朝日新聞』十月一日及び十月二十三日付)。古い家系と言うとこのように孔子の家系が有名ですけれども、孔子の場合でも孔子よりもっと前の先祖がいる訳ですから、それより更に前に遡ることができるはずです。そうするとやはり神武天皇を軽く越てしまうでしょう。またシナには孔子以外にも古い家柄が多々あるはずですから、日本の皇室を凌駕する家系は沢山あると考えられます。
問題は家系の長さだけではありません。男系継承としての質、つまり厳密性・純粋性も問題になります。シナ人・朝鮮人の男系継承は、シナの場合は非常に古くから、朝鮮の方は時代がかなり後から、という違いはありますが、とにかく非常に厳格な男系継承を続けてきました。それに対して日本の場合はどうなのかといいますと、日本の場合は皇室においてすら女性の天皇がいらっしゃる訳です。幾ら女系の天皇は絶対一人もいないといっても、御歴代の中に女性天皇が何人もいらっしゃるという事は、常識的に考えて男系継承としては厳密性が欠けるという事になります。シナ人・朝鮮人に比較すると、はっきりいって男系継承の純粋性としては、明らかに劣るといわざるを得ないのです。これはそういう歴史なのだから仕方がありません。それこそ文化・文明の違いです。男系主義がそんなに素晴らしいものなら、目の前に男系文化の代表とも言うべきシナの父系氏族制度があったのですから、日本も朝鮮のようにこれを取り入れるべきだったのです。もともとご存じないのか、自分たちに都合が悪いから隠しているのか不明ですが、男系絶対主義者の方々はこの事実に全く言及しません。しかし皇室典範問題の論議において、極めて重大なポイントと言わざるを得ません。
ところで、稲田朋美さんが今年の一月七日の産経新聞の正論欄に、「男系維持の伝統は圧倒的に美しい」と題して、皇室典範問題についてお書きになっていますが、どのような事を述べられているかというと、まず「厳然と続いてきた男系維持の伝統(父を辿れば神武天皇になる)」と言われていますから、稲田さんも神武天皇の実在を認めているようです。「私はこの理屈を越えた系譜を圧倒的に美しいと感じている一人であり、日本人とはこれを美しいと感じる民族なのである」と、皇室の男系継承は一つの例外もなく見事に連ねられてきているからそれが美しいとおっしゃっています。私自身は別段美しいとは感じませんが、それはそれで稲田さんの感性の自由かも知れません。皇室だけを近視眼的に見ていると、美しいで済むのかも知れませんが、日本の皇室の男系継承は先程述べましたように、客観的に言って男系継承としては明らかに不完全なものです。従って、日本の皇室の男系継承が圧倒的に美しいとするならば、シナ人・朝鮮人の男系継承は一体何と表現すべきなのでしょうか。これでは「圧倒的」を更に幾つも付けないと、シナ人・朝鮮人の男系継承を表現出来ないという事になります。またシナ人・朝鮮人こそ、日本人とは比べものにならないほど、これを美しいと感じる民族だと言わなければなりません。
問題はそれだけに止まりません。皇室の場合はさておき、我々庶民、普通の日本人の継承は一体どうなってしまうのでしょうか。稲田さんの論法を以てすれば、我々の日本人の普通の人間の継承方法は、醜くて汚いことになってしまうのです。
 もう一人、竹内久美子さんという動物行動学者が、先程の稲田朋美さんから一週間程後になりますが、同じく産経新聞の一月十三日の正論欄に「男系男子でなくば意味なさぬ皇位」と書いています。勿論これも男系絶対主義擁護の文章です。
動物学、生物学につては例のY染色体が有名ですが、この竹内さんもY染色体論を全面的に支持しています。特に私が竹内さんの議論で重要だと考えるのは、自分の専門知識を生かして猿の継承関係に言及している点です。
一体どういう主張かといいますと、日本猿のような普通の猿は母系制である。母系制というのは女系という事です。普通の猿は母系なのだけれども高等な猿というか類人猿、つまりゴリラとかチンパンジーになると父系制、すなわち男系継承になる。母系制は程度の低い段階であって、更に進化した形が父系制である。それが普通の猿と類人猿との明確な違いであり、だから父系制の方が優れている段階で、生物として進化した段階だ、と明確におっしゃっています。更に人間にしてもそれは同じことであり、従って皇室においても父系制の方が優れているから、日本でも男系男子の天皇で無くては存在価値が無いのだと断言しています。そして「皇位は中継ぎとしての女帝は別とし男系の男子(皇室伝統のYを持っている)でなくては意味をなさないのではないだろうか」とこの動物行動学者は結論付けています。そうすると一体どういう事になるでしょうか。父系制、男系継承はゴリラ、チンパンジー、つまり類人猿でもやっているのであり、女系になったらそれより退化してしまう、という理屈ですから、皇室は今迄女系継承はやってないとしても、我々一般日本人はゴリラ、チンパンジーより劣るのだ、そういう親族関係を我々は営んでいるのだという事になってしまいます。
