『月刊日本』2022年6月号 酒井信彦の偽善主義を斬る 2022年5月20日
ロシアのプーチン政権による、対ウクライナ侵略戦争において、5月9日の対独戦争勝利の日が話題になった。現在では革命記念日に代わって、ロシアにおける最大の祝日になっており、それをしたのがプーチン大統領であるという。
ソ連が戦った第二次世界大戦において、ソ連の対独戦争を一般には「独ソ戦」と言うのであるが、ソ連・ロシアでは「大祖国戦争と」呼ぶ。これはナポレオンのロシア遠征を撃退した戦争を、「祖国戦争」と呼ぶことに倣ったものである。
この大祖国戦争はいつ開始されたものかと言えば、1941年6月に、ドイツがソ連に対する攻撃を始めてからである。つまり1939年9月1日に、ヒトラーのナチス・ドイツがポーランド侵略を開始したことによって、第二次世界大戦がはじまったが、あくまでもヨーロッパ中心に考えるから、その前に始まっていた日中戦争は含まないわけである。
ヒトラーはポーランドを侵略するにあたって、その直前39年8月に、ソ連との間に独ソ不可侵条約を結んだ。当時の日本の総理大臣であった、平沼騏一郎が「欧州の情勢複雑怪奇なり」と言って、総辞職した原因となった条約である。その一年半後に、ドイツがこの条約を廃棄して、独ソ戦争が始まったわけである。
この39年9月から41年6月までの間に、ドイツはポーランドを降伏させただけでなく、翌40年4月には、デンマーク・ノルウェーを攻略し、5月にはオランダ・ベルギーの中立を無視して、マジノ線を突破してフランスに攻め込み、6月14日にはパリが陥落して、同25日はフランスはドイツに降伏した。このように西部戦線を一応片づけたうえで、対ソ戦争に踏み切ったわけである。
ではこの間にソ連は何をしていたのか。ソ連はドイツと不可侵条約を結んだのであるが、これには秘密協定が付いていて、ポーランドを独ソ両国で占領するというものだった。これが名高いポーランド分割である。ソ連は39年11月にはフィンランドに進撃して戦争になるが、弱小国フィンランドの意外な抵抗にあって苦戦する。40年6月にはルーマニアから、ベッサラビア・北ブゴヴィナ地方を奪い取る。7月にはバルト三国を併合する。つまりソ連は独ソ開戦以前に、これだけの侵略行為を行っていたわけである。
今回のウクライナ侵略戦争において、プーチンは戦争目的として、ウクライナのナチス勢力の掃討を掲げ、現代ナチスとの戦いを強調して、その理屈に沿って、二次大戦におけるソ連によるナチス撲滅の功績を、最大のセールスポイントとする。しかし、独ソ戦争の期間はともかく、大戦の前半期間においては、ソ連はナチス・ドイツと完全に共犯関係にあったことは、否定しようのない事実である。つまりソ連は、ナチス・ドイツを強大化させるために、絶大な貢献をしたのである。
ところで、今回のウクライナ侵略戦争の報道において、この明白単純な事実が、驚くほど報道されていない。現在の日本人は歴史に関する正確な事実に無知であるが、それはメディアの責任であると言わなければならない。それは日本の学界やメディアの世界では、ソ連の崩壊後30年もたつというのに、いまだに左翼の影響力が強いからであろう。
ヒトラーはヴェルサイユ体制の否定を企てて失敗したが、スターリンは見事に成功を収めた。その証拠こそ、第一次大戦後に独立した、バルト三国の再侵略・再併合である。単に領土を回復しただけでなく、占領地域に共産政権を作り上げ、衛星国として勢力範囲を拡大した。それができたのは、ナチス打倒の功績に免じて、アメリカが承認・黙認したからである。ただし戦後すぐに仲たがいして、冷戦がはじまる。
そのソ連が崩壊したのが約30年前であるが、欧米はまた同じような過ちを繰り返す。それはプーチンの旧ソ連という「悪の帝国」を復活させるという、時代錯誤の野望に対して、多くの兆候があったにも拘わらず、極めて鈍感だったことである。特に敗戦国であったドイツがそうであり、中でも東独出身のメルケル首相に顕著であった。
また欧米諸国がプーチンに甘かったのは、第二次大戦中の歴史の弱みが影響しているだろう。英仏両国は、ドイツのポーランド侵略の直後に宣戦布告をしながら、ドイツを攻撃しなかった。ドイツに責められてからようやく戦ったのだが、たちまち敗北してしまった。アメリカもなかなか参戦せずに、ドイツと開戦したのは真珠湾攻撃によって、日米戦が始まったからである。
要するに、現在のロシアは紛れもないナチズム国家であり、プーチンは現代のスターリン、そしてヒトラーである。
← 酒井信彦 著『虐日偽善に狂う朝日新聞―偏見と差別の朝日的思考と精神構造』(日新報道 2013/08出版)
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