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偽善に酔い痴れる日本人 -虚妄なる歴史の反省-

國民會館叢書6(平成5年3月20日)

は じ め に
  國民會舘という存在は、申し訳ありませんが私は寡聞にして存じ上げませんでした。かなり古くから伝統のある、鐘紡の武藤さんがお始めになった会で、活発に月に何回も講演会を開いていらっしゃると伺いまして、大変、御立派な御事業を続けていらっしゃると感服した次第です。

 本日、皆様に私が申し上げたいことは、表題にありますように、日本の心の問題です。日本人の現在の心の問題について普通に言われていることは、全く逆なのではないか、倒錯しているのではないか、と私は考えております。間違っていることが正しいとされて、正しいことが間違っているとされるという、全く逆転した倒錯した心理状態に日本人は置かれているのだということを、私なりに説明したいと思います。

 これは私が急に思いついたことではありません。私は日本の歴史 ―― 国史を勉強してきましたが、その過程で学んだ日本の歴史の学問というのは、非常に左翼の人達の影響力が強い学問でした。現在においてもそうであり、それが教科書問題に反映しているわけです。その日本の歴史学界の中で生息してまいりますと、必然的に左翼の人達の文献を沢山読まなければならないわけで、そういう意味で、私は反面教師として彼らからずいぶん教えられたと思います。つまり私が大学から20何年かに亘って歴史を勉強してきまして、また現在の状況を踏まえてこれは私が無理して考えたのではなく、自然に「世の中の実態とはこういうものだな」という理解ができるようになった。そのことを皆様にお話したいわけです。

 これは考えてみると、極めて簡単な精神的カラクリですが、現在の日本ではほとんど指摘されることがないと思いますので、私なりに説明させていただきたいと思って申し上げます。

歴 史 の 反 省
 さて毎年この時期、8月15日の終戦記念日、つまり大東亜戦争の終った日という頃になると、新聞、テレビなどマスコミで戦争についての問題が必ずといっていいほど採り上げられます。これは戦後、ずっと続いていた現象ですけれども、この数年、かえって顕著に見られるようになったと思います。それがどういう採り上げられ方をするかというと、ワンパターンといってもいいのですが、日本が悪かった、大東亜戦争において日本が100%悪者だったという視点から採り上げられます。

 そしてさらに「そういう悪いことを再びやってはいけない、その犯罪を反省しないと、必ず、再び日本人が全く同じ誤ちを犯す心配があるから、毎年8月15日を中心とした日をメモリアル・ディとして反省しなければならない」という。言ってみれば年中行事としての、マスコミの反戦キャンペーンが牢固として定着しつつあります。そういう歴史の反省を現在日本が世界で評判が悪い、ジャパンバッシング、日本叩きという現象が経済面を中心に起っていることとは、実に密接な関係があるのです。

 普通、言われているのは、日本人が反省をしないから、叩かれるんだとされていますが、私はそういうふうには考えません。日本人がいわゆる口先だけの歴史の反省をするからかえって世界の国々から信用をうけないで、ジャパンバッシングを受けることになるんだ、と考えます。

 歴史の反省という場合、いわゆる東京裁判史観が問題になります。この東京裁判史観というのは、東京裁判で展開された考え方ですが、この裁判は非常に奇妙な裁判でありまして、戦勝国が敗戦国を一方的に裁くという戦争裁判であり、こんな裁判は歴史的にかつて無かったものであります。第1次大戦の後に戦争裁判はありませんでしたし、第2次大戦後の期間には、いくつもいくつも戦争が起りましたが、その度に勝った方が負けた方を裁判によって裁いたという話はききません。第2次大戦後のニュールンベルク裁判と東京裁判、歴史上ただ2例しかない珍しい裁判であったということになります。

この東京裁判史観と戦後の左翼の人達の考え方は極めてうまく結びつきました。マルクス主義の歴史学者の人達は、戦後の日本で力を得ました。何故かといいますと、その一番の原因は左翼の人達、共産党系の人達が戦争に反対したという所にポイントがあったと思います。『獄中18年』という、獄中にそれだけいたということがあたかも勲章のように受取られて左翼の歴史観が大きな影響力を持ちました。それで戦後の一時期はアメリカの占領軍と日本共産党の蜜月時代、非常に仲良しの時代があり、その後、アメリカが共産主義の脅威に気がつきはじめると、アメリカと日本共産党とは離れていったわけです。しかし日本は曲りなりにも自由主義圏に入りましたから、共産主義国家のように教育や言論を一方的に政治権力が統制することはできませんでした。従って、その歴史教育に左翼の人達の歴史学が大きく影響いたしました。左翼の人達の歴史学は日本が悪かった。完全に犯罪者だったということを、さかんに強調しました。そういうふうにいった目的を考えてみると日本人の自尊心を徹底的に傷つけておくと戦後において共産主義革命がやりやすい、自分達の革命を行う土壌として非常に都合が良いという、実利的な考え方が根本にあったと思います。そういう考え方が牢固として築かれた上に家永裁判――家永教科書訴訟が出現しました。あの人は共産党とピッタリの人ではありませんけれども、いわゆる「良心的な」とか「進歩的な」とか言われる種類の人であり、こういう人達は過去の日本の行為を反省して、それから新しい日本を築かなければならないと考え、教科書の中に国家権力が介入して、過去の戦争の反省をしない歴史教育を行ってはいけないと主張して、裁判という政争に持ち込んだわけです。政治が教育に介入してはいけないと言いながら、政治を公教育の中に堂々と持込むことをやりました。 

歴史の反省ということ自体は確かにある意味で非常に重要なことは勿論です。

 ただし、その反省という行為、自分が悪いことを本当にしたり、間違ったことを言ったり、やったりしたとして、それらを心から悪かった間違っていたと認めること、これは簡単なことではありません。反対にとても難しいことです。それがなぜわかるかといいますと、左翼の歴史学者のみならず進歩的な人達が、戦後、行ってきた跡をふりかえってみればすぐわかります。

講 和 問 題 と 60 年 安 保
 次にその具体例をいくつかあげてみましょう。昭和20年代、日本が諸外国と戦後の講和条約を締結する場合に、全面講和か単独講和かが問題になりました。左翼の人達はソ連など共産主義国家を含む国々と全面的に講和しなければ本当の講和にならないんだということを、さかんに言いました。

