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2014年10月 Archive
いまなすべきことは、精神的敗北の現実を直視し、反撃すること
酒井信彦(元東京大学教授) 『伝統と革新』16号 平成26年7月1日 たちばな出版
1、二つの大戦と歴史の進歩
今年は1914年に第一次世界大戦が起こってから、ちょうど100年になる。20世紀の前半に起こった、第一次・第二次の世界大戦は、膨大な犠牲者を出し点では悲惨であるが、それが歴史の進歩に大きく影響したことも、同時に明らかな事実である。
第一次大戦は、バルカン半島の民族問題を切っ掛けに起こった。そのため終結にあたって、アメリカ大統領ウィルソンの提案に民族自決の原則が謳われ、ヴェルサイユ講和会議によって、東ヨーロッパに、フィンランド、バルト三国、ポーランド、ハンガリー、チェコスロバキア、ユーゴスラビアの八つの独立国が一挙に誕生した。その結果ドイツ帝国、オーストリア帝国、ロシア帝国、トルコ帝国の四つの帝国が消滅した。この民族独立こそ、第一次世界大戦の歴史的意義と言える。
ただしこの時この原則が適用されたのは、ヨーロッパのみであって、広大な列強の植民地の民族は独立できなかった。それは歴史的な課題として残されたのである。
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戦国時代の朝廷 朝廷の「式微(しきび)」は真実か
酒井信彦(元東京大学史料編纂所教授) 『日本及び日本人』1643号から 平成14年(2002年1月)
一、はじめに
天皇、皇后両陛下が参列して行われた「歌会始の儀」=宮殿・松の間(平成26年1月15日)、室町における宮中歌会始は今に至るまで連綿と続いている。今年のお題は「静」だった。本稿「四、皇室・朝廷の歴史における戦国期の意味」参照 御製 皇后陛下御歌 |
朝廷の研究はその重要性にもかかわらず、日本史の研究の中では戦前・戦後を通じて、比較的遅れている分野であると言わざるを得ない。その理由として考えられるのは、戦前の場合は、皇室尊崇の立場から、客観的に研究することを惧れ多いと憚る雰囲気があったこと、戦後の場合は全く反対に、左翼史観の影響で、反動的対象を研究すること自体が反動的だと決めつける空気が存在したからであろう。(ただし近年左翼史観の凋落に伴って、タブー視も漸く薄れてきた傾向はある。)さらにそれだけではなく、戦前・戦後を通じて、朝廷の研究が低調だった理由として、権力中心史観が考えられる。すなわち権力なき存在は重要な存在ではなく、従って研究に値しないという発想である。つまり古代律令時代はともかく、権力を失った中世以後の朝廷の研究は、重要性がないと判断するのである。しかしこのような史観は、とりわけ朝廷の研究において、全く不適切だと私は思う。朝廷の存在の意味は、権力喪失の状況にこそ却って明瞭に現れていると考えるからである。そこで本稿では、一般に朝廷が最も衰微したとされる戦国時代の朝廷を取り上げ、以上の点を具体的に説明することにしたい。
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近世初期に開花した朝廷文化の力
- 2014年10月17日 13:24
- 国民新聞
『国民新聞』平成26年9月5日
応仁の乱から豊臣秀吉の天下統一まで、約百年間が戦国時代である。この間の朝廷・皇室の歴史は、実はあまり研究が進んでいない。それは戦前では皇室尊崇史観のため、戦後では左翼史観のために、研究の価値が乏しいと考えられたからである。例えば、戦前は戦国時代の朝廷について、「式微」とういことが頻りに言われた。式微とは「詩経」に由来する言葉で、甚だしい衰退を意味する。つまり皇国史観の立場からは、重要性のない時代とされてしまったのである。
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