- 2016年9月19日 11:44
- 月刊日本 羅針盤
『月刊日本』2016年10月号 羅針盤 2016年9月
朝日新聞は、各種の紙面で政治的主張を展開するが、「文化・文芸」欄でもそれは良く見られる現象である。8月23日もその例で、天皇陛下の退位ご発言に関連させて、「『天皇と戦争』どう考える」をテーマにした。筆者は、高重治香記者。
リードで、「退位の意向をにじませるお気持ちを表明した天皇陛下はこれまで、国内外で戦死者の慰霊を重ね、反省の念を示してきた。その足跡からは戦争に向き合ってきた姿勢が浮かぶ。天皇と『戦争の歴史』の関係を、私たちは主権者としてどう考えればいいのか。昭和、平成、そして次世代について、識者と考えた」とある。
天皇陛下は、皇太子時代から沖縄を何度も尋ねられ、韓国・中共に対しても「痛惜の念」や「深い反省」を表明されてきたし、また最近も全国戦没者追悼式で、「深い反省」を繰替えされていることをまず指摘する。これは前代の昭和天皇と異なるところで、「昭和天皇は戦後、国内各地を訪ねて戦死者の遺族と対面したが、踏み込んだおことばを述べることはなかった。」とする。
昭和天皇の戦争責任については、一橋大学教授・吉田裕は、「天皇の決断なしには開戦はあり得ず、責任は否定できないと思います」と、明言する。高重記者は、「ただ明治憲法下の天皇の『統治権』は国務大臣の補佐に基づき行使されるため、法的な責任は国務大臣が負い、天皇は責任を負わないという考えかたもある。議論は今なお分かれる」と、一応判定を保留する。
さらに高瀬は「一方、50年代から皇太子として外遊し、当時の欧米の対日感情を肌で感じた天皇陛下は、昭和天皇の責任を肩代わりするように戦争に向き合ってきたという見方もある」として、その例として次の吉田の意見を紹介する。それは「冷戦で日本の戦後処理があいまいになり、決着がついていなかった責任問題を、いわば父からの遺産として相続せざるをえなかった」というものである。
しかしこの理屈付けには、明らかな誤魔化しとすり替えがある。そもそも講和以後の日本が、欧米からことさら謝罪や反省が求められてきたことがあったのか。冷戦での曖昧な戦後処理とは、もっぱら中共・韓国との間の歴史問題であって、かなり後に、日本の側が「戦後責任」問題としてでっち上げ、中韓両国が飛びついたものである。
また高瀬は、神戸女学院大学準教授・河西秀哉の意見を、「政治的な意味合いを帯びかねない天皇の海外慰霊は、憲法が想定していないとも指摘。『こうした公的行為の拡大は、天皇の権威性を高めることになり問題だ』とするが、慰霊は今や象徴天皇の仕事の軸になっており、次の天皇となる皇太子さまも続けるとみる」と紹介する。つまり天皇の行為は憲法上疑問があるが、次代も続くというわけである。
また別の角度から問題視したのが、加藤典洋である。「加藤さんは、昭和天皇には道義的な戦争責任はあり、その死後も被侵略国への責任は消えないという立場だ。ただし、それを果たすべき責任の担い手は日本の国民だという」とある。今後は、開戦責任より戦後責任が問われるが、「戦後、主権者は天皇から国民に代わっており、昭和天皇の死後、対外的な責任を継ぐのは私たち国民だ、それを現在の天皇に頼んだら、国民の責任放棄になってしまう」と加藤は主張し、「戦争に向き合い、憲法に基づく象徴天皇の姿を追い求めてきた現天皇を、改憲を目指す安倍政権に反撃する後ろ盾と捉えることにも警鐘をならす」のだという。
つまり天皇の政治利用が、否定されているわけである。近年、天皇の平和主義を称揚する著作が、数多く出されているようであり、朝日新聞の狙いも明らかにそこにあった。朝日新聞は、天皇の即位直後の「憲法を守り」といいう発言を、早速政治利用したが、以後もその政治利用路線をずっと継続している。
加藤によれば、それは「戦前とは別のやり方で天皇に依存」することであり、「国民主権の自己否定につながる」のであるから、天皇の反省行為を誉めそやしてきた、朝日の立場としては、それに対して明確に反論しなければならない。そうでなければ、自己の過ちを認めて、反省しなければならない。
ただし、日本が今後とも戦争責任・戦後責任を負わされて、天皇がやるにしろ国民がやるにしろ、反省と謝罪をし続けなければならない、と主張している点では、同じことである。
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