 けれども、吉田内閣はこういう人達の意見を押えて単独講和に踏み切りました。全面講和を主張したのが間違いだったということは今日では全く明らかです。それから60年、昭和35年安保がありました。講話の問題は、私は小学生の頃ですからよく知りませんが、60年安保の時は高校生だったので、非常によく憶えています。この60年安保の時は日本がアメリカと安保条約を結ぶと日本は必ず戦争に巻き込まれるから、安保条約は結んではいけないという主張がさかんに行なわれました。新聞はそう書き立てましたし、左翼の人達は勿論、左翼以外のいろんな人達が安保条約に反対いたしました。また安保条約の国会採決の際の岸内閣のやり方が非民主的だというので大騒ぎになりました。

 国会を何十万人だったか大きなデモがとりかこむ事態が起りました。戦後、あれほどの大規模なデモが起ったことは今に至るまで無いと思います。それくらい大きなデモでした。私が通っておりました都立高校においても高校生が学生大会を開いて安保条約が良いか悪いかということを討議したんです。我々の高校ばかりがやったのではなくて広くいろいろなところで行われたと思います。

 その結論は最初からはっきりしているわけです。安保条約は悪いんだという立場から生徒大会とか学生大会とかを牛耳る勢力の人が既におりまして、大学には当然あったわけですが、それが高校レベルまで学生運動の波が押寄せておりました。60年安保の時に安保条約を結ばなかったらどうなっていたかというと、これは大変危険なことになっていたと思います。今のように共産主義が弱体化していない段階で、日本がアメリカの軍事力の傘から離れた時に一種の軍事的真空地帯が起るわけです。そこを埋めようとしてソ連や中華人民共和国の軍事力が入ってきてもなんら不思議ではありません。いかに理想主義的な観念的な平和主義というものが誤っていたかということは、歴史的に証明されています。しかし60年安保の時の問題は、いまだ嘗てまともにふり返って議論されていません。安保条約に反対したことが如何に間違っていたかはちっとも反省されていないのです。

大 学 紛 争 と 文 革 ・ 成 田
 それから数年後に70年安保を中心として大学紛争が起こりました。この時私はちょうど大学院生でして、東大のああいう騒ぎを実見し、この運動が如何にデタラメなものであるかを、自分の眼でみた限りにおいてはっきり認識することができました。大学院では私は国史学科でしたが、その大部分の人は日共系か反日共系かの熱心な活動家とそのシンパになっていきました。

 東大紛争の発端は、理科系の場合医学部で、文化系の場合は文学部でした。つまり文学部が非常に熱心でありまして、その中でも特に歴史関係ははじめからそういう意識の強い所でありまして、結局、文学部の学生は、有名な林健太郎文学部長をカンヅメにして吊し上げるという事件を起しました。実は私は林健太郎氏がある教室に閉じ込められている状況をこの眼でみています。といっても私が吊し上げに参加していたわけではないんですけれども、その吊し上げている人間は私の良く知っている人間ですので、私に便宜をはかって見せてくれた訳です。

 で、御存知のように全共闘系、反日共系の人達が林学部長の吊し上げをやったわけです。では日共系と反日共系はどういうふうに違うのかといいますと、私がみた限り、日共系は昔から共産主義的な意識を持っている連中、反日共系の連中はそれ以前は政治などには関心を持っていなかった、ごく普通の若者、そういうタイプの人です。私は共産主義的な雰囲気にずっと馴染めませんでしたから、どちらかというとそういう人達と親しかったわけでありまして、彼等が私に林健太郎氏を吊し上げているのをみせてくれたというわけです。で、この大学紛争というのは馬鹿みたいといえばその通りでありますが、その当時は皆大真面目でありました。少なくとも真面目なつもりであったと思います。

 ではそれ以降どうなったかというと、大学に機動隊が入ったら、大学の学問の自由が無くなると、さかんに言われましたが、大学管理法案が通り、大学に機動隊が大々的に導入され、大学の学問の自由がなくなったかというと、そんなことは全然無かったわけであります。学問の自由という、国家権力に規制されない、それだけ得手勝手なことができるという自由は、現在の国立大学に厳然として存在しております。かえって国立大学の方が左翼の人達の安住の場所となっているという傾向すらあると言えます。そういう人達は大学紛争(その人達の言葉で言うと「大学闘争」といいます。)において自分達は一所懸命闘ったんだ、というんですが、その当時の大学と今の大学と較べまして、根本的には何も変っておりません。もっと興味深いことはその当時、一所懸命闘った人達が、現在、大学の先生の中に沢山、掃いて棄てる程いますが、そういう人達が、現在の大学に不満を持っているようには全く見受けられません。ということは、あの「闘争」は完全に間違っていたと、はっきり言うことができます。大学紛争は中華人民共和国の文化大革命と連動しておりました。東大の赤門の隣に正門がありまして、それが安田講堂から真直ぐ進んだところにあります。その正門に毛沢東の肖像が掲げられました。それから門柱に「大学解体」とか「造反有理」という落書がされておりました。このことはよくおぼえております。これは文化大革命と連動していた明白な証拠です。文化大革命自体も日本では非情に好意的な(日本ばかりではなく世界的にはじめは好意的な)採り上げられ方をしました。日本のマスコミ、大学の先生方、そういう人達ばかりでなく、自民党の代議士までそうでした。例えば内藤譽三郎さんという文部大臣になった代議士さんがいましたが、あの人などは「文革は非常に素晴しい。下放といって学生を農村に働きに行かせる、これは知識と実際の労働とを結びつけた非常に素晴しいものだ」といって一所懸命に賞讃しました。この「下放」の意味を今から考えてみますと、知識分子を農村に追い遣るのが本当の目的でありました。さらには、辺境というのはいわゆる非漢民族地帯ですが、非漢民族の土地を漢民族化するために漢民族の若い人達を辺境に送りこむという、そういう目的があったのです。それは完全に失敗しましたけれども、それがさかんに賞讃されました。また今から考えてみると大変馬鹿馬鹿しいことでありまして、その当時、「農業は大寨に学べ」と言われまして、大寨とは山西省のある農村ですが、毛沢東思想によって大変な収穫をあげた。稲穂があんまり稔って、その上に人間が乗っても沈まないという物凄い話が、まことしやかに伝えられました。その文化大革命についても、これは中華人民共和国の人達にとっては生命がけの問題であり、それに合わせていかないと生命を無くすわけです。文化大革命を批判したりしたら、密告されて大変なことになるわけですから、中華人民共和国の人が文化大革命に追随していくというのは、仕方がありませんが、日本のように、そういう危険から自由な立場の人間が、ああいう完全な全体主義的な考え方に支配されること、特に戦後の自由と民主主義を旗印にしている人達が完全にイカレてしまったということは、実に驚くべきことです。

