Home > Archives > 1996年5月 Archive

1996年5月 Archive

日本カトリック教団の「戦争の反省」の欺瞞①

<これでは神の僕ではなく白人の僕ではないか>
【月曜評論№1281号 平成8年5月15日】

 

【はじめに】

情報産業というと、現在ではマスコミを考えるのが普通であろうが、より広く情報産業を定義すれば、人間に情報を注入する事を使命とする産業と言うことになる。とすれば、教育は明らかに情報産業であるし、更に歴史的に最も古くから存在する情報産業と言えば、それは宗教である。つまり現在の日本においても、日本人の精神に関わる産業=情報産業には、マスコミ・教育そして宗教がある。現在の日本人の精神的混迷は、情報産業の責任が多大であるが、それにはマスコミ・教育と共に宗教があることは、忘れられがちである。

 では精神的混迷の極みであり典型である歴史問題、すなわち「歴史の反省」問題において、日本の宗教界は如何に発言しているだろうか。仏教では浄土真宗、キリスト教ではプロテスタント系の活発さは有名だが、以下において比較的知られていないカトリックの動向について、私の考えるところを述べてみたい。

続きを読む

  • Comments (Close): 0
  • TrackBack (Close): 0

Index of all entries

Home > Archives > 1996年5月 Archive

検索
Nationalism_botをフォローしましょう

Twitterをお楽しみの方は、
Followしてください。

リンク集
フィード購読リンク
QRコード
 
QR_Code.jpg

このブログを携帯でご覧になれます

ページのトップに戻る