『月刊日本』2018年12月号 酒井信彦の偽善主義を斬る 2018年11月22日
11月4日の朝日新聞に編集委員の二人による、共通のテーマを扱ったコラムが掲載されている。一つは総合3面の「日曜に想う」欄で、福島申二による「負の言葉の魔力 世界が注視」というもの。もう一つは文化・文芸欄の、石飛徳樹による「評 マイケル・ムーア監督『華氏119』 とことん過激なプロパガンダ」というものである。共通のテーマというのは、福島のものもムーアの映画に言及しており、さらに結局はトランプ大統領批判となっているからである。つまり目前に迫っていた、アメリカの中間選挙を意識してかかれたものである。
マイケル・ムーアに入る前に、港湾労働者で「波止場の哲人」と呼ばれた、米人エリック・ホッファーの言を、福島は紹介している。福島は「ネガティブな言葉が秘める魔力はあなどれない」として、ホッファーの「わずかな悪意がどれほど観念や意見の浸透力を高めるかは注目に値する。われわれの耳は仲間についての冷笑や悪評に、不思議なほど波長があうようだ」と、「ある人々から憎悪を取り除いてみたまえ。彼らは信念なき人間になるだろう」の二つの文言を引用する。
そして福島は、「古今東西、そうした魔力を熟知し、負のレトリックを操って民衆の情念を大動員した魔術師は少なくない。歴史に照らせば、聴衆に、自分たちは何かの『犠牲者』であるという意識を吹き込むのが煽動の常套らしい(トランプ氏のスタイルもそうだ)。それらは希望を呼ぶ甘言とセットで語られ、ヒトラーのドイツをはじめ幾多の悲劇を生んだのは、過去が教えるとおりである」と述べる。結局、トランプとヒトラーを結びつけるわけである。何か小難しい言い方をしているが、福島自身が「幾多の悲劇」というように、極めて普遍的に存在する現象に過ぎない。共産主義者の論法はその典型であるし、「負の言葉の魔力」は、朝日自身がさんざん使っている。
石飛は、「『華氏119』には過去のムーア作品と異なる点がある。彼はトランプを斬った刀で、民主党や大手メディアなどリベラルエリートにも鋭く斬り込んでいく。これがめっぽう面白い。そして、全体の印象をいつもより複雑にしている」という。映画の冒頭では、2016年大統領選の前、民主党の勝利を信じ切っていた、「リベラル側の浮かれ具合が、痛烈な皮肉とともに容赦なく描かれる。この映画を見て悶絶するのは、トランプよりもヒラリー・クリントンやオバマ前大統領の方だとさえ思える」と指摘する。
しかし一方、福島はこれとは違ったことを言っている。「ムーア氏に取材で会ったのは14年前になる。イラク戦争に突っ走ったブッシュ政権を痛烈に批判した『華氏911』についてこう語っていた。『映画で描こうとした本当の悪漢はブッシュじゃない。戦争をあおったアメリカの主流メディアだよ。怒りの矛先はむしろそっちだ』。」つまりムーアはずっと以前から、アメリカのリベラルを徹底的に、批判していたというのである。ただし両者に共通しているのは、ムーアがリベラルを批判・攻撃していることを、明確に指摘している点である。
石飛の論で興味深いところは、ムーアの手法を、プロパガンダと断言していることである。冒頭近くで「彼は世界を『善』『悪』に二分する。そして『悪』を攻撃する材料を並べる。この手の作品を私たちはプロパガンダと呼ぶ」と言い、最新作を、「ここまでプロパガンダを徹底すれば、あっぱれというべきだろう」と言う。「ムーアは、トランプを生んだ土壌とヒトラーのそれが似ていると指摘する。(中略)今の米国が必要としているのは冷静なドキュメンタリーなどではなく、どこまでも過激なプロパガンダなのだ」。さらに「トランプはヒトラーに似ている。しかしもっとも似ているのはムーア自身だ。民衆の感情に訴えて行動に駆り立てる手法は2人に共通する」ということになる。
このプロパガンダの手法こそ、朝日新聞が日常的にやっている、報道の基本姿勢である。近年の、安保法制反対、特定秘密法反対、モリカケ報道こそ、素晴らしいプロパガンダである。つまり朝日は、ムーアに似ているし、トランプにもヒトラーに似ているのである。ただし朝日がムーアと決定的に異なるのは、リベラルを批判しない点である。それは当然で、朝日自身が日本の既成リベラル、正確に言えば似非リベラルの中核的存在であるからである。
ムーアに批判されるアメリカのリベラルであっても、日本のリベラルに比較すれば、はるかに健康的ではないのか。日本の似非リベラルのように、自国・自民族を貶めることに熱狂するほど、愚かではないであろうから。
← 酒井信彦 著『虐日偽善に狂う朝日新聞―偏見と差別の朝日的思考と精神構造』(日新報道 2013/08出版)
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