 しかも、そういうことについて反省がされたかというと、それは全くなされたことはありません。それから成田空港問題という、これは現在も片付いておりませんけれども大きな問題がありました。あの当時の大学紛争と関連して起った問題であり、成田空港はそれから20年近くなるのにまだ完成をみていません。あの当時の反対のされ方は成田空港を作ると、それは軍事空港になるという、決り文句に基く反対でした。社会党の人々が一坪地主になって、反対いたしました。これは運輸省や自民党の政治家の対応もまずかった。勇気のない変な対応の仕方をしたと私は思いますが、とにかく成田空港は異常のままです。国際化といいますけれども、日本を国際化するために大切なことは日本と外国との交通、とくに人的交流を増すことが必要なわけですから、成田空港があのままだということは、日本を国際化するためには、非常に不都合なのです。しかも成田空港があんな変な形のままにしているのは、空の運行に無理がかかっていることになります。滑走路1本で大変な量の飛行機を無理やり発着させていることは、事故の起る確率を一所懸命高めているわけです。

 日本航空の500人乗りの飛行機が御巣鷹山に落ち、これは大騒ぎいたしまして「空の安全に時効は無い」という名文句が新聞の活字に踊っておりますけれども、空の安全を考えるのだったら、成田空港を早く完成させるべきです。無理な運航をさせてはいけないのに、そこの所は全然考えないでまだ話合いで解決しろとか、そういうことを言っているわけです。

極 左 暴 徒 の 犯 罪
 それから非常に我々は忘れっぽいんだと思う事があります。70年安保の時代、極左暴力集団、日本語で普通、過激派という言葉が使われますが、過激派というのはこれは正確な言葉ではありません。それはいわゆる過激派の人々を過保護の扱いにした言葉です。正確に言えば極左暴徒、警察では極左暴力といいますが、はっきりそういうふうに言うべきです。この極左暴徒の人達が何をやったかということはこれは皆さん、意識の中で薄れているかも知れませんが、はっきり思い出しておくべきだと私は強く思います。

 今から大体16年前、昭和49年(1974)8月30日に何が起ったか、ご記憶の人いるでしょうか。この日、丸の内の三菱重工が時限爆弾で爆発させられまして通りかかった人が8人死亡し、何百人という人が傷ついた。これは完全な無差別テロです。三菱重工の重役を殺したとかいうことではないんです。三菱重工の従業員を殺したというのでもありません。三菱重工の前を歩いていた人を殺したという、これは無差別に大量殺人を行ったわけです。またそれより2年前の昭和47年、これはイスラエルのテル・アビブ空港で日本赤軍派の3人が出かけていってその空港で機関銃を乱射しました。人混みに向かって機関銃を乱射すればどういうことが起るかくらいは、誰だって判ります。それで20何人を虐殺したわけです。犯人の内生き残ったのが岡本幸三という人で、他の2人は死んでしまいました。そういうことを極左暴徒の人達はやりました。それだけでなくもっと沢山やってをりますが、あまり一々を説明しているとキリがありませんので大部分は省略いたします。

 最近でも成田空港関係で虐殺事件が起きていますので、これを紹介しましょう。切抜きが手許にあったので持ってきました。久保田ふみさんという名前をご記憶の方はないと思いますが、この人は日本飛行機専務の奥さんで、鎌倉に住んでいた方です。今年(平成2年)4月11日の夜中に時限発火装置で放火され、焼け死んでしまったのです。焼け死んだというより殺されたんですね。完全な虐殺です。真夜中に放火したら眠っている人が起きられなくて死ぬ可能性の高いことは馬鹿でも判ります。こういうこと今も堂々とやっているわけです。1970年当時に極左の暴徒が暴れていただけでなく、現在もこれは続いているわけです。放火だけだったら、いわゆる大嘗祭に関連していろんな所の神社を放火して、由緒ある建造物を丸焼にさせています。これは日本の自由や民主主義に対する挑戦などと言うものではなく、普通の人の生命を狙っている、非常に憎むべき犯罪です。けれども、この極左暴力の犯罪性について日本人は非常に鈍感になっています。たとえば昭和62年5月朝日新聞の阪神支局の小尻という記者が散弾銃で撃たれて死んでしまうという事件がありました。犯人はどういう人だか判りませんが、一応あれは右側の人がやったということになっておりますから、毎年毎年回顧され5月3日の憲法記念日ということもあって、それは必ず新聞に載せられて言論の自由を守らなければいけないと強調されます。

 私は別に小尻さんの死を回顧するのがいけないなどと言っているのではありません。小尻さんの死を通じて言論の自由が心配だと言うのなら、極左の暴力によって、その何倍もの凶悪な犯罪が起されているのですから、それを採り上げないのはまるっきりおかしいと言っているのです。ついこの間もNHKに対して極左勢力がロケット弾をブチ込むという事件がありました。これはマスコミでは全然何でもないことのように報道されました。それよりちょっと前にフェリス女学院の先生の家に銃弾がブチこまれて硝子が割れたことがありましたが、これは大変な騒ぎになりまして新聞でも大々的に採り上げました。このように明らかに極度の差別があるんです。右の方がやった犯罪であれば物凄く大騒ぎするけれども、極左の人達がやった犯罪については、あたかも何でもないことのように報道するのです。これはどういうことかと言いますと、マスコミ及び多くの知識人は明らかに極左の味方、はっきり言うとグルに近いと言っていいんです。

 これではこういう人達が過去に自分達が報道したこと、60年安保、70年安保、成田の問題について報道してきたこと、それに対して自分達が間違っていたとしても、何ら反省するわけが無いんです。

 つまり、日本の戦後の歴史をみる限り、左翼やそれに同調していた人達が、自分達がやった明白に間違っていたことを反省するかというと全然反省していません。自分達のやったことを反省できないような人達が、自分が直接にかかわったことの無い、自分の親とかお祖父さんとか、そういう人達がやったことについて本当の意味で反省しているかといえば、それは反省しているわけがないわけです。いいですか。これは極めて大事なポイントなのでもう一度言います。自分がやったことに対して反省できない人間が、自分ではない人間がやったことについて反省できるわけがないんです。本当の意味で反省できるわけがありません。

