ブログ管理者から
酒井信彦先生に過去に発表された論考を掲載するにあたり、訂正並びに補足の必要などを伺った。それに対し、下記のお答えを頂いたので、一連の論考をそのままに順次掲載していきます。
「私の論考については、付け足しや補足は必要ありません。中味については、今でも十分通用すると思いますし、客観的状況としては、ずっと悪くなっているのであり、遥かに理解しやすくなっているはずですから」(酒井信彦)
チベット問題は侵略という「乱」 (酒井信彦)
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こころ第87号 特集 乱れ(平成20年7月)
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チベット問題とは何か
三月上旬、チベットで再び独立要求の運動が開始された。大規模なものとしては一九八九年以来、約二十年ぶりのことである。今回は特にオリンピックの聖火リレーへの世界的な抗議行動に連動して、世界注視の問題に発展している。日本でも聖火リレーが長野で行われたが、チベットを支援する行動と、それに対抗するシナ人留学生の大量動員で、大きな騒動となった。
こうして、再びチベット問題が世界的に注目されているのだが、その論じられ方に、永年チベット問題に関係してきた私としては、極めて大きな疑問を感じている。それはチベット問題があくまでも人権問題として説明されていること、またそれを解決するためにはチベット亡命政府と中華人民共和国政府との対話を推進するべきだと、ほとんどの人々が論じていることである。
しかしチベット問題の本質は、本当に人権問題なのか。またそれは「対話」なるもので解決できるのだろうか。
以下、私の率直な見解を述べさせていただきたい。
シナ人による明白な侵略
チベット問題の本質は、人権侵害問題などではなく、あくまでもチベット人の民族独立問題であり、シナ人による侵略問題である。そのことは世界の歴史を素直に学べば、簡単に分かることである。世界史の進歩に法則として、民族自決・民族独立の原則というものがある。それによって第一次世界大戦後にヨーロッパで一度に八つの独立国ができ、第二次大戦後はアジア・アフリカで多数の独立国が誕生したのである。さらに一九九〇年代以後も、ソ連やユーゴスラビアが解体・分裂して独立国は増加している。
元来、チベットは日本と同じくらい歴史の古い国で、元や清の大帝国に含まれた時期はあったが、その支配は極めて緩やかなものであった。辛亥革命後の中華民国の時代には完全に独立していたが、中華人民共和国の成立によって、第二次大戦後の民族独立の時代に軍事力によって侵略・併合されたのである。チベット人はシナ人の侵略に対して戦い、人口の五分の一、百二十万人の犠牲を出した。しかもチベット文化の中核である、チベット仏教の僧院はほとんど破壊され、文化財は略奪された。シナ人のチベット支配が侵略でないならば、この世に侵略など存在しない。
ただしシナ人がチベットを侵略したのは、しばしば誤解されているのとは異なり、共産主義のイデオロギーによるものではない。既に中華民国を建国した孫文が、中華民国は清帝国の領土をそのまま継承するとして、チベット人やモンゴル人の独立を認めず、侵略を正当化するイデオロギーをつくり上げていた。それが有名な三民主義の中の民族主義であり、正確には「中華民族主義」あるいは「シナ侵略主義」と呼ぶべきものである。つまり侵略の野心は十分に持っていたが、中華民国の実力では侵略を実行できなかっただけなのである。
ダライ・ラマの独立放棄路線
チベット問題の本質が全く誤解されている原因として、ダライ・ラマのチベット問題に対する姿勢・態度が、大きく影響を与えていると考えられる。それは例の「中道路線」である。つまり完全独立を求めず、「高度の自治」を求めるという路線であり、その実現のために中共政府と対話していくという方針である。そして世界の指導者たちも、一般のチベット支援者たちも、この路線にもろ手を上げて賛同している。しかし私は、ダライ・ラマのこの中道路線は完全に間違っていると考えている。
第一、独立放棄が非暴力主義と結びつけられているのが、極めて奇妙である。ダライ・ラマの非暴力主義には手本があった。それは言うまでもなくインドのガンジーである。ガンジーは非暴力主義を唱えたが、決してインドのイギリスからの独立を放棄しなかったことを忘れてはならない。ガンジーに学ぶなら、あくまでも独立を追求しなければならないはずである。したがってチベット人の中で、独立放棄路線に反対して独立を求める人々のことを、「武闘派」などと呼ぶのも意図的なネーミングだと言わざるを得ない。またしばしば、ダライ・ラマは一貫して非暴力主義を貫いてきたとの説明がされるが、これは完全なウソである。一九七二年以前は、アメリカがチベット・ゲリラの武力闘争を援助していたのであり、ダライ・ラマはもちろんそれを承認していたからである。
