『月刊日本』2022年3月号 酒井信彦の偽善主義を斬る 2022年2月22日
2月1日に石原慎太郎氏が亡くなった。作家であり同時に政治家でもあった、石原氏の多彩な活動については、2月2日の各紙朝刊に報じられている。高齢なためか、事前に予定稿が準備されていたのだろう、その記事はかなり詳しい内容であった。中でも産経新聞が特に詳細であったのは、その論調から言っても当然のことであった。
その際に産経が石原氏の活動の中核と指摘しているのが、憲法改正問題であった。それをよく示しているのが、2日一面中央に掲載された、内藤慎二記者による一文である。比較的まとまっていると思われるから、以下に紹介しておくことにする。
見出しは「自主憲法こだわった政治家人生」あり、冒頭部分は、以下のように述べられている。「石原慎太郎氏の政治家人生は憲法を抜きにして語ることができない。『日本は国家としての明確な意思表示ができない去勢された宦官のような国家になり果てている』。平成7年、議員在職25年の永年表彰でこう嘆いて辞職しながら、東京都知事を経て、80歳で24年に国政に電撃復帰。その理由については周囲に『自主憲法制定を実現するためだ』と説明していた」。
さらに中段には「周囲をあっと驚かせる言動ばかりが目立つが、背骨として貫かれていたのは『自主憲法制定』だった。石原氏が好んで使ったこの表現は、『憲法改正』よりも抜本的かつ能動的なニュアンスがある。そこからは、現実的な感覚として骨身に刻み込まれた敗戦国の悲哀が透ける」として、東京裁判を傍聴にいって、進駐軍の憲兵に怒鳴られた経験が紹介される。
末尾では、石原氏がたびたび指摘していた、憲法の文章の助詞の誤用に対する違和感に及び、そこに政治家と文学者の結合を見ている。
ところで産経は実に数多くの石原発言を紹介しているが、私が石原氏の言葉として最も印象に残るのは、先に引用した「去勢された宦官のような国家になり果てている」という発言である。その言葉が発せられた平成7年は1995年だから、阪神淡路大震災の年であり、それから27年もたっている。
日本はこの1995年以降、いわゆるバブル経済の崩壊により唯一の自慢であった経済の繁栄にも失敗して、さらなる衰退・没落を経験して現在に至るわけである。つまり現在は宦官ですらなく、完全な精神奴隷と言うべき存在になっている。
その端的な表れが、石原氏が死去した2月1日には、まさに国会で採択された人権決議に他ならない。以前から世界的に批難されている、中国のウイグルにおけるジェノサイドが問題であるにも拘わらず、「中国」と明確に名指しができず、「人権侵害」と言えずに、漠然とした「人権状況」と表現する、原案から極めて後退したものになってしまったのである。
2日の朝日新聞の石原氏に関する岡本智記者による評伝は、見出しに「改憲こだわり続けた末」とあるように、否定的に述べているが、文中には「なぜ、憲法にこだわったのか。10年ほど前に石原氏に聞いた際、返ってきたのが、交友があった三島由紀夫、岡本太郎、江藤淳らの名前だった。個性派ぞろいの活気ある日本が、気づけば『自信を喪失した自立性なき世の中になってしまった』と語った。その象徴が『米国に押しつけられた』日本国憲法というのだ」との記述がある。
つまり石原氏の考えは、三島由紀夫の思想とまったく同じであることだ。三島の憲法観については、本誌2020年12月号において、紹介したことがある。自決の年の2月19日に行われた、ジョン・ベスターによるインタビューだが、今まで知られていなかったものが、近年出版・公開された。それが『告白―三島由紀夫未公開インタビュー』(講談社、2017年)である。
三島が抱く戦後社会に対する圧倒的な不信は、「偽善」という言葉で表現さている。戦後日本のうわべだけを取り繕って、きれいごとで済ませる偽善に、たびたび言及している。そしてその偽善の根源こそ、日本国憲法に他ならない。三島は、「憲法は日本人に死ねと言っているのだ」とまで断言するのである。
三島が自決したのは50年以上も以前のことである。その後日本は憲法を改正できず、死に至る道を順調に歩んできたわけである。先に見たように、石原氏は平成7年に、去勢されて宦官のようになっていると言っているわけである。
その石原氏の言明からさらに20数年以上も経過して、日本の精神的な腐敗・堕落・混迷は、比較にならないほど深まっている。精神的には三島の言うように、憲法によって殺されてしまっているのかもしれない。少なくとも片足は棺桶に突っ込んでいることは確かだろう。
← 酒井信彦 著『虐日偽善に狂う朝日新聞―偏見と差別の朝日的思考と精神構造』(日新報道 2013/08出版)