虚 妄 な る 歴 史 の 反 省
 つまり今、日本で反省反省と言っているのは、これは本当の意味で、自分が反省していることでは全く無くて、ある別の目的で行なわれていることなんです。それはどういうことかと言いますと、その反省する主体に自分は含まれていません。反省しなければならないと言った時には、自分はすり抜けているんです。まず反省が足りない人達というのを設定します、自分は反省したから良いんだ、そうでなくて反省の足りない人達がいる。これに対して攻撃して、悔い改めさせて反省させなければいけないんだという論理です。何故こうなるかと言いますと、それは自己を正当化するために歴史の反省を持ち出しているからです。自分のやっている悪いことを本気になって反省するということは、これは大変高度な精神作用でありまして、自分が本当の意味で苦しまなくてはなりません。けれども、現在、日本で言っている反省、歴史の反省といったことは自分が苦しまないで、反省をしない人間を攻撃する、もすこし俗な言葉でいうといじめる、そのことによって自分が精神的な快感を得る。以上のような心理的メカニズムによって成立しているのです。そういう目的を持った歴史の反省なんです。私が今日の講演の副題に「虚妄なる歴史の反省」と言っているのは、そういう意味です。

 これは考えてみると非常に簡単なことです。人間というのはまじめになって反省できるほど崇高な存在ではないという平凡な事実。これは普通、我々が日常生活で考えてみればよく判ることです。戦争とか何とかいう高度の次元問題ではなくて、自分の身の周りのことで自分が他人に対して迷惑をかけたことがあるとします。過去に他人に大変迷惑をかけたことがあって、その後その人と会うたびごとに、「あの時は迷惑をかけました」と一所懸命反省して謝るかといったら、そんなことはしません。もしそういうことをやったとしたら、それは口先だけの偽善であります。ところが歴史の反省の場合、その偽善があたかも大変な正義であるように錯覚されているのです。そこの所に非常に大きな問題があると思います。ところが左翼の歴史学ではこれは当然のことであるわけです。自分達は正義を体現するという考え方ですから。自分達は正しい人間だけれども、日本人の中に過去に誤ったことをやったが、歴史を反省しない人間がいて、このような人間が又、日本を悪い方向に持っていこうとしている。そういう論理を組立てて、保守政権を攻撃して来ました。それが職業になっている人達は完全に定着しているわけです。私は日本史を勉強して来ましたからたくさん読みましたが、マルクス主義による研究者達の作っている雑誌にはそういう考えが、繰り返し繰り返し説かれていました。ただし、このような考えは日本の社会の中では大きな市民権を持っていませんでした。というのは教科書問題は近年になって大きな問題になりましたが、実はそれ以前に長い歴史があるんです。一番最初に家永三郎氏が裁判に持ち込んだのはたしか私の大学時代だと思います。ある時点までは教科書問題は大きな問題になりませんでした。左翼の人達こそ騒いでおりましたけれども、日本の全体の中ではそう大きな問題にならなかったんです。かえって家永氏みたいな考え方はあれは極端な考え方であって、日本全体の中では支持を受けなくなってゆく傾向が続いておりました。それがある時点からガラッと変りました。

私 が 間 違 っ て い た こ と
 はっきり申し上げまして自分が実に馬鹿だったと思うことがあります。それは私は左翼の人達の無理な歴史の反省という考え方は、日本が経済復興していき日本が段々まともな考え方になってくれば自然に無くなっていくと、その意味では極めて楽観的に考えていました。その点について私は根本的に間違っていました。私は歴史を勉強していた人間ですが、そこに全然気がつかなかった。そういう意味で反省しなければならない。そのことをこれから申し上げることにします。

 このような偽善的な考え方は歴史学者、マスコミ関係者、とりわけ朝日新聞、そういう人達の中には昔から強くありました。しかし、それは日本全体として考えてみた場合、それほど市民権を得ていなかった。広汎に定着していなかったと思います。それがある時点から世の中に広汎に定着するようになってしまったんです。支那の諺に「衣食足リテ礼節ヲ知ル」というのがあります。経済的な余裕が出てくると心のゆとりができて、きちんとした考え方ができる。又、「恒産無ケレバ恒心無シ」という諺があります。「恒産」というのはしっかりした財産というか、財政的基盤です。そういう「恒産」が無いと「恒心」が無い。これを逆にいうと、しっかりした財産ができるとしっかりした考え方ができる、ということになるはずです。私は漠然と日本がそうなっていくのではないか、と考えていました。それは今からふり返って考えると全くの間違いでありました。そうではなくて、日本の場合は経済的な繁栄に伴って、今度は偽善的な一部の人達の考え方が、社会に広く定着するようになってしまったんです。これは非常に重大な問題だと思います。この場合、社会に広く定着するようになった原因というのは、日本だけの問題ではなく国際関係と絡まりあいながら、日本にそういう偽善的なモノの考え方、歴史の反省における偽善的な考え方が流行して定着するようになってしまった。これは先程申し上げました教科書問題と中国――中華人民共和国や韓国との関係の中からこういうことになりました。したがって教科書問題と外国との関係をちょっと歴史的にふりかえっておきたいと思います。

日 中 国 交 成 立
 教科書問題は先程いいました私の大学時代、20年くらい前から存在していたのですが、教科書問題が日本の中で大問題となったのは、そんなに歴史の古いことではなく1984年、昭和59年ですから6年前からです。この年の教科書検定において、今迄"侵略"と書かれていたものを"侵出"に書き改めさせたという記事が新聞に出ました。これは全く嘘だったんですが、それを口実に中華人民共和国の方から抗議が出まして、そのような事実が存在しなかったにもかかわらず、当時、鈴木内閣だったと思いますけれども、宮沢官房長官が外国の抗議を受け容れて、教科書に配慮するということを認めてしまったわけです。中華人民共和国の抗議が何故こういうふうに教科書問題で日本の政治家を動かすようになったかといいますと、これはそれなりの歴史的前提を考えておかないといけません。