ではダライ・ラマの独立放棄路線は、どうして誤りなのか。それはチベット問題の本質が、チベット人の民族独立問題であり、シナ人の侵略問題である以上、独立を放棄するということは、シナ人の侵略を全面的に容認するということになるからである。それはさらに二つの要点において、根本的に間違っている。第一に、世界史の基本法則である民族自決・民族独立の原則に、完全に違反すること。第二に、シナ人の侵略を正当化しさらなる侵略を可能にする、中華民族主義・シナ侵略主義をも容認することだからである。シナ人の不当極まる侵略現行犯が承認されてしまえば、正義が踏みにじられ悪が大手を振ってまかり通る、暗黒の世界になってしまう。
ダライ・ラマの錯誤
そもそもダライ・ラマ個人に、全てのチベット人の運命を決定してしまう権利があるのだろうか。中共の内部であれ、外部であれ、チベット人が心の底から願っているのは、独立であるに決まっている。その体験した悲惨な歴史と現実から考えて、これは全く疑問の余地がない。その独立の悲願をダライ・ラマ個人への信仰心を利用して捻じ伏せてしまうのは、それこそ民主主義に反している。ましてやシナ人に侵略されているのは、チベットだけではない。東トルキスタンも南モンゴルもシナ人に侵略支配されているのである。独立放棄路線が実現したら、ウィグル人やモンゴル人の願いも、無残に打ち砕くことになってしまう。今回のチベット騒動で、ダライ・ラマは中共から悪魔だと非難されて、自分は悪魔ではなく人間だと語っている。私も確かにそう思う。ダライ・ラマは悪魔でなくて人間である。ただし人間であるということは、神様でも仏様でもないということである。人間である以上、ダライ・ラマも間違うことはあるだろう。独立放棄の中道路線の主張こそ、まさに巨大な錯誤である。そのダライ・ラマを現代における聖人、無謬の存在のように祭り上げるのは、まことに悪しき個人崇拝そのものである。
ではダライ・ラマは、どうして間違った主張をしているのか。それはダライ・ラマが基本的に欧米勢力、特にアメリカの意向に従って動いているからだと、私は考える。この二十年ほどの間に、アメリカと中華人民共和国とは、経済関係を中心として、極めて密接な関係をつくり上げてしまった。客観的に言って、かつてソ連を封じ込めたような政策を、アメリカが中共に対して採るはずがないし、アメリカは中共と戦争をする気などさらさらない。その中で両国に間で残された「とげ」、最大の問題こそチベット問題なのである。
先述したように、アメリカは一九七二年まで、チベットの武装ゲリラに対して、軍事援助をしていたが、ニクソン訪中の際に、それをさっさと切り捨てたという過去を持っている。そこでアメリカとしては、チベット問題を軟着陸させて、曖昧な形で「解決」したいに違いないのである。その意向の反映が、ダライ・ラマの中道路線、独立を放棄して対話による解決を求めるという路線なのである。したがって今回のチベットの騒動においても、チベット問題が民族独立問題であり侵略問題であるという本質がことさらに隠蔽され、あくまでも人権問題として喧伝されているのである。
対話では解決しない
そしてチベット問題の「解決のための対話」ということが、しきりに強調され主張されている。対話というのは、中華人民共和国とチベット亡命政府との間の対話であるが、これほど圧倒的な力の違いがある存在の間で、まともな対話が成立するのであろうか。成立するわけがないのである。例えて言えば、巨大な暴力団と一般庶民が対話すると考えれば、極めて分かりやすいであろう。実は両者の間で、この二十年くらい断続的に対話は行われているのである。しかしその間、中共政府はチベット亡命政府をまともに相手にしてこなかったのが実情である。
もし対話による解決があるとすれば、それは弱者の側の強者に対する、一方的な屈服以外にあり得ない。いくら外面的な粉飾を凝らそうとも、それはチベット問題の解決ではなく、曖昧化による雲散霧消、すなわちチベットの問題の消滅である。それによって、シナ人の明々白々たる侵略行為が、世界的に公然と承認されることになるのである。
それにしても、今回のチベット騒動におけるアメリカの対応は、余りにもチベットに冷淡である。ブッシュ大統領がこれに対して発言したのは、事件後二週間あまりたってからだったし、その後もほとんど発言していない。大統領はどうしてもオリンピック開会式に出席するつもりらしい。ただしその冷淡さはヨーロッパの大国においても、基本的に変わらない。初めは威勢の良かったフランスのサルコジ大統領も、今では言葉を濁している。明確に開会式の欠席を表明したのは、ポーランド・チェコ・エストニアなどの国々であり、それはこれら諸国がドイツ・オーストリア・ロシアなど強国の侵略を経験したからに違いない。この事実は、チベット問題の本質が、民族独立問題・侵略問題であることを、端的に証明している。