結局、男系絶対主義というのは日本人を何処に導いていくのか。これは冷静に考えれば分かることですが、シナ・朝鮮をひたすら崇め奉り、反対に日本人自身を限りなく貶める、という考え方にならざるを得ないのです。皇室の男系主義を神聖視すればするほど、シナ人・朝鮮人に頭が上がらなくなる、精神的に隷属するようになるのです。稲田さん、竹内さんをはじめとする男系絶対主義者の論理は、シナ人・朝鮮人の日本蔑視の論理そのままなのです。ここで注意しておかなければならないのは、「シナ人・朝鮮人は近代になって、日本人に色々圧迫されたから反日感情を持つようになった、日本蔑視感情を持つようになった」とお考えだとすると、それは大きな間違いなのです。シナ人・朝鮮人は昔から日本人の事を徹底的に蔑視し続けてき。これは歴史的事実です。
彼等が日本人を蔑視する根拠には、大きく分けて二つありました。それは先ほど説明した、日本文明とシナ・朝鮮文明との相違する二つの点、すなわち律令制度を捨てたことと、親族構造の違いなのです。
もう一度説明しますと、まず歴史においては日本の場合、律令国家が一端出来上ったにもかかわらずそれが崩壊してしまいました。それは日本の歴史の堕落・後退としか彼等には考えられない。何故か。先程も申しましたようにシナ・朝鮮においては近代に至るまで律令国家がそのまま続いたからです。彼等にとっては律令国家こそあるべき国家の在り方であり、その律令国家が崩壊してしまった日本の歴史というのは、後退の歴史、駄目になった歴史以外の何物でもないのです。これはシナ人・朝鮮人の立場に立って考えれば、極めてわかり易い事だと思います。それが第一点です。
それからもう一点の、親族構造に関しては、シナ人、特に朝鮮人の言い分ですけれども、「日本人の社会は恰も禽獣、つまり獣のようだ」と。その理由は何かというと、父系親族構造、父系氏族制度が日本では確立しなかった、従って父系氏族制度の原則では絶対に許されない父系の近親婚をしているではないかと言って、彼らは日本人を獣だと昔から罵倒して悦に入っていた訳です。男系絶対主義の主張は、シナ人・朝鮮人の日本蔑視の論理に、ものの見事にぴたりと当てはまる。その論理を真っ向から肯定する、という事になります。
神代との断絶
 先ほども少し触れましたが、ここでもう一度Y染色体問題について論じたいと思いますなぜなら、この議論は、皇室が有している重要な日本文化の伝統を否定するものだからです。Y染色体というのは御存知のように男子にしか受け継がれない。皇室は男系継承をずっと続けてきた、従ってY染色体こそが正統な天皇の証拠になるという議論があって、これを非常に科学的だと褒めそやして、「昔の人はそんな科学を知っていなかったにもかかわらず、男系の重要さを直感的に知っていたのだ、素晴らしい」と感激している方々が沢山いますけれども、科学的と称して染色体論を持ち出すと一体どういう事になるのか。科学を持ち出すと、日本の天皇の歴史とその前の神代とが繋がらなくなるのです。これが根本的に重要な点です。
この事を男系絶対主義者の方は気付いているのか気付いていないのか不明ですが、全く言及していません。気付いていないとすると、余りにも思慮が足りないと私は思うのですが、そのように科学を持ち出すと、明らかに皇統と神話とが決定的に断絶してしまう。何故なら神話と科学というのは両立しないからです。冒頭で指摘したように、神武天皇の染色体論も既に無理があるのですが、百歩譲ってそれは成立することにしましょう。しかしそれ以前には絶対遡れません。そのことを次に説明します。
