『月刊日本』2015年8月号 羅針盤 2015年7月22日
かつて朝日新聞の夕刊に、「窓 論説委員室から」という連載コラムがあった。今から20年以上前、1993年11月5日のそれは、「自問すること」のタイトルで、筆者は漢字一字のペンネームで「見」。実に重要な内容なのだが、殆ど知られていないようなので、戦後70年のこの機会に、紹介しておきたい。
筆者が「学者や市民でつくる『日本の戦争責任資料センター』(東京)」を訪れた時に、そこの人間から、戦後50年の95年が間近なので、「やがて報道機関の『戦争責任とその後』についても、市民の側からの検証が始まるのではないだろうか」と言われたという。つまり何を自問しているかというと、朝日新聞自身の戦争責任についてである。
それに関連して筆者は次のように言う。「ドイツでは、半世紀前にどんな発言をし、記事を書いたか、いまも問われている。『机上犯罪者』。時の政権の宣伝役や支持役をつとめることで戦争などの旗振りをし、国民を死に追いやったジャーナリストを指して言うのだそうだ。」
この机上犯罪者という言葉は、足立邦夫の『ドイツ 傷ついた風景』に教えられたものとうい。コラムにはドイツ語の原語が紹介されていないが、足立の本によるとそれは、「ティッシュ・テーター」で、テッィシュは机、テーターが犯罪者である。机上犯罪者という表現は、日本語としてはあまりぴったりしないが、言論犯罪者あるいは報道犯罪者と考えれば良いだろう。
このコラムの結論部分には、「戦後補償問題は過去だけでなく、未来へ向けての作業だ。これと同じように、自らの本格的な検証作業は、明日の新聞づくりへの、越えなければならないハードルのように思う」とある。
その後朝日新聞による検証は、小規模なものはいくつかあったが、「本格的な検証作業」としては、2007年度と2009年度に、それぞれ一年間に渡って夕刊に連載された、「新聞と戦争」「検証 昭和報道」がある。この連載は朝日の御自慢らしく、たびたび自画自賛し、報道関係の賞も受賞しているようだが、そんなに素晴らしいものとは、私にはとても思えない。
その証拠は、本欄でも以前に(本年一月号)指摘したが、『朝日新聞の中国侵略』の著者・山本武利に対して約束した、「大陸新報」についての情報開示が、全く守られなかったことである。またこの検証には、「自問すること」で紹介された、朝日新聞の戦争犯罪を表現する、決定的なキーワードである「机上犯罪者」が、全く使われていないことである。それだけではない、朝日新聞の記事データベース「聞蔵Ⅱ」で検索すると、「机上犯罪者」は「自問すること」のたった一例しか出てこない。
朝日新聞は、歴史の反省に関してドイツに学べと以前から繰り返し主張してきた。かつてはシュミット首相による、自己正当化のために日本を誹謗する発言を利用し、最近では来日したメルケル首相にわざわざ浜離宮朝日ホールで講演させてまで、ドイツに学べと日本人を迫害している。その朝日が自己の戦時報道の回顧・検証に関しては、キーワード「机上犯罪者」を隠蔽して、ドイツに全く学ぼうとしていない。
この事実は何を意味するのか。「時の政権の宣伝役や支持役をつとめることで戦争などの旗振りをし、国民を死に追いやったジャーナリスト」とは、まさに朝日新聞に完璧に当てはまる。それを「自問する」コラムが掲載されたのだから、その時点では、巨大な戦争犯罪を犯したことを、筆者も朝日自体も明らかに認めているのである。
しかしその後において、戦時報道の検証を全然真面目にやっていない。朝日が本気で歴史を反省しているのなら、この二十数年間に、「机上犯罪者」という素晴らしいキーワードが、何十回何百回と朝日紙上に出現しなければならない。
つまり朝日はその戦時の犯罪行為について、ちっとも反省していないし、ましてや国民に対して謝罪もしていない。それなのに「歴史を清算しろ」「歴史と向き会え」など、日本人同胞を貶めるのは、すさまじいまでの虐日偽善であり、卑劣の極みと言うほかない。
朝日の特質は、戦後において、戦時よりもはるかに悪質な、机上犯罪者であり続けていることにある。このような真に犯罪的な報道機関が、正義面・善人面をしてのさばり返っているのは、日本民族としてこの上ない恥辱・屈辱である。それだけではない。日本民族の生存にとって、最大の危険保障である。
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