『月刊日本』2018年6月号 酒井信彦の偽善主義を斬る 2018年5月22日
5月6日の朝日新聞朝刊の「憲法を考える」の連載で、「揺れる価値」シリーズの第四回目、見出しが「女性専用車に『逆差別』主張」との記事がある。これがとても面白い。
リードは「偏見やハンディを克服しようと特別な対応をすると、『逆差別だ』と言われてしまうことがある。憲法14条は『法の下の平等』と『差別の禁止』をうたうが、空気のように社会に残る差別が、見えにくくなってはいないだろうか。男女差別を例に考えた。(高重治香)」。
記事の冒頭は、「2月、東京メトロ千代田線の女性専用車に男性たちが乗り、電車が遅れたというニュースがあった。男性たちのグループのブログには、『男性差別』『痴漢でない男性を追い出すのは憲法14条違反』と書かれていた。たった1両の専用車が、憲法を持ち出すほど許せないのはなぜなのか。メンバー2人に会い、3時間話した」とある。
65歳の代表は、就職に苦労したので、年齢制限をなくす運動に取り組んでおり、女性に対するクオーター制にも反対している。もう一人の43歳の男性は、男として冷遇されてばかりだと話したという。高重記者が「女性は差別されてきた歴史があり、地位を引き上げても男性と平等になるだけでは」と聞くと、代表は「社会全体に女性差別があったのは戦前の話。落ち度がない今の男性が差別されるのは、不合理だ」と答えたという。3時間も取材した割には、相手の言い分は少な目だが、代表の主張はリーズナブルである。
高重治香記者のメンタリティーは、次のような記述にもよく表れている、「差別は今も社会に充満する。(中略)救命のため土俵に上がれば下りろと言われる。衆議院議員は約9割が男性で、記者がセクハラを訴えると、大臣が『はめられたというご意見もある』と言い放つ・・・。」最近の話題も盛り込んだ、極めて感情的な表現である。
次いで政治学者による男子学生の無理解さが紹介される。その中で中共からの留学生は、専用車やクオーター制に反対で、日本の女性は社会的弱者ではないという。この学生の発言に続きがあって、「ただ、中国の仲間内では、セクハラや産後の復職の難しさを理由に、『女子は日本に留学しない方がいい』と言われていたという」とある。実際に留学して日本の実情を見ている学生の意見こそ重要で、中共での噂など何の意味もないのに、この最後の部分を、わざわざ付けくわえている。
さらに法哲学者、憲法学者の意見が紹介されているが、末尾のまとめはつぎのようである。「どんな状態が『平等』で何が『差別』なのか、憲法に答えは書いていない。ただ、『足かせ』を何とか外そうと、もがき続ける女性が今も多いのは事実だ。大臣までがそれを直視しない社会は、やはりおかしい」。
写真のキャプションによると、女性専用車は京王線が2000年にテスト運行し、翌年か本格導入した。つまりすでに20年近くも、女性専用車が運航されているわけである。
東京メトロの千代田線と言えば、かなり多数(10両か?)の車両を連結しているはずである。その中で女性専用車が一両と言うのでは、あまりにも少なすぎる。女性を痴漢被害から救うのが目的であるのなら、女性乗客の割合に比例した車両数を用意しなければおかしいのである。一般車両の女性客は、痴漢被害から救わなくても良いらしい。鉄道側も、とても真剣にやっているとは考えられない。つまり、これこそ甚だしい偽善そのものである。
ところで最近、LGBT問題が結構話題になっている。朝日新聞はかなり熱心に同情的に報道しているようで、そのうちのLは、レズビアンである。では女性の同性愛者が、女性専用車に乗り込んでいたらどうなるのか。女性が女性に対して、痴漢行為(正確には痴女行為か)を働くことになるであろう。そのような人間にとって、女性専用車は、まことにうってつけの犯行現場になる。
それにしても、この記事の中で、外国の事例が全く紹介されていないのは、まことに奇妙である。外国の事例を挙げて、日本を批判・攻撃するのは、朝日新聞が最も得意とする、お家芸のはずである。と言うことは、外国では女性専用車など、ほとんど存在していないのに違いない。
女性専用車と言う発想そのものが、根本的に間違っているのである。電車に痴漢が紛れ込んでいること自体、女性に対する差別では全くない。それを差別と言うのは、虚偽であり、それこそが、男性に対する、卑劣きわまる、謂われなき差別そのものである。要するにメディアの煽動によって、鉄道会社が女性専用車を嫌々運行しているに過ぎない。これも平成ダマクラシー時代に生まれた、珍現象の一つであろう。
← 酒井信彦 著『虐日偽善に狂う朝日新聞―偏見と差別の朝日的思考と精神構造』(日新報道 2013/08出版)
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