 さて何故そういうことが起ったかといいますと、日本の政治家がとりわけ中華人民共和国との間において心理的に弱い立場にあるからです。私は田中角栄という人はそれなりに有能な政治家だったと思いますが、この方のやった1番悪いことは何かというと、ロッキード裁判ではありません。田中角栄氏が政治家としてやった最大の犯罪は日中国交回復です。ただし日中国交回復そのものが悪いのではありません。悪かったのはその時に日中共同声明を出して、過去の日本が支那、いわゆる中国に対して反省謝罪するようなことを表記したことです。これは田中氏が総理大臣になったのは1972年、昭和47年で、私が就職して間も無い頃だったと思います。今でもこの時のことをおぼえていますが、田中氏は佐藤栄作氏の後を襲って総理大臣になりました。その時、福田赳夫氏と争ったわけですが、それ以前は福田氏の方が有利だと考えられておりました。それが急に田中氏が浮上して首相になってしまった。この時の新聞、とりわけ朝日新聞の挺子入れの仕方といふのはすさまじいものだったと記憶しています。今太閤と囃し立てました。あれはロッキードの時とは180度逆の挺子入れの仕方でした。では何故そうなったのかというと、中華人民共和国の方がまず田中氏を選択し、中華人民共和国の意向がマスコミを動かして田中氏への熱狂的な後押しとなったのだと思います。田中氏が総理大臣になってすぐ、日中国交回復、正しくは日中国交成立ということに踏切りまして、北京に行って変な漢詩を誦んで得意になって毛沢東から屈原の楚辞という本を貰って喜んだ。屈原という人は国が滅んで自殺した人ですから、そういう本を貰って喜ぶのは、どうかと思いますけれども、田中さんはあまりそういうことはよく考えないで、日中国交を成立させたことに有頂天になっていました。私はこれは完全なる拙速外交だったと思います。中華人民共和国の外交の方が遙かに上手だったのです。

チ ベ ッ ト 問 題 と 日 本 マ ス コ ミ
 そもそも日本のマスコミは文革以後、中華人民共和国の非常な影響下にありました。それは今も変っておりません。今はかなり回復されたという人がおりますが、私は全然そういうふうに考えていません。私が何故、そういうことをはっきり言えるかといいますと、司会者に紹介して頂きましたが、私はチベット問題について関心を持っております。「チベット問題を考える会」という小さな集まりですけれども、それを主催してやっております。チベット問題については世界のマスコミ特に欧米のマスコミは積極的に報道して、欧米では非常に大きな問題になっているのですが、日本で何故そうならないかというとマスコミが書かないからなんです。知っていながらわざわざ書かない、つまり意図的に隠しているんです。隠していることを、私共ははっきりつかんでおります。去年、平成元年の12月号の『諸君』に書きましたが、チベットには昔からの寺院が何千とあったのですが、これが破壊されました。また坊さんがほとんどいなくなりました。これを今の説明の仕方ですと、文化大革命中に紅衛兵によって破壊されてしまったんだと説明されるのが普通です。が、これは嘘なんです。文化大革命の時に壊されたものも勿論あると思いますが、その大部分が破壊されたのはそれより以前、1950年代から60年代、中共がチベットを侵略した時に破壊されたのです。そのことを現在は中華人民共和国が小出しにですが、言いはじめています。たとえばチベット自治区の責任者が朝日新聞の岩垂弘記者――この人は社会部の進歩的な記者として有名な人ですが――に言ったんです。にもかかわらず、岩垂氏はそのことを全く報道しませんでした。

 これは一昨年、昭和63年の夏のことですが、その2年前にも岩垂氏はチベットに行っているんですが、その時の中華人民共和国の説明のしかたは、完全に紅衛兵が破壊したというものでした。そのことについて岩垂氏は大々的に新聞に書きました。2年後中国チベット秘宝展という朝日新聞が主催したチベット文化財の展覧会の準備のために岩垂氏がチベットに行った際、本当のことを聞かされました。ということは、今迄岩垂氏が報道したことは180度違うことを中国の責任者が証言したわけです。かつて自分が報道した誤りについて、訂正する責任がありながらそういう衝撃的なことは、筆を曲げてふせてしまったのです。しかし客観的にいうとこれは岩垂氏のスクープになったはずです。

 もう一つチベットに関する日本の報道機関の報道犯罪の例を挙げますと、一昨年、『月曜評論』に書いたことがありますが、テレビ朝日のニュースステーションという左翼的な人々に評判の良い番組があります。この番組で一回、比較的チベットサイドに立った報道をしたことがありました。一昨年の9月8日の夜だったと思います。どこまでテレビ朝日が承知の上でそういうチベットサイド――これは歴史の事実に近いわけですけれども――に立った報道をやったのかよく判りませんが、「侵略」という言葉はつかわないものの割と明確なモノの言い方をしました。ところが、その次の日に司会の久米宏氏が番組の冒頭で前日の放送を訂正するとはっきり言ったのです。その時の訂正箇所は3点ありまして、チベットは独立国であったという表現を撤回し、だから13世紀以後、中国の一部であったということを言明しました。2点目は1951年に中華人民共和国がチベットを併合した時の条約があるんですが、これが中華人民共和国が一方的に押しつけたものではなく、平和的にチベットと話合って合意的に条約として承認されたということと、第3は1959年の「反乱」と日本では言っておりますが、ダライ・ラマがインドに亡命した時の蹶起は、封建領主とその勢力の叛乱であった。民衆の蜂起ではないということ、以上の3点を翌日になって訂正したのです。

 これは明らかに中華人民共和国の方から抗議を受け、それに完全に屈伏したのです。私の所でビデオを採ってありますから永久に消えません。日本マスコミはこういうような現状にあります。ですから、中華人民共和国に対して日本のマスコミは言論、報道の自由を持っていないのです。言論報道の自由というと、あたかも日本の国家権力が冒すというふうに皆さんお考えになるかも知れませんが、そうではありません。日本の言論報道は、日本の国家権力に規制されるよりも外国の国家権力に規制されている方がはるかに強いのです。したがって、チベット問題について、なんら積極的な報道が日本はできません。これは非常に面白いというと語弊がありますが、日本が歴史の何を反省するべきかというと、日本の報道機関は、過去の侵略を反省するべきだとさかんに言っているわけです。他の国に軍隊を入れて、支配するようなことを過去に日本がやったけれども、それは大変悪いことであるから再び絶対にやってはいけないと侵略を絶対悪と考えているわけです。それだけ侵略を罪悪視し、それに対して敏感であるならば、チベット問題についても関心を持たなければまるっきりおかしいのです。チベット問題というのは支那人、いわゆる中国人がチベットに対して、現在冒している侵略の現行犯なのですから、本当に過去の侵略の反省ということについて、まじめに考えているのであれば、チベットにおける侵略について関心を持たないわけがありません。一方では南アフリカのアパルトヘイトについては日本のマスコミはきわめて情緒的な反応のしかたをします。南アフリカ政府が極悪非道だというように、私はアパルトヘイトそのものは悪いことだと思いますが、日本のマスコミが単純に色揚げして批判するような性質のものではないと思います。それはともかく南アフリカの問題に対してこれだけ正義をふりかざして積極的に批判する日本のマスコミが、アフリカとか南アメリカという遠く離れた所ではない、我々のごく近くの所で現実に行われている侵略に対してまるで無関心でいるという事実は、はっきり言って全く筋の通らない、言語同断なことであると言わざるを得ません。日本のマスコミ関係者はもちろん、左翼の歴史学者など歴史の反省に熱心な人達が歴史の反省を本心では考えていないということが証明されていると私は確信します。

