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オウム軍事集団の直接的な源流は極左軍事テロ集団である

  • Posted by: 中の人
  • 2012年6月30日 20:35
  • 時評
120630.jpg 6月15日に、オウム事件の最後の重要犯・高橋克也が逮捕されて、このところ新聞などのマスコミで、オウム事件についての総括的な回顧がなされている。そこではオウムの起こした様々な事件が、年表にまとめられていて、全体像を掴むためにはなかなか便利である。オウムは既に80年代の末から、坂本弁護士一家の殺人事件など、凶悪事件を起こしていた。そして94年6月に松本サリン事件で8人、95年3月の地下鉄サリン事件で13人を殺害し、その他にも細かな殺人事件は幾つもある。

 オウム事件について一番感じることは、この事件の真実とりわけその背後関係が、殆ど解明されていないのではないかと言う点である。オウム関係者は沢山捕まり、死刑囚だけでも13人もいるようだが、犯人たちの顔写真を見るとき、あの程度の人間だけで、あのような巨大犯罪を、計画・実行できるとは、とても考えられない。つまりそれ以外の人間、具体的には外国勢力が関与していたと、思わざるを得ないのである。当時も、ロシアや北朝鮮の関与が噂されていたが、結局うやむやになってしまった。解明できないのか、分かっていても公表できないのか、どちらにしても日本の国家権力が、いかに弱体化しているかを表す、明確な証拠ではないだろうか。
 ところで、高橋逮捕の翌日6月16日の朝日新聞朝刊には、極めて手際の良いことに、オウム事件に関する詳しい解説記事が載せられている。その中でも注目されるのは、降幡賢一・元朝日新聞編集委員による、「『救済』という名の戦争 なぜ生んだ」と題する署名記事である。なお降幡氏は、「16年余にわたって教団関連の刑事裁判を傍聴し、朝日新聞紙上で『オウム法廷』を連載」した人物だというから、今は引退しているようだが、朝日を代表するオウム記者なのであろう。
 降幡氏は、オウム裁判が再び開かれることを受けて、「一連の裁判の、文字通り総仕上げになるその裁判は、社会の内部にあのような集団を膿のように作り出してしまった私たち自身のあり方を、改めて問い直す機会にできないだろうか」と問題を提起する。外国勢力の関与はともかくとして、日本社会の問題として、なぜオウムが出現したかを問い続けることは、極めて重要であるだろう。
 次いで、裁判傍聴の経験を踏まえて、「裁判を通じて私たちが最も大きな衝撃を受けたのは、宗教を名乗った教団が実はあるときから、この社会そのものの壊滅を狙って『救済』という名の『戦争』を仕掛けようとする、一つの軍事集団になっていったことだった」と指摘する。また「そこでは部下は上司の指示に、絶対服従することが要求された。疑問を持つことは身の汚れ、『無間地獄』に落ちると脅され、思考を停止し、自立を放棄した信徒たちは、互いの行動を監視し、密告さえ奨励された」と述べる。軍事集団化したことは、たしかにそのとおりであろう。
 そして結論部分は次のように展開する。「一連の事件を、『教祖』松本智津夫死刑囚が魔法をかけるようにして信徒たちを操った結果だと考えてしまっては本質を取り違えてしまうだろう。問うべきは、なぜ私たちの社会は、まるで戦前の軍国主義社会を思わせるようなこのような集団を、内に作って暴走させてしまったか、である」。まさに朝日的メンタリティー丸出しの、とんでもない解説と言わなければならない。これでは戦前の日本の軍隊は、オウムと同一の無差別テロ集団だと言う事になってしまう。
 わざわざ本質を捻じ曲げて戦前に遡らなくても、オウムの素晴らしい手本はもっと身近なところに立派にある。それこそが極左のテロである。オウムによる殺人は、1989年から始まっているが、それより少し前、特に1970年代は、極左勢力による凶悪なテロ事件が続発した時代であった。安保紛争・大学紛争から生まれた、新左翼系の学生運動はどんどん先鋭化し、ものの見事な軍事テロ集団に成りおおせた。
 1970年のよど号ハイジャック事件に始まり、航空機乗っ取り事件が何度も発生した。71年には、朝霞駐屯地で自衛官の若者を殺害し、警視庁の高官の夫人を爆殺した。72年には、連合赤軍が浅間山荘に立て篭もり、警官隊と銃撃戦を展開すると共に、それ以前に大量の同志虐殺を行っていたことが判明した。74年には、東アジア反日武装戦線なる集団が、丸の内の三菱重工に時限爆弾を仕掛ける無差別テロを実行し、8人を虐殺し数百人に重軽傷を負わせた。その後も爆弾テロは、連続して繰り返された。また成田空港反対運動に伴う、関係者への放火テロは無数に発生した。「内ゲバ」と称する中核・革マルの相互虐殺も頻々と起きた。マスコミがまじめに回顧しないから、すっかり忘れさせられているだけである。
 連合赤軍や東アジア反日武装戦線と自称し、武装闘争を展開するのであるから、これこそ紛れも無い軍事集団である。極左もオウムも、無差別テロを実行し、同志虐殺を行ったことなど、全くそっくりである。違うとすれば、極左は爆弾を使ったが、オウムは毒ガスを使ったことぐらいである。すなわちオウムが極左の直接的な影響を受けて生まれたことは、全く疑う余地の無い事実である。
 しかし元朝日新聞編集委員・降幡氏は、このいやになるほど単純明快な事実に、完全に目を瞑る。それはなぜか。それは朝日新聞が、極左勢力の最大の支援者であったという、輝かしい過去が存在するからに他ならない。『朝日ジャーナル』は、極左への応援報道に明け暮れた。すなわち、オウムという狂気の軍事集団を生みだした最大の功労者こそ、朝日新聞自身なのである。
 ついでにもう一つ言っておくと、極左のテロもオウムのテロと同様に、日本人だけでやっていたとは、私には考えられないのである。日本人がそれほど利口だとは、とても思えないからである。極左を支援した外国勢力といえば、これは疑問の余地なく中共であるだろう。大学紛争とは、要するに中共の文化大革命の猿真似であった。極左勢力に対しては、当時から中共による資金援助が言われていたが、テロ活動も指導していたのかも知れない。ただし、それが真実であったとしても、日本の国家権力には、それを公表する勇気は絶対にないだろう。

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