- 2010年7月13日 22:51
- 時評
菅首相は敗北にもかかわらず、というよりも結果が判明する以前から、手回し良く続投を宣言し、選挙の直接的責任者の幹事長も辞めさせていない。この辺のやり口は、なかなか巧妙なものがある。少なくとも、九月の民主党代表選挙まで粘って、八月十五日や日韓併合100周年の八月二十二日に、かの悪名高い村山談話と類似する声明などを発表して、後世に名を残したいと企んでいるのかも知れない。千葉景子議員はものの見事に落選したのに、法務大臣を続けさせているのも、同様な悪だくみの一環ではないのか。
また民主党の敗北は自民党の勝利でもあるわけであり、旧態依然たる自民党が、そのまま存続することをも、それは同時に意味している。現在の自民党の総裁や幹事長の顔ぶれを見ていると、自民党に画期的な改革など望むべくも無いのだが、反対に変に改革志向に走って、河野太郎などが出てくれば、かえってやぶ蛇になってしまうだろう。
結局、国会における政治勢力の変動に関して、そのたびに一喜一憂しても仕方が無いというのが、私の偽らざる気持ちである。民主党の政治については、保守の人々は左翼政権だと指摘するのであるが、私は民主党の政治と自民党の政治が、根本的に異なるものだとは全く思わない。民主党の政治は、自民党の政治の負の部分を、拡大深化させたものと考えれば良いのである。自民党政権の時代に、元幹事長が中心となって、1000万人移民計画も提案されたし、国籍法の改悪も行われた。民主党には、旧社会党や労組の人間が流れ込んでいるにしても、中心はあくまでも旧自民党の人間である。
つまり現在における日本の混迷は、いま急に始まったものではなく、それなりの歴史の結果として出現したのである。その歴史の分析の上に立って、現在の混迷の本質が明らかにされなければならないのであるが、それは殆ど行われていない。私が重視するのは、日本民族としての、主体性の喪失という問題である。ただし日本人は戦後一貫して東京裁判史観に牛耳られていたわけでないだろう。それはこの三十年来、外国勢力によって企まれ凶行されたものである。それには二つあり、アメリカによる日本経済叩き潰しと、歴史問題を利用した、シナ人・朝鮮人による対日精神侵略との二つである。したがって日本の混迷は、一般に理解されているような、単に政治レベルのものではなく、もっと根本的な日本人の精神のあり方そのものに関わっているのである。つまり政治がどうのこうの言う以前の、日本人の魂の問題なのである。
日本民族が、現在どれほど民族意識を骨抜きにされた、精神的奴隷になれ果てているかを証明するごく最近の証拠がある。7月7日、ロシアは第二次大戦における対日戦勝記念日を、新たに制定した。しかしそれに対する批判・反発が、全くといってよいほど見られない。保守派の中には、自らを明治維新の志士になぞらえる人も多いが、今の日本人は、維新の時とは似ても似つかない、驚くほど駄目な民族に成ってしまっているのである。この白痴状態をぶち破って、日本人の精神すなわち大和魂を取り戻すには、若い人々が先頭に立って、命がけの奮迅の努力をしてもらわなければならないだろう。
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