『月刊日本』2017年7月号 羅針盤 2017年6月22日
5月19日、「テロ等準備罪」法案が衆議院の法務委員会で可決され、同23日に衆議院で採決された。朝日新聞は24日の朝刊のトップで、黒地に白抜きの見出しで刺激的に報じているが、その第一面に23日夜イギリスのマンチェスターで起きた、大規模なテロ事件が報じられているのは、なんとも皮肉である。
これは現在のイギリスのテロ事件であるが、日本にもかつて立派なテロ事件が何度も存在した。1960年代の後半は大学における紛争の時代であったが、それが挫折すると1970年代は、極左勢力のテロが頻発する時代となった。その嚆矢は70年4月のよど号ハイジャック事件である。71年の末には、警視庁刑務部長夫人爆殺事件や、新宿クリスマスツリー爆弾事件が連続した。
1972年には、仲間を次々に虐殺した連合赤軍事件と、その結果としての浅間山荘事件が起こった。海外ではイスラエルに出かけて、テルアビブ空港で無差別乱射事件を起こして、世界を驚かせた。1974年には、8月に東アジア反日武装戦線なる組織による、三菱重工爆破事件が起き、八人もの一般市民の犠牲者を出した。その後爆弾による企業などの爆破事件が頻発することになる。
これら極左勢力によるテロ事件は、日本においても豊富に存在していたのだが、自称「リベラル」のマスコミは、基本的に左翼に甘く、この戦後の負の歴史をまともに回顧してこなかった。したがって若い人々は全く知らないようだし、年寄りでもほとんど忘れているだろう。ところが極左のテロ時代を想起させる出来事が、最近に二つ続けて発生した。
一つは5月22日に、1971に渋谷で警察官が殺害された、「渋谷暴動事件」の容疑者である中核派の大坂正明が、18日に広島で逮捕されていたことが明らかになった。渋谷暴動事件では、1971年11月14日に、沖縄返還協定反対のデモ隊が、渋谷駅周辺の派出所を火炎瓶で攻撃し、中村恒雄巡査が大やけどで死亡した。同巡査は21歳の若さだった。大坂は46年間も逃亡していたわけだ。
もう一つは、5月25日に報道された、三菱重工爆破事件すなわち「連続企業爆破事件」の主犯で死刑囚であった、大道寺将司の病死である。三菱重工爆破事件は、1974年8月30日、日本の軍需産業の中核であるとして、巨大爆弾を玄関先で爆発させ、通行人など一般市民を無差別に虐殺した事件である。大道寺は87年というから、すでに30年も前に死刑が確定していたが執行されず、近年は多発性骨髄腫のため一層執行されず、病死に至った。
それにしても大道寺の死亡に関する新聞報道は、事件の重大性に比較して簡略すぎる。それでも犯人逮捕をスクープした産経新聞では、第一社会面左肩に三段見出しで報じているが、朝日新聞は第二社会面の下方の二段の小さな囲み記事に過ぎない。しかも記事の調子がこの凶悪犯人に対して極めて同情的である。
「大道寺死刑囚は(中略)相次いで爆弾を仕掛けた事件に関与した」
「87年に(中略)死刑が確定したが、『爆破装置の正確な知識や威力について認識がなく、殺意はなかった』として、再審を請求していた」「父親が犠牲になった石橋明人さん(57)は(中略)『心の底では許せない』と思い続けてきたが、最近はむなしさも感じるようになったという」「大道寺死刑囚は死刑確定後、俳句を詠み、15年には『年経てもなほ生きぬかん寒の獄』(97年)、『死の覚悟求めて止まず花の雨』(14年)などの句が収められた句集を出版した」といった具合である。
死者のほかにも、窓ガラスの破片によって膨大な重軽傷者を出したことは触れられていない。またそもそもこの爆破事件の前提として、昭和天皇を暗殺する計画があったことは、全く説明されていない。
もっとも朝日新聞は、事件直後のまだ犯人が判明する以前に、すでに犯人に対して極めて同情的で、その行動に理解を示していた。事件の翌日8月31日朝刊では、べ平連の吉川勇一事務局長に、「三菱重工がやられたというと、ある種の推測がすぐ出る。ということは、三菱重工が三菱重工だからにほかならない。こんなことをやった人間が悪いといってしまえば簡単だが、やはり背景を考えなければならない」と、言わせている。
約20年後、一般市民を標的とする無差別テロとして、この爆弾テロに学んだのが、オウムのサリンテロである。極左運動を煽動した朝日新聞は、その意味でオウム事件に関しても、巨大な責任がある。
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← 酒井信彦 著『虐日偽善に狂う朝日新聞―偏見と差別の朝日的思考と精神構造』(日新報道 2013/08出版)