教 科 書 事 件
 ここで話をもとにもどしますと、日本のマスコミが中華人民共和国に弱いということ、それが日本の政治に反映して田中内閣の日中共同声明ができまして、その次に日中平和友好条約というものができました。考えてみますと日中平和友好条約というのは特別奇妙な条約で、これはソ連の覇権に対するため日本と中華人民共和国が協力して、アジアに覇権を認めないという内容です。覇権というのは侵略ということですが、中華人民共和国そのものがそもそも侵略国家なのです。奇妙さはそれだけではありません。何故、日中平和友好条約が今でもあるのでしょうか。それが私は不思議であります。日中平和友好条約というのは、あくまでもソ連を対象として作られた条約です。去年の春にゴルバチョフ大統領が北京を訪れて鄧小平と握手をしました。つまり中華人民共和国とソ連とが握手をしてしまったわけですから、日中平和友好条約の覇権条項というのは何でしょう。まるっきり意味を持たないではないですか。何故、日本が後生大事に日中平和友好条約を結んでいなければならないのか。改訂というか、見直しが当然考えられていいのに、議論にもされないというのは、これは私は大変おかしなことだと思います。以上のような日中共同声明や日中平和条約、それにマスコミの中華人民共和国に完全に従属した報道、そういう下地の上に1984年、昭和59年に第1次の教科書事件が起こりまして、それで日本の教科書に外国の意見が介入することになってしまいました。

 そしてもう1度、2年後の1986年に、第2次教科書事件が起こります。『新編日本史』という新しい教科書ができたものを、右翼反動のどうしようもない教科書であるときめつけて、そういう教科書でナショナリズムを基にした教育が行なわれるのではないかという心配を朝日新聞をはじめとするマスコミが大々的に報道しました。

 それに対して中華人民共和国が、又、介入してそれを改訂しろと強要してきたわけです。この時は韓国もからんできました。第1次教科書事件の時は私の記憶では、韓国は殆どでてこなかったと思いますが、第2次教科書事件の時は積極的に出てきました。

 この『新編日本史』は、いったん文部省の正式な検定を通ったにも拘らず、今度は中曽根総理大臣の意向によって書き換えさせられたのですから、教科書裁判を行ってきた人達の論理からいうと、これはとんでもないことになるはずです。家永氏をはじめとする教科書裁判を推進する人達は、文部省の検定すらいけないんだという考え方です。それに対して第2次教科書事件は文部省の検定を通過した教科書に対して、総理大臣という最高の国家権力そのものが直接書き直しを命じたのですから。これは政治権力の教科書に対するあからさまな介入です。本来の論理から言うと教科書裁判をやった人達は、検定すら否定するのですから、総理大臣が教科書に介入することなどは全く認められない筈です。それなのにこれを承認してしまいました。教科書裁判の論理というものは、これで完全に破綻してしまったことを意味しています。しかしこの簡単明瞭な事実についても注目されないのは奇妙というしかありません。

 私はこのとき中曽根首相がやったことはきわめて重大だと思っています。はっきり申し上げまして、中曽根氏は、私が今日お話する日本に偽善的な考え方が蔓延してしまった一番の責任者だと考えます。中曽根氏は教科書の書き直しを命じただけでなく藤尾発言に対する処分というのをやりました。文部大臣の藤尾氏が韓国が日本に併合された。いわゆる侵略されたのは韓国の側にもそれなりの責任がある、という意味のことを発言しました。これは考えてみれば当り前のことできわめて当然のことです。韓国だけに責任がある、といったのではないんです。韓国にも責任がある、といったのでありまして、特に韓国のように歴史と文化を有する国が、他の国に簡単に併合されてしまったということは、はっきりいって非常に恥ずべきことです。これがたとえばオーストラリアの原住民のような、非常に文明が遅れている人達、日本で言えばアイヌのような人達、アメリカインディアンの人達、そういう人達が外国から来た人間に支配されてしまうのは、これは文明に圧倒的な落差がありますから、仕様がないといえば仕様がありません。日本と韓国との間に歴史的発展の差というものはあったと思いますが、韓国があれほど容易に併合されたことは韓国の人達にとって自慢すべきことではありませんし、韓国の側にも問題があったことは確かだと思います。ということはどういうことかといいますと、藤尾氏がいかなる意味で言ったか私には判りませんが、客観的にいって責任があるというのは相手側にも主体性を認めるから責任があるということになるわけです。相手側が国家としての主体がなく、どう仕様もない国であったならば、これはどうにも責任なんてことにならないわけです。それ以前はちゃんとやってきた歴史を持った国が日本に併合されたのですから、そこの所に自分自身の責任が生じるということです。韓国にとっては腹の立つことかも知れませんが、藤尾氏の発言は当り前のことを言っているだけであって、それを一方的に詰め腹を切らされるというようなことは、きわめて筋の通らないことだと私は思います。さらに藤尾氏があの時、ああいうことを何故言わなければならなかったかという状況こそが私は問題だと思います。藤尾氏も中曽根首相がああいうような不手際なやり方をしなければ、あえて発言する必要はありませんでした。あの時はちょうど『新編日本史』の問題だけでなく靖国神社への総理大臣の参拝の問題ということがありました。中曽根首相が諮問委員会を作って公式参拝を正式に打出して、それに則って実行し中共から反撃をくらったわけです。そうするとあたふたと止めてしまった。これは中曽根首相が公式参拝をやろうとしたこと自体は間違っていなかったのですが、政治家としては大失態だと思います。政治家としていったん決定したことを、外国から猛烈な反発をうけただけで途中でおめおめと止めてしまうというようでは外交的な大失態だということです。そのことについては中曽根首相には巨大な責任があると思います。私はこの時から日本全体に、前から説明してきました歴史の反省ということを薄っぺらな、日本人だけが悪いんだというような観点からとらえる、そういう偽善的な考え方が行き渡っていったのではないかと考えております。

