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朝日新聞の歴史隠蔽主義

『月刊日本』 2016年1月号 羅針盤 2015年12月22日

朝日新聞は「戦後70年」の長期連載をやっていたが、十二月二日に至って、「戦争と新聞」を取り上げ、「なぜ戦争協力の道へ」と題して二面に渡る大型記事を掲載した。リードには、「かつて日本が戦争への道を進んだ時代に新聞は何をしたのか。当事者の記者たちは戦後どんな思いを抱いて生きてきたのか。そこからくみ取るべき教訓は何か。安保法制が成立し、再び戦争と平和が問われるいま、改めて考えたい」。

占領軍によって免罪にされた新聞の戦争犯罪は、その解明が最もなされていないものであり、「戦後70年」で最初に取り上げるべきである。またこの記事の冒頭の解説にあるように、満州事変が戦前の論調の転機であり、また安保法制の成立と関連させるというのだから、九月に掲載するのも適切であろう。しかし都合の悪いことは最後に回したのであり、これこそ本気で取り組んでいない何よりの証拠である。

さらに「また、軍部に批判的だった朝日は、軍や右翼から敵視されていた。『反軍』『国賊』とレッテルを貼られ、右翼団体からの暴力行使も懸念されていた。事変前後には朝日を標的にした不買運動も各地で起きた。経営に打撃を与えようとする運動だった」と、もっぱら被害者の立場を強調する。

その上で、「事変の翌年に村山龍平社長が役員会議で語った言葉を書き留めた社内メモがある。社論の転換を苦々しく回顧するような発言に続けて、『対暴力の方法なし』『不得已(やむをえず)豹変』と記されている」と、社内メモまで持ち出す。自己の戦争犯罪を免罪にするための、徹底した自己弁護である。

しかし朝日新聞が、いやいやながら戦争に協力したとはとても思えない。その戦争中の行動は、協力というよりも「共犯」と言うべきものである。この記事には年表がついており、朝日に関連する事項として、31年9月~10月「朝日が社論を転換し満州事変を支持」、36年2月「2・26事件で東京朝日新聞本社にも襲撃」などが出ているが、40年12月に「内閣に情報局設置、新聞統制進む」とある。

この内閣情報局の最高責任者・総裁には、実は朝日の人間が二人も就任している。緒方竹虎と下村宏である。つまりこれも朝日に関係する事項であるのだが、この重要な事実は全く説明されていない。まことに素晴らしい、歴史隠蔽主義である。朝日が戦争協力の根拠とする、言論統制・新聞統制のトップが、朝日の人間であるのは、グロテスクな歴史の真実である。当時の朝日は軍部・国家権力と、完全に癒着して一体であったのだ。

ところで「戦時下の本紙記者」の欄に、岸田(旧姓高橋)葉子という女性記者が出てくる。その証言が、なかなか興味深い。この人は44年秋に入社し、「当時、戦争が始まってしまった以上は国のため一生懸命頑張ろう、と考えていた」という。記者を一生続けようと思ってきたが、敗戦翌月に退社してしまう。「戦時中に愛国心を強調した人ほど、戦後は『自分は被害者だ』と言ったり親米派に転じたりした。退社の理由は不信です」と述べている。この転向現象は、個々の記者の話ではなく、朝日全社の問題であることが、根本的に重要である。つまり満州事変の際の「豹変」に続く、第二の「豹変」であるわけである。

また岸田は日本の現状について聞かれて、「戦後の朝日が戦争への反省に立って新しい新聞に変わったということは疑わない」と述べ、また「イラク戦争などが起きるたびに『ああ、また穏やかな人が戦場に送られていく』と感じる。朝日は戦争への流れに抵抗する新聞であり続けてほしい」という。しかしこれは真に奇妙だ。今の朝日の姿こそ、岸田が不信を抱いた戦争直後の転向・豹変の在り方を、そのまま七十年間継続したものに他ならない。岸田はその本質が全然わかっていないらしい。

そもそも朝日の唱える平和主義こそ、戦争中の朝日が煽った軍国主義の裏返しである。このことは40年も以前に、山本七平が口を酸っぱくして、主張していた。さらに言えば、現在の盲目的・狂信的な平和主義に比較すれば、戦争中の軍国主義の方が、遥かにリーズナブルではないかと、私は考える。

 

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sakai-book01.jpg ← 酒井信彦 著『虐日偽善に狂う朝日新聞―偏見と差別の朝日的思考と精神構造』(日新報道 2013/08出版)


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