- 2015年2月24日 17:26
- 月刊日本 羅針盤
『月刊日本』2015年3月号 羅針盤 2015年2月22日
「イスラム国」による日本人人質拘束、次いで殺害事件で、文字通りの大騒ぎになった。新聞は連日この問題だけで、何ページもの紙面を埋め尽くした。テレビ特に民放は報道番組と、ワイドショー番組で、イスラム国制作の、オレンジ色の囚人服を着せられた人質映像を、繰り返し大量に垂れ流した。
しかし今回の事件は、これほど大騒ぎするほどの事件であったとは、とても考えられない。アルジェリアで、イスラム系の武装組織により、プラント建設会社「日揮」の社員が十人も殺害されたのは、わずかに二年前のことに過ぎないが、すっかり忘れてしまっているようである。とりわけ中東地域で、イスラム武装集団による危険が存在することは、余りにも自明なことであり、今回の被害者は二人とも自らの意志で、わざわざ最も危険な気域に飛び込んでいった訳である。
「イスラム国」と日本との関係が話題になったのは、昨年、北海道大学の学生が同組織の兵士に志願しているとの情報であった。つまりこの時は日本人が加害者側になることで、問題視されたのである。ただし、この日本人がイスラム側について、武力闘争をするという事例は、すでに四十年以上も前に、立派に存在しているのである。一九七二年五月三十日、イスラエルの首都であったテルアビブのロッド空港で、日本の赤軍派三人が、自動小銃を乱射して、搭乗客など二十六人を殺害した。犯人はアラブの世界では英雄になった。
国内における無差別テロとしては、ちょうど二十年前のオウムによる地下鉄サリン事件が知られているが、ロッド空港事件の頃には、日本の極左勢力は、国内においても日本人を標的にした無差別爆弾テロを、盛んにやっていたのである。その代表的なものが。一九七四年八月三十日の三菱重工爆破事件である。当時丸の内にあった三菱重工の玄関に置かれた強力爆弾が爆発し、八人が死亡し、ビルの窓ガラスが凶器として降り注ぎ、何百人もの重軽傷者が出た事件である。これほどの重大事件でも、回顧されることはないから、今では全く忘れ去られている。
今回の虐殺事件では、安倍首相が中東でテロを批判し、人道的支援を表明したために、虐殺の引き金を引いたなどとの批判があるようだが、それを言うのなら、そもそも白痴的平和主義者の主張こそが、日本人へのテロを引き起こしたと言えるだろう。なぜなら、彼らは日本の平和主義の蔓延を良く理解していて、日本は人質の身代金を簡単に出すと判断したと、考えることができるからである。
日本のマスコミは、中共や北朝鮮の一方的な主張を、批判することなく、そのまま報道するのが常態であるが、これは今回の「イスラム国」報道にも全く当てはまる。要するに愚かなマスコミの集中豪雨的な大報道は、「イスラム国」の大宣伝をやっているわけである。今回の虐殺事件をめぐる、人命が何より大事だとの大合唱を、私は全く信用する気にならない。本当に人命が大切だと思っているのなら、あの無神経極まりない人質映像の垂れ流しなど、できるはずがないのだ。
それだけではない、更に明白な理由がある。人質問題で日本中が大騒ぎしていたまさにその最中の一月二十七日に、名古屋で一人の老人女性の遺体が警察により確認され、殺人犯が逮捕された。その犯人こそ名古屋大学の女子学生で、動機は人を殺してみたかったからというものだった。ただしこの事件は、人質事件の陰に隠されて、極めて簡略に報道されたに過ぎなかった。
しかしこの殺人事件こそ日本にとって、人質虐殺事件よりはるかに重大な意味を持つのではないか。テロリストが人を殺すのは、別に何の不思議もない。しかし結構成績の良いであろう女子学生が、人を殺してみたかったから殺したというのは、まことに異常である。
また二月三日には、七人の犠牲者を出した、秋葉原無差別殺傷事件の犯人の死刑が確定した。産経新聞によると、ネット上では犯人に共感する書き込みが続いているという。これらの犯人や共感者の存在こそ、現代の日本が抱える精神病理の端的な表れである。この深刻な問題について、社会的背景など根本的原因の究明を行うことこそ、マスコミに課せられた重要な使命のはずである。
今回の人質虐殺事件は、事件そのものより、現在の日本が如何に精神的に頽廃しているか、白痴化しているかを如実に証明したという意味では、大事件と言うことができる。
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