 では神武天皇以前は一体どうなのでしょうか。例えば神武天皇の父親である?○草葺不合尊のY染色体はどうなのか。不思議なことに、男系絶対主義者は?○草葺不合尊の染色体と言う言い方を絶対にしません。何故いわないのでしょうか。瓊瓊杵尊・彦火火出見尊・?○草葺不合尊の三代は天孫降臨されて地上に降りて来られて九州の方におられた訳です。ですからY染色体があっても良いではないか。そもそも神武天皇になってからY染色体が急に出来る訳ではないでしょう。神武天皇が生れた途端に急に沸いて出るとは考えられない。だからY染色体というなら瓊瓊杵尊以下三代のY染色体はどうなのかという事にならざるを得ない訳です。
実は瓊瓊杵尊からの三代については、日本書紀に非常に興味深い記述があるのです。こうした記述があるにも拘らず、この事は皇室典範問題の議論の中で、私が知る限り全然出て来ていません。皆さんの中に瓊瓊杵尊が天孫降臨されてから神武天皇が東征を開始する迄の年数を御存知の方がいたらちょっと手を挙げて頂きたいのですが。いらっしゃいませんか。残念乍らいませんね。瓊瓊杵尊が天孫降臨されてから神武天皇が東征を開始する迄の年数が、日本書紀にはっきりと書かれているのです。その年数は驚く無かれ、百七十九万二千四百七十余年、この期間はわずかに三代ですから、一代当り数十万年という事になります。一代当り数十万年も存在する方が、幾ら寿命があっても実際の生物とは考えられませんから、やはりY染色体の存在を想定するのは無理でしょう。だからY染色体論を唱える人々が、この年数を御存知か御存知でないかは分かりませんが、御存知だったとしても、数十万年の生命を持っている存在のY染色体を主張するのは、極めて難しいと考えざるを得ない。
神武天皇の場合はそれに比べるとずっと短くて、その寿命は日本書紀によると百二十七歳です。但し古事記と日本書紀とでは書いてある事が多少ずれておりまして、古事記では百三十七歳です。それから神武天皇の寿命というのは百二十七歳だけれども、では実際に天皇になってからお亡くなりになるまで、つまり天皇としての統治期間はどの位だったのでしょうか。これが案外短いのです。七十六年で、昭和天皇より十年ほど長いくらいです。従って、神武天皇が東征を終えて即位されたのは、かなりお年を召された五十一歳頃という事になります。
 神武天皇の話が出ましたので神武紀元の事をお話しします。また神武紀元は今年で二千六百六十六年になります。神武天皇が即位されてからの二千六百六十六年を悠久の歴史であると、男系絶対主義の方々は常々言われますが、これは客観的に考ると、実はそれ程長い歴史ではありません。先に述べましたように孔子の家系の歴史とも余り変りません。孔子の生存期間は神武天皇より少し後になりますが、孔子の家系も孔子以前の分があるはずですし、孔子より以前にシナには長い歴史があります。それから、現在の学説ですとチグリス・ユーフラテスなどのメソポタミア文明は紀元前九〇〇〇年頃には成立していたということですから、二千六百六十六年という年数は客観的にいって悠久ではありません。日本の歴史でいっても縄文時代は神武紀元には全く入りません。「縄文文化の時代は日本の歴史ではない」とはとてもいえませんから、二千六百六十六年という年数を認めたとしても、日本の歴史の中で皇室が存在しない時代があることは否定できません。
神武紀元の事に関連していうと、シナ人や朝鮮人の方がさらに遡った紀元を作っておりまして、これは日本の皇室のように現在まで続いている訳ではありませんが、シナの場合は黄帝紀元、朝鮮の場合は檀君紀元というのがあります。シナの黄帝紀元は所謂西暦(私はキリスト紀元、耶蘇紀元といった方が良いと思いますが)に二千六百九十八足した数字になります。それから檀君紀元の場合は西暦に二千三百三十三を足す事になります。黄帝紀元でいうと今年は四千七百四年になりまして、檀君紀元では今年は四千三百三十九年です。もし長ければ長いほうが偉い、と単純に考えるならば、大きなホラを吹いた方が勝ちで、シナや朝鮮の方が、悠久の歴史の歴史を有していることになる。どうせ吹っ掛けるならこの位吹っ掛けておいても良かったのですけれども、やはり日本民族は考え方が慎ましいのだと思います。それが神武紀元を紀元前六六〇年にした事に現われているのだと思います。
