- 2009年8月22日 16:58
- 月刊日本 羅針盤
『月刊日本』2009年9月号 羅針盤
今回の総選挙の投票日に予定されている八月三十日は、ある重大事件が発生した日であることを、ほとんどの人は忘れているだろう。今から三十五年前、一九七四年にそれは起こった。いわゆる三菱重工爆破事件という、無差別殺人の一大テロ事件である。その後オウムによる地下鉄サリン事件が起き、これについては何度も回顧されているが、三菱重工爆破事件の方は、マスコミが全くといってよいほど回顧することがないから、忘れられた存在になったのである。では死者八人、重軽傷者三百五十八人という大事件を、マスコミはなぜ回顧しないのか。それはその犯人が、マスコミ用語で言う過激派、警察用語では極左暴力集団、私なりの表現では極左暴徒であるからだと考えて間違いない。
この事件は、七十年安保を中心とする、一連の大学紛争の時代における、ひとつのピークをなす事件と言ってよい。左翼学生運動に対して、一貫して同情的であり、応援団とも言える報道を展開した朝日を中心とするマスコミは、紛れもない凶悪無比な虐殺事件が、記憶されたくないのである。したがって最近、六月から七月にかけて朝日新聞夕刊で十五回に渡って連載され、大学紛争を肯定的に取り上げた、「ニッポン人脈記 反逆の時を生きて」では、同志虐殺の連合赤軍事件には言及するものの、無辜の一般市民を虐殺した三菱重工爆破事件、すなわち丸の内虐殺事件は、完全に黙殺したのである。
この三菱重工事件を引き起こしたのは、東アジア反日武装戦線なる組織であった。三菱重工をテロの標的としたのは、三菱重工が日本を代表する主要な軍需産業であったからであり、日本の軍国主義の動きに反対すると称して、爆弾テロを決行したのである。しかし三菱重工という軍需会社を糾弾し脅迫するのなら、その幹部に対して行えばよいのであり、昼食時に同社の玄関に大型爆弾を仕掛けて、三菱重工に無関係の一般庶民を、大量に虐殺し損傷する必要はまったくないのである。実は当時の三菱重工副社長の息子は、極左関係者だったのであり、そのルートを利用した幹部暗殺は十分可能であったろう。したがってこの事件の凶悪性は群を抜き、日本のテロの歴史における輝かしい金字塔であり、絶対に忘却してはいけない事件なのである。
ところで最近、例の「派遣村」に代表される経済的な格差の拡大が問題になり、民主党の成長と政権交代願望ムードの基調になっている。それに関連して、「蟹工船ブーム」とやらが話題にされ、共産主義思想の復活が目論まれている。この間共産党員がどれだけ増加したのか知らないが、少なくとも朝日新聞はこの流れに便乗し、積極的に推し進めようとしているようだ。先述したように、「ニッポン人脈記 反逆の時を生きて」は、大学紛争の全面的肯定であるし、同じシリーズで大逆事件を採り上げた、「大逆事件残照」もその方針に基づくものである。また朝日ジャーナルが単独の書籍として復刊したのも、同じことであり、同誌は大学紛争の時代、極左学生の機関紙的存在になっていた。このままでは、大学紛争がいたずらに美化され、歴史の教訓とならなくなってしまうだろう。
私は大学紛争を実際に体験した世代である。ただし大学時代ではなく、大学院になってからである。東大の大学紛争で、もっとも過激だったのは、理科系では医学部、文科系は文学部だった。私は文学部に属していたが、紛争が起きると多くの学生は、共産党系と反共産党系すなわち全共闘系に分かれて、盛んに活動していたようだ。私はどちらにも参加していなかったから、詳しいことは分からない。お互いに武力闘争もやったらしい。私自身は大学が封鎖のために長期休校になり、紛争にも参加していなかったから、自宅にいたことが多く、その間自分自身で物事を考える、貴重な時間が持てたと思う。
私が大学紛争とその後を通じて、重要な教訓として、明確に把握しえたことは二つある。一つは、人間は簡単に狂うものだということである。共産党系の人間はもともと左翼思想に染まっていた人々であるが、全共闘系の人間は、ごく普通の人間がたちまち極左思想にのめりこんでいった者が多い。私自身はこの後者のタイプの人間の方と親しかったから、その急速な変貌振りには驚かされた。彼らが文学部の建物封鎖を行い、当時の林健太郎文学部長を監禁して、「大衆団交」と称してつるし上げた。この林文学部長の監禁事件が、東大紛争の転換点になり、全共闘が一般的な同情・共感を失っていったと、私は感じている。その後、林氏が文学部出身としては異例の学長になったのも、この監禁時の頑張りが評価されたからであろう。
もう一つは、人間は絶対に反省などしないものだということである。歴史問題など、自分には直接関係ないことでは、気安く反省を主張する人間でも、自分自身が関わった問題では、決して反省などしないのである。一番分かりやすいのは、大学紛争に伴う物的損害であろう。紛争において大学の建物が封鎖され破壊された。同時に貴重な研究資料なども、膨大に損失した。それらの被害の総体はキチンと集計されているのだろうか。私立大学はともかく、国立大学は国有財産であり、国民全体のものである。かつての紛争学生の世代は、現在の社会の指導層である。高額所得者も数多いことであろう。しかし紛争学生が過去を反省して、破壊した国有財産のために弁償したという話は聞いたことがない。
大学に止まらず、大学紛争とそこから発展した極左暴力運動によって、日本の社会は膨大な損害を蒙った。三菱重工だけでなく企業爆破事件は多数発生し、北海道庁でも犠牲者を出す爆破事件があった。極左勢力に徹底的に利用された成田空港は、多大な経費を浪費しながら、いまだに完成していない。ソ連崩壊後、左翼運動への警戒心が喪失し、そのもたらした具体的な害悪への解明もおろそかになっているが、左翼思想の復活が企てられている今日、保守の側としても、改めて真剣に取り組むべきであろう。
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