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日本カトリック教団の「戦争の反省」の欺瞞①

<これでは神の僕ではなく白人の僕ではないか>
【月曜評論№1281号 平成8年5月15日】

 

【はじめに】

情報産業というと、現在ではマスコミを考えるのが普通であろうが、より広く情報産業を定義すれば、人間に情報を注入する事を使命とする産業と言うことになる。とすれば、教育は明らかに情報産業であるし、更に歴史的に最も古くから存在する情報産業と言えば、それは宗教である。つまり現在の日本においても、日本人の精神に関わる産業=情報産業には、マスコミ・教育そして宗教がある。現在の日本人の精神的混迷は、情報産業の責任が多大であるが、それにはマスコミ・教育と共に宗教があることは、忘れられがちである。

 では精神的混迷の極みであり典型である歴史問題、すなわち「歴史の反省」問題において、日本の宗教界は如何に発言しているだろうか。仏教では浄土真宗、キリスト教ではプロテスタント系の活発さは有名だが、以下において比較的知られていないカトリックの動向について、私の考えるところを述べてみたい。

【まるで朝日投書欄の戦争感】

 私が最近入手した文献に、『平和への決議―戦後50年にあたって―』なるものがある。

これは平成7年(1995)2月25日の日付で、日本カトリック司教団から信徒・司祭・修道者に宛てて出された教書である。従って私的な文献ではなく、日本のカトリック教団の公式見解であって、カトリック中央協議会が発行主体である。B6判々型の15ページに過ぎない小冊子であるが、日本のカトリック教団の戦争及び歴史に対する考え方を知るためには、根幹的な文献であると言える。

では次にその内容を紹介しよう。前後に、前文と末文があり、本体は3つの部分で構成されている。それは「1、いのちの尊さと戦争」「2、明日を生きるために過去を振り返る」「3、平和実現に向かって」である。すなわち、1で戦争について定義し、2で歴史の反省について述べ、3で今後の指針を語る、という構造になっている。

 戦争の定義については、以下のような説明が列記される。①戦争は、神の創造のわざとたまものの破壊です。②戦争は、人間のいのちの尊さを否定する行為です。③戦争は、家族のかなしみをつくりだします。④戦争は、十字架の愛を踏みにじるものです。⑤戦争は、愛のおきてに背く行為です。⑥戦争に積極的に加担する者は、永遠のいのちへの道を閉ざします。

 一見して分かるように、極めて観念的・一面的な戦争完全否定主義である。このような戦争感は、朝日の投書欄に利口ぶった中高生が自慢げに展開する戦争観に、酷似している。しかしちょっと考えてみれば分かるように、人類の歴史は戦争の歴史にほかならない。人類は戦争の必要があるからこそ戦争をしてきたのである。単なる娯楽として戦争をしてきたのではない。

 そもそもキリスト教の歴史が、戦争の歴史ではないのか。キリスト教徒が戦争が嫌いだとは、とても考えられない。キリスト教徒同志の戦争はさておくとしても、例えばヨーロッパ中世における十字軍の活動は、キリスト教徒がイスラム教徒に対して起こした大規模な戦争である。十字軍の活動は失敗に終わってしまったが、一方イベリア半島においては、「レコンキスタ」と言うキリスト教回復運動を推進して、これには成功した。レコンキスタすなわち再征服であるから、これも戦争そのものである。「日本カトリック司教団は、レコンキスタを否定するのかしないのか」と問われれば、決して否定しないだろう。厳しい戦争否定主義を振り回してみても、結局、御都合主義に堕しているだけなのである。

 

【日本の戦争責任についての告白】

次の歴史の反省の部分が、本書の中核をなしている。第1部は先に見たように、観念的な戦争観の羅列であり、第3部は第2部の歴史認識の上に立った今後の方針だからである。第2部はまた2つの部分で構成されている。①日本人としての責任、②教会共同体としての責任、である。①で注目されるのは、本書の前提として、昭和61年のアジア司教協議会連盟総会での白柳誠一大司教の「日本の戦争責任についての告白」が存在したことである。それはアジア・太平洋地域の2000万を越える死者に責任を感じ反省する、というものであった。本書ではそれを承けて、次のように述べるに至っている。少し長くなるが、大事な部分なので以下に引用する。

「確かに日本軍は、朝鮮半島で、中国で、フィリピンで、その他のさまざまな地域で人々の生活を踏みにじり、長い歳月をかけてつくりあげ、伝えられてきたすばらしい伝統、文化を破壊してしまいました。人々の人間としての尊厳を無視し、その残虐な破壊行為によって、武器を持たない、女性や子どもを含めた、無数の民間人を殺害したのです。わたしたちのごく身近なところには、強制的に朝鮮半島から連行されてきた在日韓国・朝鮮人や元『従軍慰安婦』たちがいます。今もなお怒りと悲しみの叫びをあげているこのかたがたは、第2次世界大戦において日本が加害者であったことをあかす生き証人であります。この事実を率直に認めて謝罪し、今なおアジアの人々に負わされている傷を償っていく責任があります。そしてその責任は新しい世代の日本人にも引き継がれていかなければならないものであることも、ここで新たに強調したいと思います。」