以上縷々述べてきましたが、実は私は、皇室の歴史を考える場合に、本当に重要なことは、歴史的事実でも科学でもないと考えています。神話として物語として、日本の皇室はが、神代すなわち神話の世界に繋がっているのだという漠然とした感覚こそが、極めて大切なものなのではないか。Y染色体論などを持ち出す事によって、そういう悠久な感覚がかえって断ち切られてしまうのではないでしょうか。私はこれこそが皇統の断絶だと思います。
皇統の断絶といった場合、男系主義者がしきりに唱えているのは、「今後女系天皇が出現したら、男系が断たれるから皇統の断絶だ」といった議論です。私は女系になっても皇統は続いていると思いますが、仮にそうだとしても、彼らの考えに入っていないのは、皇統の断絶は未来に起きるだけではない、過去に遡ったときにも起きるということです。つまり皇統というのは、神武天皇から始まるものではありません。日本の皇室の神秘さの根拠である、昔から続いている悠久の歴史というのは、別に神武天皇から後の二千六百六十六年の歴史だけではなくて、その前に瓊瓊杵尊が天孫降臨をしてからの三代、その更に前に高天原の神々の存在と繋がっているから成立するのです。歴史的事実ではないにしろ、そういうものと観念的に結び付いているから、非常な悠久さを感じる訳であります。「Y染色体論」のように科学を持ち出すと、神代と繋がらなくなると私は思います。
そもそも染色体論を徹底させるとどうなるか、男系論者は真剣に考えたことがあるのでしょうか。すると、皇統は神代ではなくて猿に繋がってしまう。読売新聞の今年一月四日付の記事によると、人とチンパンジーのY染色体は一・七八%の相違しかなく、あとの九八・二七%は一致するという事です。これはY染色体に関してであって、全ての染色体に関しては人間とチンパンジーの相違は一・二三と更に小さくなる。そうすると、我々と皇室の方のY染色体は、多少は違うのかも知れませんが、違うと言っても一体どの程度の違いがあるのかという気が致します。
もちろんいくら「科学的男系主義者」でも、皇統を直ぐに類人猿に繋ぐわけには行きません。すると、神代以外のどこに皇統のルーツを求めるのか。一番可能性が高いのは外国に繋げることでしょう。すなわち日本の皇室の外国起源説が浮上してくるに違いありません。「日本の皇室がそれだけ男系継承にこだわるのは、男系文化の本場である大陸・半島の出身だからだ」と言い立てる人間が出てくるでしょう。すでに朝鮮では皇室の朝鮮起源説を吹聴されているのは、御存知のことと思います。朝鮮で氏族制度が成立するのは高麗王朝の時代ですから、これは成り立ちませんが、問題はシナです。一般には余り知られていませんが、実は日本の皇室のシナ起源説は、かなり昔から存在するのです。「泰伯説」と言って、周の太王の長子の泰伯が末弟に家を継がせるために、進んで南蛮の地に行き呉の始祖になったが、更に日本に来て皇室の祖先となったというもので、古くからシナの史書に現われ、室町時代の禅僧、中厳円月が唱えるなど、日本では中世から知られており、江戸時代には漢学者の中で支持する者がいたということです。(吉川弘文館『国史大辞典』参照)
皇室の男系主義については、今のところはシナ人も朝鮮人もそれに触れていませんけれども、時至れば、絶対にシナ人はこれを取り上げて、日本に対する精神的侵略に大いに利用するに違いありません。特にこの泰伯説は要注意です。男系天皇絶対主義は、敵であるシナ人に塩を贈るどころか、日本に対する精神侵略の凶器、鉄砲を贈るようなものではないでしょうか。
日本らしくやれば良い
 現在、皇室典範問題に関連して、明白な誤りが流通されています。それは「天皇家は世界で唯一男系で繋いできた珍しい家系だ」というものです。前述したように、皆さんは私が本日説明して来たことで、これが明白な嘘だとわかって頂けたと思います。世界で唯一の男系で繋いできた家系ですよ。これが大嘘でなくて一体何が嘘なのかという位素晴らしい真っ赤な嘘です。世界中には男系で繋いできた家系などというのは、掃いて捨てても捨て切れない程あるのです。先程いいました孔子の家系がそうですし、孔子の家系だけではなくシナ人・朝鮮人の家系は皆男系で繋いできた家系なのです。男系主義はシナ・朝鮮だけではありません。日本の近くではシナ・朝鮮だけれども、アラブなどは完全にそうでしょう。その外にも世界中に男系で繋いできた家系というのは無数にある筈です。だから、天皇家は世界で唯一男系で繋いできた珍しい家系という事は全くの虚偽なのです。