 勧 善 懲 悪 ド ラ マ 的 歴 史 観
 その歴史の教育という場合に、皆さんは学校教育だけを考えるかも知れませんが、人間が教育されるのは学校教育だけでなく、社会教育もあります。これは役所のいうそれとは違いまして、マスコミから普通の人間が情報を得ること、新聞を読んだりテレビを観たりして情報が注入されることです。だから我々は学校を出た後で、社会人になってもマスコミから毎日毎日、断続的に洗脳教育をうけていると考えるべきなのです。マスコミが今のように偽善的な歴史観一色になってしまうと、マスコミの影響力というのは非常に強いですから社会一般にそういうムードができてしまうわけです。ただ、戦争が良くないんだ、日本は大東亜戦争の時に全く悪いことをしたという教育を学校教育だけではなく社会教育、マスコミ教育としてうけてしまいますと、そういう考え方が非常に広まって世の中に定着していくのです。この歴史観における偽善的な考え方といいますのは、戦争ひとつとって考えても判ることです。戦争というものは、自分だけがやることではありません。相手があってやることです。だから喧嘩を非常に大きくしたものが戦争だと考えて頂ければいいのです。喧嘩両成敗という言葉がありますように、お互いに争っているうちに殺し合いに発展するわけで、紛争の発展した形態が戦争であり、そこにはその戦争に至るまでの歴史的経緯というのが必ずあるわけです。そういう意味ではお互いに責任があります。ですから50%ずつの完全に平等な責任とはいいませんが、戦争をやった場合、ある一方が100%悪いんだということはあり得ないわけです。これは常識から考えても実に明白です。しかし現実には戦争をあたかも勧善懲悪のドラマのようにとらえる考え方があります。勧善懲悪ドラマというのは、ある悪者がいて、100%の悪者が悪いことをやる、そこで100%の善玉が100%の悪玉をやっつけて、目出度しめでたしになる。こういう図式が勧善懲悪ドラマです。この勧善懲悪ドラマというのはテレビで放送されております水戸黄門や大岡越前守のような時代劇を考えて頂けば結構です。歴史の反省という場合、あたかもこの勧善懲悪ドラマであるかのように、戦争というものをとらえているのです。これは実際の歴史から考えればとんでもないウソでありまして、そんなことは人間の行うことの中にあるわけがありません。絵空事であるからドラマなのです。戦争責任というものは、50%ずつとは限りませんが、日本が100%悪いなんてことはあるわけがありません。けれども大東亜戦争における日本をあたかも完全な"悪者"として把えて、その悪役がはじめから計画的に悪いことをたくらんで、悪いことをやったのを、"良い者"の連合軍がやってきてやっつけたという勧善懲悪史観、これこそが東京裁判史観であるわけです。東京裁判史観のむし返しは2度にわたる教科書事件で見られただけでなく、先帝陛下、昭和天皇の崩御の際にも顕著に表れました。その時にとんでもないことに昭和天皇の戦争責任を持ち出す本島長崎市長のような卑劣極まる人間が出現しました。つい最近では韓国の大統領が、もう1回日本の謝罪を要求して、又、それに屈服する。極めて異常なことになってきています。これは何故そんなことになったかといいますと、1番の元は日本の偽善的な左翼の歴史観があります。そこが根本的に日本人の愚かなところですが、その馬鹿さ加減を外国の人が積極的に利用しようとして攻撃をかけてきているのです。

 中華人民共和国がそうですし、第1次教科書事件の時に積極的に動かなかった韓国も第2次教科書事件では、積極的に日本のそういう問題を採り上げるようになりましたし、アメリカなどはっきり出ていませんが、イギリスとかオーストラリア、ニュージランドでは、昭和天皇が崩御された時に、戦争責任をマスコミが採り上げるという現象がありました。これは日本人の偽善的なモノの考え方を積極的に利用して日本を封じ込める手段として使おうとする傾向が非常に顕著に出てきていると思います。これは非常に注意しなければいけないことだと思います。

ジ ャ パ ン バ ッ シ ン グ と し て の 歴 史 問 題
 いわゆるジャパンバッシングというのは経済問題を主に言われるんですが、私は教科書問題というのは経済問題より前にあらわれましたからいわれませんが、これは典型的な日本叩きだと思います。それから後、非常にいろんな問題が日本を悪者にしようという意図のもとに採り上げられています。たとえば鯨の問題であるとか、割箸の問題、象牙の輸入、熱帯林の伐採など、ヨーロッパやアメリカの自然保護運動及びマスコミが日本を槍玉に挙げて日本攻撃をさかんにやっています。これは歴史の問題と結びついていないように見えますけれども、私は一体として考えるべき問題だと思います。日本を悪者にしようとする謀略はさまざまな方法で行なわれています。たとえば満州国の皇帝溥儀を主人公とした、『ラスト・エンペラー』という映画がありました。その中に南京事件の実写かどうか判りませんが、かなりいい加減な大虐殺のフィルムを挿入して、それを又、日本が輸入する時に省略したとかしないとかを、わざわざ問題にして騒ぎたてました。これはかなり意図的に計画されたものだと私は確信します。

 はっきりいいまして歴史観の問題も、日本の経済力が強くなるとそれに対して外国が日本の国力を封じ込めようとするという時に、恰好な手段として既に利用されているわけです。南京事件など実態がよく判らないのに、ヨーロッパやアメリカでは既成の事実としています。中華人民共和国では南京大虐殺記念館のようなものができて、レリーフの所に30万という数字が書いてあるのをテレビでみたことがありますが、ヨーロッパやアメリカでもその数字を常識にさせているようです。今日の朝日新聞の投書欄にアサヒ・イヴニング・ニュースに投書されたアメリカ人の投書の翻訳が出ています。日本に原爆を落したのは何故か、というと、落さなければならなかったからで、それは別に残虐なことではないというんですね。何故かというと、その前に日本が南京大虐殺みたいなことをやっていたからだというわけです。アウシュヴィッツとかカンボジアのポルポト政権の虐殺と並べて南京虐殺を述べ、そういう残虐なことをやった日本に対して原爆を落したことは別に悪いことではないんだという趣旨であります。南京虐殺というイメージは欧米のマスコミを通じて牢固として注入されているようです。これはこれからも日本人として徹底的に注意していかなければならないと思います。

