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森喜朗元首相による、自民党に対する興味深い批判的発言

  • Posted by: 中の人
  • 2012年1月17日 01:33
  • 時評
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 一月十三日の産経新聞に、「単刀直言」欄として自民党の元総理大臣・森喜朗氏に対する、インタビュー記事が掲載されている。このインタビューでまず注目されるのは、森氏自身は自民党の元首相ではあるが、自民党の現状に対して厳しい見方をしている点であろう。それは産経新聞に同日に掲載されている、同じく自民党の首相経験者・中曽根康弘氏の「転換への挑戦」と題するコラムと比べるといっそう良く分かる。

 中曽根氏は、野田首相がTTPや消費税の引き上げに取り組んでいることは、一応評価するものの、「すでに野田政権の退陣と民主党政権からの世変わりを望む声が胎動しつつあるので、自民党をはじめとする野党各党が、衆院解散を求めの野田政権との対決姿勢を強めていくのは当然だろう」とする。
 それに対して森氏は、対決の核心となる増税問題について、野田首相が社会保障と税の一体改革に、不退転の決意で臨むと言っているのだから、「だったら自民党も話し合いのテーブルに着くべきじゃないかな。消費税を上げないと財政が立ちゆかなくなるのは明らかでしょう。それを自民党で一番力説していたのが谷垣禎一総裁じゃない。与野党協議で『さすが自民党だ』と思われる案を提示すればいい」と、対決するよりも話し合いに応じるべきだとする。
 また民主党内で増税に批判的な小沢一郎氏に対しては、「そもそも竹下さんを支え、細川護熙政権で増税しようとした小沢一郎元代表が『増税反対』なんてちゃんちゃらおかしいよ」と切り捨てる。
 さらに、「僕はこれほど政治が劣化した元凶は小選挙区制度だと思っているんですよ」「選挙制度はシンプルな方がいい。ずばり中選挙区制度に戻せばいいんですよ」と述べるように、現在の政治の混迷を打開するには、選挙制度の改革が絶対に必要で、それには中選挙区制度にすべきだとする。
 ただし私がこのインタビュー記事で最も注目したいのは、以上の増税問題と選挙制度問題に関する部分ではない。このような政治の現状に関する部分より前に、インタビューの冒頭において、自身の体験に基づく長い目で見た、自民党の歴史への批判と反省が述べられているが、それが極めて興味深いのである。
 まず森氏は、「僕の40年余の政治家生活で『しまった。ボタンを掛け違った』と悔やまれることが3つあるんですよ」と述懐する。その3つとは、いずれも自民党の総裁選、つまり実質的な日本の首相選びにおいて、その順序を間違えてしまったというものである。したがってこの間違いは、森氏個人のものではなく、自民党全体としてのものである。それは、昭和47年の田中角栄と福田赳夫、昭和62年の竹下登と安倍晋太郎、平成18年の安倍晋三と福田康夫、それぞれの時点において、この順序が逆であったほうが良かったというものである。
 この3つのうち、二番目の安倍と竹下の争いは中曽根裁定で決まったらしいが、安倍が首相にならずに亡くなったとき、安倍を先にすべきだったと、竹下自身が言っていたと、森氏は述べている。三番目の安倍晋太郎の息子と福田赳夫の息子の場合は、安倍がなったことが、現在における自民党の人材不足の原因になっていると、森氏は考えているようだ。
 ただし最も重要なのは、一番目の田中角栄と福田赳夫のケースであろう。この選択の間違いは、自民党のみならず、日本全体の運命に、実に大きな悪い影響を与えたからである。森氏の談話には、「田中角栄さんと福田赳夫さんの壮絶なる総裁選は、大量の実弾(現金)をぶち込んだ角栄さんが制したけどその後どうだったかな。狂乱物価に対応できず。福田さんの力を借りざるを得なかったじゃない。福田さんが先に首相をやった方が、国のためにも自民党のためにもよかったと思うよ」とあるように、もっぱら経済の面から説明されているが、ここで完全に欠落しているのは外交の視点である。
 田中角栄はどうして自民党総裁になることができたのか。それは実弾の力だけでは決してなかった。それは外交問題と密接に関連し、マスコミが扇動した田中ブームが起きたからである。今からちょうど40年前、昭和47年・1972年、戦後の世界史における一大転機が訪れた。それが2月のアメリカ大統領・ニクソンによる、中華人民共和国訪問である。その20年前、朝鮮戦争で血を流し合い、その後も厳しく対決していた両国であったから、世界中に衝撃を与えた。
 特に慌てふためいたのが日本で、以前から課題とされていた、日本と中共との国交成立問題が、俄然脚光を浴びることとなった。この国交問題について、慎重な姿勢を示していたのが福田赳夫で、積極的であったのが田中角栄である。そのために引退を表明した佐藤栄作を継ぐ、次期の自民党総裁選びに際して、朝日新聞を代表とする親中マスコミは、田中角栄を「今太閤」と囃し立てて、全面的に応援キャンペーンを張ったのである。かくして7月5日、党大会で田中は自民党総裁に選出された。
 田中は9月25日に中共を訪問し、同29日に国交を成立させた日中共同声明に調印した。つまり7月7日に田中内閣が成立してから、三ヶ月にも満たない、驚くべき拙速外交であった。特に最大の失敗は、日中共同声明に「日本側は、過去において日本国が戦争を通じて中国国民に重大な損害を与えてことについての責任を痛感し、深く反省する」と言う文言を盛り込んだことである。
 日中国交成立に慎重な福田が、72年の時点で首相になっていたら、かなり違っていたであろう。ニクソン訪中にも拘わらず、アメリカが中共と国交を結ぶのは、かなり後の79年1月のことである。中共にのめり込んで行った田中は、却ってアメリカに警戒され、ロッキード事件を仕掛けられて、失脚することになるのは、まことに皮肉であった。
 日中国交成立からちょうど10年後、昭和57年・1982年に第一次教科書事件が勃発した。教科書検定において、「侵略」を「進出」に書き換えさせたと報道され、中共が抗議をしてきたが、その際に根拠としたのが、日中共同声明であった。それは全く事実に反する報道であったにも拘わらず、宮沢官房長官によって「近隣諸国条項」が作られて、以後歴史問題によって、日本人が中共に精神的に隷属させられる体制が、築き上げられることとなった。
 つまり今から40年前の田中内閣の成立こそ、日本没落の出発点であるといって、決して過言ではない。したがって日本人が現在の没落状態から脱却するためには、迂遠なようでも、この40年間の歴史を徹底して回顧して、その真実を究明することから、始めなければならない。

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