- 2010年7月18日 03:18
- 時評
この成田スカイアクセスの開業については、朝日新聞は17日の夕刊で、一面トップに大型記事を掲げて報道しているが、例の「成田新幹線」に関しては、全く触れられていない。若い人々は殆ど知らないようであるが、成田新幹線とは、成田空港の建設に当たって計画された、都心と空港を結ぶ中核的なアクセスであったが、反対運動に会って実現できなかったものである。新幹線であるから、他の新幹線と同様な線路と車両を使用するもので、連絡時間は30分を予定していたから、今度開業した成田スカイアクセスよりも更に早いのである。最も異なるのは都心側の駅で、スカイアクセスは日暮里駅だが、成田新幹線は東京駅を想定して、現実に駅の予定地も確保していた。それが東京駅の南側になる、現在は京葉線の地下駅となっている場所である。実現していたら、成田空港は決して不便な空港ではなかったのである。
そもそも成田空港の建設自体が困難を極めた。建設に当たって土地を手放す農民に反対者が出たが、その反対農民に極左勢力が積極的に加担したのである。成田空港が計画され建設された、1960年代・70年代は、60年安保から大学紛争、極左暴力の横行と続く時代で、退潮に追い込まれた極左勢力が、農民の反対運動を徹底的に利用したのである。問題はそれだけではなかった。一般左翼やリベラル勢力そしてマスコミが、空港建設反対運動を、大々的に応援したのである。その理由としたのは、私の記憶では二つあったと思う。一つは単純な、農民から土地を取り上げるのは可哀そうだ、と言う意見。もう一つは、成田は軍事空港になるから反対だ、と言うものだった。寅さん映画の山田洋次監督が、テレビのインタビューでそう発言したことを、私は憶えている。
マスコミが、反対者の完全な味方であったことは、その用語からもはっきりしている。当時成田の反対運動は、マスコミで「成田闘争」と表現された。紛争ではなく闘争である。
これは大学紛争を、大学闘争と表現したことと、軌を一にしている。なかでも朝日新聞は、その最たるものであった。朝日は大学紛争で一貫して左翼学生を支援し、その週刊誌『朝日ジャーナル』で、極左勢力の応援団を勤めたくらいであるから、反対運動に同情して、空港建設を進める政府を徹底して批判した。
その結果はどうなったかと言えば、成田新幹線計画は完全に潰され、開港30年以上が経った今に至っても、成田空港は完成していない。この間、莫大な経費と労力を費やして、客観的に見れば素晴らしい欠陥空港を、わざわざ造り上げたのである。したがって現在、羽田空港の再度の国際空港化が、推進されようとしている。しかもその期間に、近隣の韓国・中共では巨大空港の建設に努力し、韓国の仁川空港に東アジアのハブ空港の地位は奪われてしまった。さらに中共の空港は、日本のODAで建設されたものが幾つもある。日本人は、実に愚かなことをやってきたのである。しかもその歴史が、全く回顧されず反省されていない。
成田空港建設の失敗については、左翼や朝日などマスコミの責任も極めて大きい。しかし根本的な責任は、政治家と官僚にある。いくら反対運動が熾烈に展開されようと、作るべきものは作るのが、国家権力を握っている政治家と官僚の責務である。それができないとしたら、彼らは単なる税金泥棒であり、そのような人間が、日本を白痴国家にしてしまったのである。
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