『月刊日本』2021年8月号 酒井信彦の偽善主義を斬る 2021年7月22日
7月3日の朝日新聞国際面に、ロシアに関する重要記事が出ている。7月1日に、プーチン大統領は、第2次世界大戦でのソ連の行為を、公にナチスドイツと同一視することを禁止する法改正に署名したという。
その法改正とは、「第2次世界大戦時にソ連指導部やソ連軍が行った決定、行為をナチスドイツや欧州の枢軸国指導部のものと同一視することを禁止。『ナチスドイツの壊滅に果たしたソ連国民の決定的な役割』を否定する見解を表明することも禁じる」というものである。
第2次大戦において、ソ連が戦った戦争には、性格の異なる二つの期間が存在することは、紛れもない事実である。前半の戦争においては、ドイツと秘密議定書にもとづいて、39年9月、ドイツが西からポーランドを侵略すると、ソ連は東からポーランドを侵略し、その後バルト三国を併合した。ドイツは東部戦線が一応落ち着くと、今度は西に転じて40年5月オランダ・ベルギーの中立を踏みにじって、フランスに攻め込み、たちまちパリを陥落させて、全土を占領してしまう。フランスを支援したイギリスは、ドーバー海峡に追い落とされる。
さらに西部戦線が落ち着くと、ドイツは不可侵条約を破って、41年6月、ソ連攻撃に乗り出す。ソ連・ロシアで、第二次大戦を表す「大祖国戦争」とは、この時から終戦までを指すのであり、前半部分は全く含まれない。それ以前においては、ソ連は明らかにナチスの共犯者なのである。日本が三国同盟を結んでいたからと言って、ナチスと同一視されるのであるが、この時期に関して、ソ連をナチスと同一視することは、まったく正しい。「大祖国戦争」と限定することは、ソ連・ロシア自身が、前半部分は回顧したくない負の歴史と、思っていたからである。
ではなぜ現在この時期に、法改正が行われなければならなかったのか。それをこの記事では、次のように説明している。「2014年にロシアがウクライナ南部のクリミア半島を併合すると、欧州ではこうした歴史に再び焦点が当たり、欧州議会は19年、ナチスドイツとソ連の双方に開戦の責任があるとする決議を採択。プーチン氏は『最大の冷笑主義だ』などと激しく反発し、今回の法改正につながった」。
興味深いのは、それに続けて、「改正案の立案者の一人、プシュコフ上院議員は6月、『(秘密議定書は)歴史的事実だが、ドイツのポーランド侵攻の目的が攻撃だったのに対し、ソ連の目的は歴史的な領土を取り戻すことだった』などと述べた」とあって、ロシア側が秘密議定書の目的を解説していることである。歴史的な領土を取り戻すとは、この場合第一次大戦によって失った領土を取り戻すということであるから、ヴェルサイユ体制を否定することである。つまりそれはヒットラーが企てたことと同じことなのだから、この説明では全く弁解になっていない。
ただしこの明らかな侵略行為は、第二次大戦後には結局公認されてしまった。それはナチスドイツを打倒するには、ソ連の力が絶対に必要であったからであり、第二次大戦後の国際秩序、つまり国境の線引きは、第一次のときのような国際会議で行われず、米ソ両国の談合で決まったからである。しかしその直後から、米ソ対立の冷戦時代に突入する。この矛盾が多少解消されたのは、約30年前にソ連が崩壊したからである。それによってバルト三国は、ようやく再度、独立を回復する。
ロシアが唱える明らかに矛盾した戦争観は、もっと早く問題にされるべきものであった。少なくともソ連が崩壊した段階で、問題化していればヨーロッパの状況は、ずっと健全な状態で推移したであろう。ソ連体制に対する、徹底した批判・反省がなされなかったために、ロシアはプーチンの下で、結局ソ連に先祖返りしてしまったのである。独裁強権支配の復活と共に、そこで現れたのはやはり旧領土の回復であった。それが実現したのが、ウクライナのクリミア半島奪還である。
そのロシアの先祖がえりを許したのは、やはりアメリカの責任が大きい。ソ連が崩壊した段階で、アメリカがやらなければならなかったのは、共産主義大国である中国の解体であったが、アメリカはそれをやらず、アメリカの関心は、中東におけるテロとの戦いに移ってしまう。中国に対しては、経済的に積極的に成長させ、その経済成長はたちまち軍事的成長に結実する。そこで中国は侵略主義国家の本性を表すようになる。するとロシアも中国にすり寄って、現在の対立構造が成立したわけである。アメリカは今ごろになって大騒ぎしているが、中国を危険な大国に育てあげた自らの過ちを、真摯に反省することが必要である。
← 酒井信彦 著『虐日偽善に狂う朝日新聞―偏見と差別の朝日的思考と精神構造』(日新報道 2013/08出版)