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表現の自由は無制限ではない

『月刊日本』2019年12月号 酒井信彦の偽善主義を斬る 2019年11月22日

 8月初めに開催された「あいちトリエンナーレ」の中で、猛抗議によって三日で中止となっていた企画展「表現の不自由・その後」が、10月8日の午後から強引に再開された。その再開の理由を、実際に見て判断して欲しいといいながら、展示方法は極めて制限されたものであり、言動が完全に矛盾していた。

 この展示の最大の特徴は、開催者が「表現の自由」を金科玉条として、それをやみくもに言いつのったことである。なるほど日本国憲法の第21条には、「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する」とある。しかし同じく第12条には、「この憲法が国民に保証する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであって、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ」と、明確に言っている。表現の自由が、無制限なものではないのは、あまりにもあきらかだ。

 今回の企画展の真の目的は、本誌10月号でも述べておいたように、昭和天皇を戦争に絡めて貶めることであった。しかし当初反発が強かったために、問題点を慰安婦像の方に集中させて、昭和天皇の方はなるべく隠蔽する作戦に出た。したがって、昭和天皇の肖像に放火して燃え上がらせ、さらにその灰を踏みにじる映像に、「昭和天皇を含む肖像群が燃える映像作品」という、意図的な表現が一貫して使用された。この展示を問題視した例外的な首長の一人である、黒岩神奈川県知事も、慰安婦像だけに注目して、この隠蔽工作にすっかり騙されていた。

 ところが10月14日の閉会直前の12日になって、朝日新聞はこの映像作品の張本人である、大浦信行へ長文のインタビュー記事を掲載して、真相を明らかにする。しかしその内容は、まことに支離滅裂なもので、「僕にとって燃やすことは、傷つけることではなく昇華させることでした」などと、昭和天皇を呪詛する本音を、懸命にごまかそうとしていた。憲法第1条には、「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」とあるのだから、天皇を貶めることは、日本国、日本国民を貶めることであって、最大級の国家犯罪に他ならない。

 今回の問題で、罪深いのは津田芸術監督・企画展委員・出展者であるのは言うまでもないが、最も悪質極まる精神の醜態を露呈したのは、大村愛知県知事その人である。終始犯罪者たちと結託して、卑劣な行動に邁進した。それに対して河村名古屋市長の主張と行動は、当たり前と言えば当たり前なのだが、まことに称賛すべきものであった。企画展再開に当たって、河村市長は抗議の座り込みを行い、その時掲げたプラカードには、「日本国民に問う 陛下への侮辱を許すのか」とあり、これこそ問題の本質をついていた。

 ところで大村知事の暴走に対して、愛知県議会の議員、特に自民党の議員はいったい何をしていたのか。まことにだらしがないと言わざるを得ない。だらしがないと言えば、国会議員、さらには日本国政府も同様である。日本政府がやったことと言えば、補助金の交付を中止したことぐらいで、まことに生温い限りである。朝日新聞10月16日の社説では、これを「行政が本来の道を踏み外し、暴力で芸術を圧殺しようとした勢力に加担した。そう言わざるを得ない」と言っているが、憲法違反が明確な国家犯罪に対して、もっと厳正は処分を行うべきであるのにそれができないのは、まやかしの「表現の自由」の金看板の前に、萎縮してしまっているからである。同種の展示は広島のプレトリエンナーレでも行われ、さらに海外のオーストリアでもやられているらしい。この社説の末尾には、愛知トリエンナーレについて、「ゆるがせにできない課題が数多く残されている。閉幕で一件落着ということにはできない」とあるが、これについては、全く反対の立場からだが、私も大賛成である。

 ところで、これより以前9月2日発売の週刊ポストの新聞広告、「韓国なんて要らない 『嫌韓』ではなく『断韓』だ 厄介な隣人にサヨナラ」という文言が問題になり、寄稿者が執筆拒否宣言をして、小学館側が謝罪するにいたった。明らかな言論人による検閲であり、検閲を禁止した日本国憲法に違反しているにもかかわらず、メディア権力の主流は、これに完全に同調して検閲を容認した。ポストの広告は、虐日に熱狂する韓国に対する、極めてまともな反応であるのに、とんでもない表現の自由の侵害がまかり通ったのである。あいちトリエンナーレと比べて、正邪・順逆が完全に倒錯している。日本人は、今まさにディストピアの世界に生きているのである。

 

sakai-book01.jpg ← 酒井信彦 著『虐日偽善に狂う朝日新聞―偏見と差別の朝日的思考と精神構造』(日新報道 2013/08出版)


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