私は別にいい加減にこういう事を申し上げている訳ではありません。それが何処で言われているかというと、昨年の八月五日付の朝日新聞によれば、載っております。ある著名人が講演会でそう発言したと載っているのです。私のいっている事をお疑いでしたら、殆どの図書館に朝日新聞の縮刷版があるでしょうから、御自分の目で確認して頂ければ良い訳です。その人は講演で何といったか、これは朝日新聞が書いているのですから、私はそれを正確に読み上げることにします。「奥田氏は私見と断ったうえで『女性天皇を支持する人が8割いるというが、天皇家は男系で来た血筋。世界で唯一男系でつないできた珍しい家系と言っていい』と天皇が男系で継承されてきた歴史を説明。その上で『女系にする事は世界で唯一の家系を切ってしまう事になる。祖先からのバトンをここで落とすのかどうか。天皇家の血筋を切って良いのかという重みのある話』と指摘。『首相がどちらかをとるということになるだろう』と述べた」と報じられています。この途方もないウソを誰がいっているか御存知ですか。この奥田氏と言うのは誰あろう例の皇室典範改正有識者会議のメンバーである、日本経団連会長のトヨタの奥田碩氏なのです。
私は奥田さんの講演会の現場に居たわけではありませんから、絶対に正確に報道されたか否かは分かりません。しかし朝日に訂正記事が出たとも、朝日が奥田氏に謝罪したとも聞きませんから、おそらく正しいのでしょう。この報道のとおりだとすれば、有識者会議の委員が、皇位の継承について、全く間違った知識を持っていることになります。少なくとも朝日新聞が虚偽の情報を世の中にばら撒いたことは、動かせない事実です。この奥田発言は、同年九月九日付けの週刊朝日、十月二十六日の朝日新聞「時時刻刻」欄でも、引用されています。更に問題なのは男系論者の代表格である八木秀次さんが、『「女系天皇論」の大罪』と言う本の中の「『天皇陛下のご意向』という噂の真偽」という所で、この奥田発言に対して何の疑問も呈さずに、これをそのまま引用している事です。引用してどういう事をいっているかというと、トヨタの奥田さんは八月五日の時点までは男系主義だったが、その後変説したのだと言っています。つまり八木さんは奥田さんの発言を、全面的に肯定していると考えざるを得ません。朝日新聞のみならず、男系絶対主義者の著作が、虚偽に満ちた知識を世の中に流布していることになります。
 前にも少し触れましたが、血統を重視しないのが日本の文明の特徴なのだと私は思います。実は日本で使われる諺がその事を端的に示しているのです。「氏より育ち」という諺があります。氏というのは血統です。血統よりも育ち方が重要なのだという考え方です。それから「兄弟は他人の始まり」「遠い親戚より近くの他人」という諺は、どれも血統を重視しない日本文化、日本文明の特徴を現わしています。血統そのものをこれだけ重視しないのですから、男系女系という問題が、これまでの日本の文化ではそんなに厳密に考えてこなかったといえるでしょう。よく大らかな日本人といいますが、そこら辺は非常に大らかだったと思います。男系・女系の区別などというのは、普通の人は殆ど考えなかったのではないでしょうか。
 そもそも素直に考えた場合、女性天皇の存在こそ、非常に決定的に重要な事実だと私は判断します。現在の皇室典範問題の議論で、男系絶対主義の方々は、女性天皇はいたのだけれども女系天皇はいなかったとしきりに言います。女性天皇がいたという事実と、女系天皇はいなかったという事実と、二つの事実があるとすると、後者の方を非常に重視して考えるのです。従って女系天皇を作ってはいけないのだと主張する訳ですけれども、私としては、女系天皇は絶対いなかったという事を、事実として認めたとしても、むしろ女性天皇が存在したという事実こそ重視すべきだと考えるのです。何故かと言えば、女性天皇の存在が、厳密な父系氏族制度がなかったことこそ、日本の伝統的ありようであることを示すものだからです。なかったから結局、皇室の場合は側室制度があって、その側室制度でかなり補わざるを得なかったといわれております。又女性天皇も八代十人の方々が、皇統として厳然と存在している訳です。