 

【「カトリック教徒」としての反省皆無】

 第2部の②は「教会共同体としての責任」と銘打たれているが、これは日本のカトリック教会の責任表明である。しかしその半分は、「戦前・戦中、日本のカトリック教会は、周りから外国の宗教として冷たい目で見られ、弾圧と迫害を受け、軍部から戦争に協力するよう圧力をかけられており、自由に教会活動を展開することができませんでした。」といった言い訳となっているのが重要な点である。

 そもそも「日本カトリック教徒」という概念は、2つの属性からなっている。言うまでもなく日本人という属性とカトリック教徒という属性である。したがって、第2次大戦という巨大戦争を考える場合、「日本人としての反省」とともに、「カトリック教徒」としての反省がなければならない。しかしここにあるのは、日本人としての反省と日本カトリック教徒の反省があるばかりで、しかも後者は言い訳付きである。第2次大戦は大東亜戦争だけでなく、ヨーロッパでも戦争が行われた。そしてこの戦争において、カトリック教会はファシスト勢力と決して敵対的ではなかったのである。

 

【西洋人の世界侵略とカトリック】

 実は過去500年に渡って、カトリック教徒としての歴史の反省を、心の底から真剣に行えば、大東亜戦争の世界史的意義は、自ずから明確に理解できるはずである。日本のカトリック教会は来年「日本26聖人殉教400年」行事を計画し、またローマ法王庁に殉教者188人の列福申請を行ったという。このように自己の被害者としての歴史には極めて敏感だが、加害者としての歴史の発掘には全く不熱心である。しかしその当時、アメリカ大陸ではアズテカ文明・インカ文明という固有文明が徹底的に破壊され、モンゴロイドの原住民が、むごたらしく殺戮されていった。そしてヨーロッパ人の世界侵略に当たって、キリスト教が極めて偉大な貢献をしたのは、紛れもない事実である。それはいわゆる「大航海時代」だけではない。近代のフランスのインドシナに対する侵略・支配において、カトリック教会は中核的役割を演じた。

 このような欧米白人による世界支配体制を基本的に覆したのが、言うまでもなく大東亜戦争であった。大東亜戦争の世界的意義は、まさにここにある。世界史の大変革すなわち真の革命である。戦争であるから犠牲者はでたが、犠牲なくして変革などありえない。しかも客観的に見て、極めて効率的な変革であった。それは大東亜戦争後のアジアの状況を振り返ればよく分かる。朝鮮戦争・ベトナム戦争・中共の文革・カンボジア大虐殺などで、厖大な人命が犠牲になったにもかかわらず、歴史の進歩には殆ど役立っていないではないか。

 

【カトリック信仰は支配者の武器】

大東亜戦争によって世界史の一大変革は成し遂げられたが、しかし世界の現状はまだ解決すべき問題が山積している。それは本書第3部で、日本カトリック司教団が以下のように指摘する通りであろう。「第二次世界大戦終結から50年たった今、国の内も外も、平和からはほど遠い状況にあります。(中略)国の外では、植民地主義や社会主義体制の後遺症が深刻に残り、富の不公平な分配により南北問題は先鋭化し、民族主義的な紛争が各地に勃発し、経済摩擦や麻薬売買等による国際間の緊張はおさまる気配がありません。」

 では現在の世界で、植民地主義の後遺症どころか、植民地主義そのものが最も温存されているのは一体何処なのか。それは明らかに中南米地域である。中南米地域では、この500年間原住民は虐げられ続けてきた。そして今も差別と貧困に喘いでいる。支配者の最強の武器となったのは、外ならぬカトリック信仰であった。精神を支配してしまうのが、最も確実な支配方法だからである。繰り返して言うが、これは過去の問題ではなく現在只今の問題である。

日本のカトリック教徒が、この明白な不正義に気が付かないとしたら、それは彼らが神の僕というよりも、白人の精神的な僕だからであろう。つまり頭が白人化されているのである。日本のカトリック教徒が「日本人としての反省」と言うとき、自分たちは日本人の中に含まれていないのである。だから気軽に「日本人としての反省」を口に出来るのだ。では白人化された頭で真剣に反省するかと言えば、それもしない。だからカトリックの歴史的不正義どころか、現実的不正義に対しても、目を閉ざし口を閉ざすのだ。

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