『月刊日本』2020年8月号 酒井信彦の偽善主義を斬る 2020年7月22日
朝日新聞に短期の断続的連載で、「コロナの時代」全12回と言う記事がある。その最後の3回は、「パンデミックの序章」と題して、初期の状況を解説しているが、さらにその3回目(7月7日)は、テドロスWHO事務局長に関するもので、いままで擁護していた朝日としては、批判的な説明となっている。
まず冒頭で1月28日のテドロスの訪中に触れ、「中国衛生当局関係者はこの時のテドロス訪中について、『彼は訪中前、中国にとって大きな役割を果たしていた。習氏が出迎えたのは、そのねぎらいの意味もあった』と明かす」と述べる。ねぎらいの理由とは、「新型ウイルスのヒトからヒトへの感染が判明した段階で中国が懸念したのは、WHOが『国際的に懸念される公衆衛生上の緊急事態』を宣言し、中国との人の往来や貿易の制限を各国に勧告することだった」からで、それをテドロスによって回避できたからである。
その間の経緯を、次のように説明する。1月22日に開かれた緊急委員会で、委員の意見が分かれて、「結論は出ず、テドロスは『もっと情報が必要だ』として、会議の1日延長を決めた。」翌23日、中国は武漢封鎖を行った。「1千万人都市のロックダウンという前例のない措置が、WHOの判断にどう影響したかは分からない。しかし、封鎖から数時間後に再開した会合で、テドロスは『緊急事態宣言は時期尚早』との結論を下した」とある。
テドロスは二日続けて緊急事態宣言を見送ったが、封鎖が「WHOの判断にどう影響したかは分からない」と言うのは、真っ赤なウソである。WHOは武漢封鎖に、完全に目を瞑ったのである。朝日の中国忖度体質がよく表われている。
ついで「1月30日、結局、WHOは国際世論に押される形で、緊急事態宣言を出したが、貿易や渡航制限勧告は回避。中国は胸をなで下ろし、WHOの対応を称賛した」という。
つまり、二度にわたる緊急事態宣言の発動を延期しテドロスの功績を評価して、1月28に習はテドロスを北京に招待して、その功績をほめ称えたわけである。またこの時、テドロスは1月30日に緊急事態宣言を出すことを習に認めてもらい、かつ貿易・渡航の制限を勧告しないことを、約束したのは間違いない。
ところでこの記事では、WHOの対応が消極的になったのには、伏線があり、それは過去の二つのトラウマだと言う。一つは09年の新型インフルエンザで、パンデミック宣言が早すぎたこと。もう一つが02~03年のサーズの経験だとし、以下のように説明している。
当時の事務局長だったブルントラントは、「情報提供に後ろ向きな中国の姿勢に憤り、公の場で何度も批判した。(中略)しかし、情報開示を強く迫ったことが、かえって中国政府を硬化させたのではないか――。内部ではそんな反省が語られてきたとWHO関係者は明かす。」「WHOは予算も情報も政策実行も加盟国頼み。WHO関係者は『個別の国を名指しで批判しても何もいいことがない』と言う。テドロスは足りない情報を中国から引き出す役割を担いながら、その顔色をうかがい、褒め続けた」朝日そう言って、一応批判するが、結局はテドロスを擁護している。
そしてこの記事は末尾で、テドロスは台湾に見習うべきだったと言う。「WHOへの加盟が認められず、保健衛生をめぐる情報の遅れに敏感な台湾は、昨年末、原因不明の肺炎の発生が公表された直後、(中略)武漢の状況を直接見せるように中国側に強く要請。中国は拒否しきれず、1月12~15日に台湾の医師らが武漢の病院などを視察することを認めた。この時、中国はまだ「ヒトからヒトへも感染」を認定しておらず、(中略)台湾衛生当局は、『武漢から報告を受けた時点でヒトからヒトへの感染が起きていると判断した』と証言する」と述べて、それによって台湾は、世界中で最も防疫に成功した国になったと言うのである。
要するにこの記事は、極めて重大なことをサラット言っている。テドロスは中国に遠慮して、詳しい情報を求めず、しかも緊急事態宣言を大幅に遅らせて、世界で何百万もの死者を生み出したが、台湾は正確な情報を得て、かつ巧妙に対処して、死者は7人に抑えた、と言うのである。
これが真実なら、中国・習近平とWHO・テドロスは、私が本誌6月号で指摘したように、大犯罪者ではないか。朝日はこの問題の真相を、徹底的に解明する責任がある
またこの記事では、緊急事態宣言を遅らせて、武漢ウイルスを保有した、中国の春節観光客を世界中にばら撒いたこと、遅延工作として、習近平がフランスのマクロン大統領、ドイツのメルケル首相に電話したことは、全く言及されていない。
← 酒井信彦 著『虐日偽善に狂う朝日新聞―偏見と差別の朝日的思考と精神構造』(日新報道 2013/08出版)
- 次の記事: 冷戦は継続していた
- 前の記事: 「悪の大帝国」を育てたアメリカ