ということは、今回の騒動でしきりに言われる、「人権問題としてのチベット問題」すら、かなり怪しいのではないだろうか。アメリカを初めとする欧米先進国は、世界の人権問題に本気で取り組むつもりがあるのだろうか。例えば昨年のミャンマーの民主化要求デモに対する弾圧である。事件当時は、欧米諸国は軍事政権に厳しい批判を浴びせた。アメリカは大統領夫人まで担ぎ出して、それを行った。しかしその後は全くの尻切れトンボである。
また我が国も拉致問題を抱えている北朝鮮はどうだろうか。北朝鮮は世界でも最高度の人権侵害国家であるのは間違いない。しかしアメリカは、拉致問題への協力を口先だけでは言うものの、北朝鮮の人権問題を不問に付している。北朝鮮・ミャンマーの人権問題に取り組まないアメリカが、中共の人権問題に真面目に取り組むわけがない。現に、チベットの事件が勃発する直前、アメリカ国務省の世界人権報告では、中共の人権状況は改善されたとして、悪質度のランクを下げたのである。
アメリカの責任の重さ
チベット問題を中心に、以上のように考えてくると、現代の社会はかなり腐敗・堕落してしまったのではないかと、私は判断せざるを得ない。こんな風に言うと、それはあまりにも悲観的だ、そんな心配は杞憂にすぎないと反論する方がいるかもしれない。しかし私は、現在正義という感覚が、世界全体からほとんど失われているような気がしてならない。かつての世界には、もっと自由や平等という価値を尊重していこうとする気概があったのではないか。例えば平等について言えば、それは世界の貧富の差をできるだけ少なくすることである。しかし世界の現実は、それと全く逆の道を歩んでいる。貧富の格差の拡大は、近年話題になっている日本においてだけでなく、世界全体で進行している現象である。
このような状態において、世界の唯一の超大国であるアメリカの責任は極めて重い。それはアメリカが現状を放置しているというよりも、悲惨な現状を生み出しているとすら考えられるからである。現在、石油や食料などあらゆる物価が高騰している。それによって世界中の人々が苦しめられている。ではなぜ物価が騰がるのか、それは金が余っているからである。アメリカは基軸通貨の特権によって、自分のためにドルを刷って世界にばら撒いている。それがダブついているから、ドルは下落し物価は騰がるのである。きわめて単純な原理である。アメリカの支配層は、自分の利益のためなら世界中の人々を苦しめても平気な人間になってしまった。ブッシュ大統領は石油業者だから、石油の高騰で大儲けしているのだろう。またそのアメリカに対して、日本の政権は言うまでもないが、ヨーロッパ諸国や中共の政権なども、まともに批判することをしていない。これら諸国の支配層とアメリカとの間で、一種の共同利益関係ができ上がっているのであろう。
すなわち現在の世界は、明らかに「乱れ」ている。正義の観念がなおざりにされた、弱肉強食の暗黒時代に突入している。我々はこのような時代・状況の中で、チベット問題が盛んに論じられているという客観的事実を、くれぐれも認識しておくべきである。
アジアは見殺しにされている
チベット問題の本質が、人権問題などではなく民族独立問題であり、チベットに独立の完全な正当性があることは、日本の歴史を真面目に振り返ってみれば、容易に判明する。日本が大日本帝国と言っていた時代、朝鮮及び台湾もその中に含まれていた。一九一九年三月一日、朝鮮で三・一独立運動が発生した。この独立運動に対する取り締まりによって、数千人が犠牲になったと言われている。チベットで過去に何度も起こったこと、そして今回も起こったことは、三・一独立運動と全く同一の現象、独立蜂起である。しかし日本で過去の反省・謝罪に熱心な人々ほど、いわゆる「中国」と友好的であり、チベット問題には侵略問題としてはもちろん、人権問題としてすら完璧に目を閉ざしてきた。これらの人々、例えば組織としては朝日新聞社・岩波書店、個人としては河野洋平・大江健三郎といった人々は、本当は過去の日本を反省していないと考えざるを得ない。本当に反省しているのなら、シナ人が行っているチベットに対する残虐極まる侵略現行犯を、黙認できるはずがないからである。結局彼らは、「自分は良心的な人間なのだ」という道徳的虚栄心に酔っているのであり、これは甚だしい偽善と言わなければならない。しかも問題は、そのような偽善が、いわゆる左翼勢力だけではなく、広く我が国の指導層に蔓延していることである。
