- 2017年4月23日 10:23
- 月刊日本 羅針盤
『月刊日本』2017年5月号 羅針盤 2017年4月22日
最近、「忖度」という言葉が頻りに流行っている。4月5日の朝日新聞には、[ニュースQ3」欄で、森友学園問題に絡めてこれを取り上げている。国有地の払い下げに当たって、首相夫人の存在があったため、財務省側が気を利かして、つまり忖度して便宜を図ったのではないかと、籠池氏の発言を利用して野党側が追及した。安倍首相がそれに反論し、大阪府知事の発言などもあり、「忖度」が蔓延するようになった。
森友問題で、「忖度」利用に最も熱心だったのは、朝日的偽善の典型、「素粒子」欄だろう。3月24日、「第2幕の主役は首相婦人か財務官僚か。森友学園に突如吹き始めた『神風』の正体は。口利きか、はたまた忖度か」。3月28日、「言われなくとも推し量るのが忖度。形はなく目にも見えぬ。それが『ない』と言って逃げるのか、森友学園問題」。4月4日、「奇妙な沈黙。職員とともにこもっているのか昭恵氏。問題から遠ざける『忖度』に包まれて、首相夫人動静はいかに」。4月5日、「首相夫人への『忖度』ではなく、子どもへの『配慮』。麻生財務相が森友学園問題で。その温情をすべての子どもに」。「教育勅語を道徳教材に。『だめと言えぬ』と松野文科相。パン屋が和菓子屋に変わる時代。教科書会社の忖度怖し」、と枚挙にいとまがない。
ただし「忖度」は、森友問題が勃発して大量に流通するほかにも、朝日の紙上で比較的目にすることができる。例えば天皇陛下の譲位問題では、法制化に当たって「天皇陛下のお言葉を忖度しないのはおかしい」と野田元首相が言ったとか、豊洲市場への移転問題では、百条委員会で「交渉は先方の意向を忖度しないとうまくいかない」と浜渦氏が述べた、といった具合である。
その中でも重要なのは、言論の自由の問題、すなわち権力とメディアの関係の問題に、「忖度」が使用される場合である。例えば、2016年8月21日の朝日社説、「戦後71年の夏に 亡き人の声に耳をすます」では、「憲法で言論・表現の自由が保障されているのに、ものを言いにくい空気がよどむ。同調圧力が高まり、忖度が人々の口を重くする。」とあり、2017年2月9日の朝日社説、「BPOの見解 改めて問う放送の自律」には、「政権側の強圧的な姿勢を前に萎縮と忖度のムードが広がっていないか」とある。
権力とメディアの問題は、日本の国家権力と日本のメディアの間の問題ばかりに注目されているが、それでは全く不十分である。日本のメディアが忖度している最大の相手は、外国の国家権力であるという根本的事実には、全く注意が払われていない。その典型的な事例こそ、朝日新聞と中共の共産主義国家権力との関係であることは、その歴史を振り返ってみれば簡単にわかる。
日本と中共の正式な国交が成立する以前に、日中間の記者交換が行われた。それはちょうど中共の文化大革命の時期に当たり、漢字が読める日本人記者は、壁新聞を読むことができたために、文革報道で大活躍をした。それに脅威を覚えた中共側は、日本人記者の追放に乗り出した。その中で唯一追放を免れたのが朝日新聞の秋岡特派員であり、彼は林彪の失脚・死亡の事実を、長い間報道しなかった。それは当時の広岡社長が、中共の機嫌を損ねることは知っても書くなと、指令を出したからである。これを「歴史の目撃者論」という。これこそ、日本のメディアによる、外国の権力に対する巨大なる「忖度」に他ならない。
朝日新聞は、同時期の日中国交成立の前段階において、本多勝一記者の「中国の旅」を長期連載して、南京事件など日本軍の残虐行為を、何の検証も行わないまま、相手の言い分をそのまま報道して、中共のお機嫌取りに狂奔した。朝日新聞は、自己の報道利権のために、日本を貶めるフェイクニュースをたれ流したのであるから、明らかに売国奴であると言わなければならない。
この時に構築された、朝日新聞の中共に対する忖度体質、正確に言えば隷中体質は、現在でも厳然と継続している。それは近年の沖縄報道、安保法制報道、現在のテロ等準備罪の報道を見ていれば明らかである。侵略現行犯国家が、世界第二の経済大国になり、それによって世界第二の軍事大国になり、我が国の領土尖閣諸島に、核心的利益だと言って侵略宣言をするという事態になっても、いまだに虐日報道に明け暮れているのである。これらはすべて、侵略国家・中共による我が国に対する侵略を、いっそう容易にするものばかりではないか。
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← 酒井信彦 著『虐日偽善に狂う朝日新聞―偏見と差別の朝日的思考と精神構造』(日新報道 2013/08出版)