『月刊日本』2020年3月号 酒井信彦の偽善主義を斬る 2020年2月22日
1月26日の朝日新聞朝刊の、天声人語と社説余滴はそれぞれ、奇しくも、と言うより意図的・計画的なのであろうが、日韓関係の現状を憂慮して活動する、二人の日本女性を取り上げている。
天声人語の方は、戦争中に立教大学に留学したが、治安維持法で捕まり獄中で亡くなった、尹東柱と言う朝鮮人詩人の作品を朗読する会を続けている、「詩人尹東柱を記念する立教の会」の楊原泰子さん(74)である。毎年2月16日の命日のころに、大学で朗読会を開いてきた。
社会社説担当の中野晃記者による、「柳宗悦の思いを継ぐ」と題する文は、朝鮮の運命に同情した柳に言及し、その思いを継承する人物として、京都市の大学院生である野々村ゆかりさん(57)を紹介する。
ゆかりさんは、日本統治下の朝鮮半島北部で生まれ育った実母(83)から、当時の様子について聞き取り調査を続けている。「祖父や母が体験したことに迫りたいと、野々村さんは、朝鮮からの引き揚げ者も加わる『京都戦争体験を語り継ぐ会』に参加。この夏も戦争や植民地の実相を若い世代に伝えるイベントを開く準備を進めている」という。
ゆかりさんの曽祖父と祖父は朝鮮総督府所属官署で要職を務めた人間で、実母は日本人のみの鉄道局官舎で暮らしたというから、官署と言うのは鉄道なのだろう。そして「幹部の娘だった母は戦争中も白米やカステラを口にしていた。(中略)裕福な生活は45年の敗戦で一変」とあるので、内地よりよほど安楽な生活だったわけである。「日本の侵略に関わっていたと思うと複雑な気持ち」と言う母親の言葉は、文字通り取って付けたようで白々しい。
この天声人語と社説余滴の二つの文章の価値は、書いた人間の精神の貧しさ、本質的な愚かさが、見事に表れていることである。
天声人語は、「翻ってみて昨今のささくれだった日韓関係は何なのか。巷にあふれる韓国の人々への侮蔑にみちた表現。すさんだ非難の応酬」と述べる。中野論説委員は、「今、隣国を見下し、支配の歴史に背を向けんとする言説があふれかえるのを見て、柳はどう思うか」と言う。
しかしこの決めつけ方は、事実と全く逆ではないか。今から約三十年前から、慰安婦問題を口実に、韓国人は国を挙げて日本を攻撃し、いくら日本側が謝罪を述べても、何度も蒸し返して、歴史問題を徹底的に利用してきた。韓国ではずっと以前に、「キル・ジャップ」と、最大級のヘイトスピーチが、叫ばれていた。日本側はそれに対して、極めて遠慮がちに、反論をしてきたにすぎない。
そもそも慰安婦問題をでっち挙げたのは、朝日新聞そのものである。中野記者は、柳の1920年の論文について、「朝鮮を『奴隷』にし、同化政策をとる日本の姿勢を問うた」といっている。一応、奴隷に括弧を付けているが、これはあまりにも事実とかけ離れた、歴史の偽造である。そこで直ちに想起されるのが、単純明快な売春婦を、「性奴隷」であると表現した、2000年の「日本軍性奴隷制を裁く女性国際戦犯法廷」である。この犯罪的なイベントによって、慰安婦性奴隷説は世界中に流布され、いまだにこの冤罪は晴らされるどころか、慰安婦像は世界に拡散している。奴隷というのなら、日本人こそ性奴隷説によって、「精神的奴隷」させられているのである。
天声人語の末尾は、「『行く言葉が美しくてこそ返る言葉も美しい』。詩人の茨木のり子さんが『ハングルへの旅』で伝えた韓国のことわざを思い出す。尹の詩をよみ、こうつぶやいてみる。私たちの言葉よ、かの国にとどけ、美しく。」である。
社説余滴の末尾は、「歴史と向き合い、継承する取り組みがある限り、柳が望んだ『朝鮮と日本との間に心からの友情が交される時』は来ると信じたい」となっている。
二つとも、まことに美しい言葉と言えるだろう。しかし美しい言葉が大事と言いながら、二人が日本を罵り続ける言葉は、限りなく醜悪である。しかしその自覚は全くない。この虐日偽善的言論こそ、韓国人を一貫して付け上がらせて、日韓関係を破壊してきた元凶であり、友好を阻害している張本人こそ、この二つの文章の執筆者のような、朝日イデオロギーの具現者である。
一方、韓国では、真実に目覚めた人々の主張が、ようやく一定の力を持ち始めている。日本でもベストセラーになっている、『反日種族主義』の著者である、李栄薫氏に代表されるように。韓国の現実の中で、それらの人々の誠実さと勇気は、まことに敬服に値する。それとは全く逆に、完全に破産した、虐日偽善主義にいつまでもしがみつく、朝日的言論人の存在こそ、日本人として最大の屈辱である。
← 酒井信彦 著『虐日偽善に狂う朝日新聞―偏見と差別の朝日的思考と精神構造』(日新報道 2013/08出版)
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