本 当 の 意 味 で 歴 史 に 学 ぶ べ き こ と
 歴史に学ぶこと自体は大変大事なことであり、歴史の真実ということも重要なことです。今年、平成2年の5月、韓国の盧泰愚大統領がやってきて、歴史の真実が大事なんだということを言いました。盧泰愚氏が歴史の真実というのは韓国に都合の良いことだけのようですが、歴史の真実というのはそういうものではありません。歴史の真実を探っていけば韓国の人達にとって都合の悪いこともいくらでも出てきます。この間の戦争のことをいいますと、今の韓国、朝鮮と日本は1つの国だったわけです。日本と朝鮮とは敵味方に分れたのではなく、朝鮮の人は日本に協力して戦争をしたということです。

 朝鮮に対する徴兵制は、戦争の最末期にやっと実施されました。朝鮮の人達はむりやり日本に強要されて戦争に参加したというよりも、志願して参加したという面が強いのです。ということはどういうことかといいますと、韓国の人は戦争の被害者という面だけを強調しますが、韓国、朝鮮の人は、明らかに加害者の一部なのです。自然に考えればどうしてもそうなると思います。したがって歴史の真実を明らかにすることは日本の人達にとって都合が悪いわけでは全くありません。むしろ現在は日本人にとって有利な歴史的事実が意図的に隠されているのです。だから、我々としても歴史の真実を大事にすべきだといっていいんです。歴史に学べということでいいんです。

 本当の意味で歴史を学ぶということは、単なる反省することではないんです。私は日韓関係とか日中関係を考える場合に、次のようなことを考えます。かって所謂中国、それから朝鮮に日本の力が及びました。これは日本の力が強かったからばかりではありません。向うの力が相対的に非常に弱かったということが重要です。その相互関係で日本がどんどん進出していったわけです。従って、これから、日本の力が弱くなって、支那人、朝鮮人の人達の力が強くなれば、どういうことになるか。歴史を学ぶということはそういうことです。日本人が愚かで今のように口先の反省を振りまわしていると、今度は日本がやられる可能性が強いということです。現に日本のマスコミは外国勢力に極めて卑屈です。今回の韓国の日本のマスコミの操り方は立派なもので、きわめて上手でした。日本のマスコミは盧泰愚大統領のソウルでの記者会見で、一言いわれたら一面トップで謝罪を書き立てました。日本人が馬鹿だとあのように決定的に利用されるわけです。それは日本人が馬鹿だからいけないのであって向うが悪いからではありません。日本人が馬鹿だとこれからは日本人がやられる番なのです。というよりも、すでにやられているのです。すなわち現在、日本人はあまりにもナショナリズムが過小だと思います。ナショナリズムが危険だとつねに指摘されますが、私はそうではないと考えます。過剰なナショナリズムが危険なのです。ナショナリズムの根本は、自尊心です。自尊心をあまりに無くしてしまうとこれはかえって大変危険です。日本の場合はナショナリズムが過小、あまりにも無さすぎるんです。それに対して支那人、それから朝鮮人はあまりにナショナリズムが強過ぎるのです。これはかっての日本と支那、朝鮮の関係と全く逆の関係が成立しているのであり、これは非常に注意を要することだと思います。繰り返しますが、私が歴史に学ぶというのは、そういう意味です。日本がかって韓国、朝鮮人に悪いことをやったというふうに考えるなら次のことを覚悟しておかなければなりません。かって悪いことをされたのなら、普通の人間ならやられたら仕返しをしたいと考える、これが普通です。よほど立派な人間なら悪いことされても、仕返しなんてとんでもないと考えるかもしれませんが、ごく普通の我々のような人間だったら、相手から悪いことをされたら、それを自分達に力がつけば仕返しをしたいと考えるのは自然なことであります。だとしたら朝鮮の人達が力を持った場合にどういうことを考えるかというのはおのずから明らかです。それに対して何も考えないでいるというのは完全な馬鹿であります。いいですか。やられたとしたら、日本が悪いんです。そういうことを考えもしないで偽善的な口先の反省に酔い痴れている日本人が悪いんです。このことははっきりと考えておかなければなりません。

歴 史 の 真 実 を 主 張 し つ づ け よ
 それではどうしたらいいのか、という問題。これはなかなか難しい問題ですが、私は基本的に、歴史の真実をはっきり言っていくより仕方がないと思います。たとえば韓国、朝鮮の人が非常に怒る藤尾発言みたいなことについて怒ったとしても、本当のことは主張していくより仕様がない。それに関連して申し上げておきますが、日本に蔓延している偽善的な考え方と最も遠く離れていた人は誰なのかというと、私は昭和天皇だと思います。昭和天皇はそういう偽善の対極にいられた方です。だから、日本の偽善者は外国の偽善者もそうですが、昭和天皇が憎らしいんです。だから昭和天皇を呪詛して戦争責任なんてことを言い出すんです。偽善者達は自分達がうすうすは自覚しているかどうかはともかく、自分のいい加減なことを潜在意識のどこかで判っているに違いありません。偽善と一番遠い昭和天皇に対して偽善者が恨みを抱くというのはこれは自然なことだと思います。それで本島長崎市長のような人間が出てくるわけです。ああいう人間こそ私は最も恥ずべき日本人だと思います。昭和天皇の場合はお立場からみて本当のことを言うわけにはまいりません。黙っていなければならないんですね。だけど我々は本当のことの言えない偽善者にとどまっていてはいけないので、いくら反発があっても真実を言いつづけて行かねばならないと思います。韓国の人も支那の人も怒るかもしれません。腹を立てるかも知れません。しかし、我々にだって歴史の真実として言えることは沢山あるわけです。一番いけないのは、おつき合いだからとか、荒立ててはいけないからうわべだけはとり繕ろっておこうとか、そういうことで黙って卑屈になってしまうこと。偽善的な謝罪などを繰り返すこと。それが一番いけないことだと思います。

 私が申し上げたかったことは、大体そういうことです。これで終わらせていただきます。(終)

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