実は三・一独立運動が一九一九年に起こったことには、重要な歴史的背景があった。それはこの年に、第一次世界大戦の戦後処理のための、ヴェルサイユ講和会議が開催されたことである。前述したように、そこで民族自決の原則によって、東ヨーロッパに八つの独立国が一挙に誕生した。しかしアジアにはその原則が適用されなかった。アジアは差別され無視されたのである。中華民国の北京でこの年の五月四日に、五四運動が起こった原因も朝鮮と同一である。
ところが一九一九年に起こった歴史的矛盾が、歴史は繰り返すと言うべきか、現在でも発生していることには、全く関心が寄せられていない。ヨーロッパでは一九九〇年代の初めにソ連が解体され民主化され、東ヨーロッパも民主化された。ソ連は十五の国家に解体し、チェコとスロバキアも分離し、ユーゴスラビアは七つの国家に解体した。それにも関わらず、東アジアには冷戦体制崩壊の恩恵が、ほとんどもたらされていない。唯一の例外が、ソ連の衛星国であった、モンゴルの民主化にすぎない。中共・北朝鮮・ベトナムという共産主義国家が生き残り、特に中共国内の民族独立が全く実現していない。つまり欧米先進国は、自分たちと関係の深いヨーロッパだけ歴史の進歩を推し進め、アジアは完全に見殺しにしているのである。明らかにダブルスタンダードであり、驚くべき偽善と言わなければならない。
次のターゲットは日本
先述したように、ダライ・ラマの中道路線によって、チベット問題が「解決」という名の消滅に至ったら、それは歴史の進歩の法則を無視して、シナ人の侵略現行犯が世界的に承認されたことを意味する。同時にナチズムに匹敵する他民族抹殺思想である、中華民族主義・シナ侵略主義も、公認されたことになる。中共から距離のある欧米諸国にとって、所詮他人事なのかもしれないが、我が国は甚大な影響を免れない。そうなったら、シナ人が我が国を本格的に侵略することは、疑問の余地がないからである。今日のチベットは、明日の日本である。
既にシナ人が我が国に対する精神的侵略は、全く完成の段階に達している。それは今回の長野聖火リレーと直後の胡主席来日で、きわめて明白になった。聖火リレーでは、日本人・チベット人は何人も逮捕されたのに、暴力を振るったシナ人は一人も逮捕されなかった。胡主席来日では、チベット問題について安倍首相が一言言及しただけだった。すなわち日本の指導者たちの、媚中体質どころかシナ人に隷属・屈服する体質、隷中体質・屈中体質が、完全に形成されているのである。
シナ人の日本侵略の次なる段階は人口侵略であろう。これは既に始まっているのだが、これから急速に展開されることは間違いない。しかも日本側でもそれに対応する計画が、最近次々と発表されている。移民庁の創設、留学生三十万人計画などである。そしてシナ人は最終的には、日本を軍事侵略して併合するだろう。その時アメリカが日本を守ってくれるとは、私はとても思えない。その際、侵略・併合を正当化する方法として、「中国」の「少数民族」としての日本人・大和族の「中華民族」への編入が行われるだろう。私は十数年以前からこの事を繰り返し警告してきたが、全くと言ってよいほど世間の反応はなかった。
日本がシナ人に侵略されたくなかったら、民族として滅亡したくなかったら、侵略者・シナ人と戦うしかない。戦うといっても殴り合ったり、ましてや鉄砲を撃ち合うわけではない。情報の戦い、言論の戦いである。シナ人は以前から日本に対して、それを全力を挙げて仕掛け続けてきた。日本人が全く抵抗・反撃しなかっただけである。
日本人は既に、シナ人に対して十分すぎるほど、反省と謝罪を行ってきた。賠償に代わる経済援助も行ってきた。今こそシナ人の侵略行為を告発・糾弾すべきである。侵略は内政問題ではない。明白な国際問題である。
最近話題になったドキュメンタリー映画『靖国』の監督李纓は、四月二日の朝日新聞夕刊の全面広告でこう主張している。「いいことだけではなく、相手の悪い点もきちんと指摘してあげる。それが本当の愛だし、本音で話すところから、本物のつきあいが始まるのだと思います」シナ人が犯し続けている侵略の大罪を、一日も早く止めさせることこそ、本当の日中友好である。それでもまだ遠慮する精神虚弱な日本人には、毛沢東の次の言葉を進呈しよう。「喧嘩をしなければ仲良くなれない」
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← 酒井信彦 著『虐日偽善に狂う朝日新聞―偏見と差別の朝日的思考と精神構造』(日新報道 2013/08出版)
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