『月刊日本』2018年10月号 酒井信彦の偽善主義を斬る 2018年9月22日
朝日新聞はこのところ、平成時代を回顧する記事を、「平成とは」のアイコンのもとに掲載しているが、9月3日から6日まで、第三部「うつろう空気」として四回連載している。そのテーマは「沖縄」「外国人」「メディア」「世代」で、「沖縄」で基地問題への冷静な見方を紹介しているように、従来の主張を修正する動きがうかがわれる。「メディア」、特に「世代」には、朝日による「敗北宣言」と言うべき論調が観取される。なお各回で担当記者は変わり、簡単な自己紹介が付いている。
「メディア」では前半で産経の雑誌「正論」の編集長を勤めた大島信三へのインタビューをのせ、平成になって保守言論が読者の支持を得てきた状況を紹介する。朝日としては極めて異例であろう。
後半はテレビの問題に移り、「朝まで生テレビ」などが言及されるが、最も注目しているのが「たかじんのそこまで言って委員会」で、これはノンフィクションライター・西岡研介によって、「『ぶっちゃけ』の名の下に、『敵』に対する差別的で排外的な気分をあおってきた番組だ」と徹底的に批判されるが、製作者側の見解は全く出さない。
またメディアコンサルタントの境治は、「在京キー局の情報番組などを調べたところ、森友学園問題や日大アメフット部のタックル問題など一つの話題を集中的に伝える傾向が、ここ数年で強まっているのを確認した」「『悪役』が誰かわかりやすい話題が好まれる。常にたたける相手を探し、徹底的に打ちのめす傾向が社会的に強まっているのではないか」と言っているが、この現象こそ、別に最近のことではなく、朝日新聞が以前からとってきた報道姿勢に他ならない。すなわち朝日による、ジャパンバッシングである。
一方的批判だけではまずいと思ったのか、末尾近くで東海大学教授・水島久光を登場させて、意見を異にする「相手に対し、『それって本当に幸福ですか?』と語りかけてみたらどうか」と提案させる。これを受けて39歳の河村能宏記者は、「気に入らなければ、自分の正義を掲げたくなるかもしれない。でも正義に絶対はない。そんなときこそ、他者の幸福に思いをめぐらせたい」とまとめるが、それこそ朝日新聞に対して「幸福ですか?」と問いたい。
「世代」では、52歳の真鍋弘樹記者が、冒頭で「気温35度の土曜日。額から汗を垂らしながらビラを配る年長世代を、若者たちが軽い身のこなしでひらりと避ける。見ていて、いたたまれない気持ちになる」と述べる。ここに真鍋記者の、基本的メンタリティーが表れている。この年長者は、シールズをまねした、オールズという老人グループだという。
次いで若者の意識の変化の例として、自民党を支持する、学習院大の男子学生と東京学芸大の女子学生が、紹介される。男子学生は、「政権支持イコール保守化ではない」と言い、女子学生は「憲法9条で日本が守られているとは思えない」と言う。シールズの正反対である。
早大准教授・遠藤昌久の政治意識の調査によると、若者では保守と革新の理解が、以前とは逆転しており、それは30代から40代にまで、及んでいるという。25歳で練馬区長選に立候補した田中将介は、「反安倍」を連呼するデモや野党のあり方には違和感を抱き続けてきた。
若者は将来に不安を抱いているからこそ、現状を変えなければならないと思っているとして、真鍋記者は次のように述べざるを得なくなる。「それを理解していなかった私に、耳の痛い意見を述べる人がいた」と言って、「リベラルは本来はより良い未来を語る思想のはずなのに、日本では現状を変えることに頑強に反対している」と、作家・橘玲の言を紹介している。
しかしこれはあまりにも当然のことであり、気が付かない方がおかしいのである。私は本誌で何度も言ったと思うが、「欽定憲法」ならぬ「米定憲法」を、「不磨の大典」として押し戴く人間は、超保守に決まっているのである。
真鍋記者は末尾でこのように言う。「今の若者たちは未来を案じるからこそ、安定と同時に変化を求めている。ときに不可解に映っても、それがこの世代のリアルだろう。世代や政治的立場で分断線を引くことなく若い目から見える光景を共有したい。」これは、ついこの間まで、「アベ政治を許さない」シールズを大宣伝して、煽りに煽っていた朝日新聞としては、明らかな「敗北宣言」と言って良い。ただしそれが、朝日全体としてどれだけ共有されるのか、甚だ疑問であるが。
なおメディアの回で、新聞もテレビも、信頼度が凋落しているグラフを出しながら、それについての説明は全くない。
← 酒井信彦 著『虐日偽善に狂う朝日新聞―偏見と差別の朝日的思考と精神構造』(日新報道 2013/08出版)
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