これがシナ・朝鮮の場合だったらどうか。シナ・朝鮮の場合ならこういう事は絶対に起こりません。厳密な男系主義だったら女性天皇などというのは出現しません。シナにおいては、則天武后が唯一の例外だといわれますが、これは継承関係がなくて唐の王朝の時代に、一人だけ周という王朝を立てて孤立しています。それから朝鮮の場合は、新羅の時代に女性の国王が三人いるのですが、高麗王朝、李氏朝鮮になると女性の国王は一人もいません。時代が下り、男系主義、父系氏族制度が確立された高麗王朝と李氏朝鮮では、女性の国王が出て来なくなるのだと思います。
男系絶対主義の人々は、以前は「女系天皇は駄目だが女性天皇なら良い」と言っていたのですが、だんだん「女性天皇も駄目だ」と言うようになってきています。私に言わせればこれは当然のことで、男系主義を本気で貫くのなら、シナ・朝鮮のように女性を完全に排除せざるを得ないのです。だから明治に皇室典範を定める際に、男子に限定することにしたのですが、但しこれは全く日本の伝統に反していました。
私が比較的知っている江戸時代の二人の女性天皇に関して言えば、このお二人は、他に男子による継承の道が全くない状況で、即位に至ったのではありません。もし、男子継承を絶対視するならば、他に方策があったのです。前期の明正天皇は、後水尾天皇が幕府の仕打ちに立腹して急遽譲位されたために即位されたのであり、後水尾天皇が譲位を思い止まれる道もあったのです。後期の後桜町天皇は後桃園天皇が幼少のために中継ぎとして即位されたと説明されています。ということは、幾ら四歳の幼少でも後桃園天皇が即位されることも可能だったのです。幼少天皇の例は、生後一歳三ヶ月で践祚された安徳天皇をはじめとして、歴史上に幾らでもあるのですから。
男系絶対主義者が言うように、神武天皇以来のY染色体を持っているのが正式な天皇の証明であるというなら、女性天皇にはY染色体は無いのですから、女性天皇は論理的に言って、中継ぎですらありえません。その理屈を徹底させれば、歴代の女性天皇は天皇として偽者だと言わなければなりません。したがって十代八人の女性天皇は、今からでも歴代の皇統譜から削除しなければなりません。天皇の歴代は百二十五代ではなく百十五代とし、女性天皇の時代は天皇空位の時代とすべきなのです。しかし何故か男系絶対主義者で、そのように主張する人を見たことがありません。
ところで男系論者の一部で、女性天皇では色々な不都合なこと、心配があるという議論もあります。「女性の体力ではつとまらない」とか、「女性は身体的に宮中祭祀には相応しくない」などといわれていますが、マラソンなどさまざまなスポーツの世界でも、女性の記録の向上はめざましいものがあります。天皇として、体力の面で、女性が劣っているとは言えないでしょう。男性だって、特に老人になられると体力的にきついという事はどうしても出て来る訳ですから、それを女性だから出来ないという事はないでしょう。本当に出来ない時には他の方が代わっておやりになっても良いのです。私は皇室の祭祀に詳しくありませんが、現実には儀礼の代行などもなされている筈ですから、幾らでも方法はあると思います。
 それから宮中祭祀については、女性は不浄だからさしつかえがあるといった意見もあるようです。現在、神社本庁は、皇室典範問題で男系絶対主義に立っていますが、実は今の神社には女性神職が結構いらっしゃる。だから神社本庁が本当に男系絶対主義を貫くつもりであり、女性天皇も好ましくないと言うなら、女性神職制度は廃止しなければ筋が通りません。皇室典範問題で一躍脚光を浴びている宇佐八幡宮という九州の神社があります。去年、到津克子さんという女性が、この高位の神職である禰宜になられた。この方は今の宮司の一人娘で、将来の宮司と目されています。宇佐八幡宮では、奈良時代にやはり大神杜女(おおがのもりめ)という女の禰宜が存在し、鎌倉時代の終わりまで禰宜は女性の役目だったといいます。
またこの事実はどれだけ知られているかわかりませんけれども、今のところ最後の女性天皇であり、今から僅かに八代前の天皇である後桜町天皇は、女性の身でありながら大嘗祭を立派におやりになっています。これは厳然たる歴史的事実で、天皇ご自身が日記にはっきりと記している。これこそ紛れの無い先例であります。つまり女性天皇の比較的新しい前例は後桜町天皇の例として豊富にあるのですから、女性天皇が出現した場合、具体的行動に関しても心配する必要は全くありません。
私ははっきり言って、女性天皇はもちろん女系天皇でも宜しいと考えます。それは何故かというと、日本国民の親族の在り方が基本的に女系容認だからです。だから今まで皇室には一人も女系の方がいらっしゃらなかったとしても、皇室だけでやってきた慣例は変えて、日本の国民一般と同様に女系容認になって頂いて宜しいのではないかと考えます。それこそが君臣一体ではありませんか。そういう意味で明確に女系容認です。
まとめ 現在日本の根本的問題は何なのか
 女系反対論者すなわち男系絶対主義の方は、「女系天皇になると日本の終りが始まる」と非常に憂慮され、「日本が日本でなくなる」とおっしゃっているようです。それについて私の見解、認識はどういうものかと尋ねられれば、「日本は既にそうなっている」というのが私の答えです。つまり現在において、もう既に日本の終りは始まっているのであり、日本は日本でなくなっているのだというのが私の根本認識なのです。日本の現実を虚心坦懐に直視すれば、現在の日本はすでに精神的に亡国的な状況に落ち込んでいると言わざるを得ません。例えば靖国問題では、歴代の総理大臣、自民党の有力政治家、財界の首脳、そして読売新聞も、小泉首相の参拝に反対するようになりました。これはほんの一例に過ぎません。
それを踏まえた上で、私が皇室典範問題に関連して一番いいたいことは、「男系男子の天皇を頂きながら今日の体たらくは何なのか」、ということにほかなりません。皇室典範問題それ自体については、私としては、積極的にこうしなければいけないという明確な提案はありません。今まで述べてきたように、男系絶対主義を振り回す危険性については、極めて危惧しますけれども、具体的に皇室典範をどう改正したら良いかという事は、私の積極的な関心事ではありません。非常に誤解を受ける言い方かも知れませんけれども、それは日本全体としては大した問題ではないと考えているからです。「女系天皇になったら大変だ」と言うけれども、そもそも現在の皇室には男系男子の天皇陛下が立派にいらっしゃいます。男系男子の天皇陛下を頂いているにもかかわらず、今の日本は民族精神を骨抜きにされ、大和魂の完全な喪失状態ではないのか。それこそが現在の日本における根本的な問題、最大の問題であると考えます。
私はかなり以前から日本は日本でなくなっていると感じていまして、そういった発言を自分なりに行って来ました。その際、「今の日本人は間抜け・腑抜け・腰抜けの三抜け状態だ」と言って来ました。また違った表現としては、今の日本人は「騙され切った猿」だとも言っております。これだけ精神的主体性を喪失するのは、とにかく完璧に騙されているからです。これは主としてシナ人とアメリカ人に騙されていると私は思いますけれども、騙されて諸外国から利用されるだけの民族・国家になってしまっている。
つまり端的に言ってしまえば、現在の日本人は自己を喪失した、完全なる精神的な奴隷であると言わざるを得ません。これも以前から指摘して来た事ですけれども、精神奴隷の悲惨さは普通の労働奴隷と何が一体違うのでしょうか。それは、精神奴隷は自分が奴隷である事に気が付かない、奴隷としての自覚がないことです。労働奴隷は肉体労働にこき使われて可哀そうかも知れませんけれども、自分が奴隷である事を知っている分、まだましなのです。だからローマ帝国のスパルタクスの反乱のように反乱を起せるのですが、精神奴隷の方は騙され切ってしまっていますから反乱も起こせませんし、抵抗も出来ない。それどころか目覚めようとすらしないのです。その状況が続いているのが日本の現状だと思います。歴史上、日本民族がこれほど馬鹿になったことは、かつて無かったでしょう。史上最低の日本といって少しも過言ではありません。
これこそが現在の日本が直面している最大の問題だと判断しますから、議論が沸騰している皇室典範問題については、女性天皇でも女系天皇でも、一向に構わないと考えます。それよりも、男系継承の厳密性において、皇室ですらシナ・朝鮮の一般庶民にも劣るのですから、男系絶対主義を振り回せば振り回すほど、日本の皇室よりも厳密な男系継承をつづけている、シナ人・朝鮮人に頭が上がらなくなる、現在以上に彼らに精神的に隷属してゆく危険性の方を、遥かに危惧する次第です。
(本稿は、本年四月二十七日に文京区民センターで行った講演、「男系絶対主義論の危険性、女系容認こそ日本文明だ」に、適宜、加筆・修正を施したものである)

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