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巻頭言 シナの対日侵略、待ったなし

『澪標』53号 2008年9月30日

 中華人民共和国は現実の侵略国家であり、シナ人は侵略現行犯民族である。これは世界の歴史の進歩というものを考えて見れば、極めて簡単に分かる事実である。民族自決・民族独立の原則は、近代史を貫く基本的原理であり、第二次大戦以前は約七〇であった独立国の数が、現在では三倍の約二〇〇も存在するようになったわけである。したがってシナ人は一日も早く非道な侵略を止めるべきであり、侵略を受けている民族が独立を遂げるのは、あまりにも当然な政治現象である。

 ところで日本は以前よりシナ人・朝鮮人から、過去の歴史を利用した攻撃を受け続けてきた。それは一九八二年の、第一次教科書事件に始まり、靖国参拝問題、慰安婦問題など拡大して行き、発生からすでに二十六年もたちながら、日本側はその克服にまったく成功していない。というよりも歴史問題においては、日本側はすでに完敗したと私は考えている。それは歴史問題の克服ではもっとも熱心な政治家であった安倍氏が、首相になったにも拘わらず靖国参拝を曖昧化し、河野談話・村山談話を継承してしまったからである。最大の期待の星が、ものの見事に失墜してしまったのである。
 それにしても現代の日本人の精神的劣化は、まことに驚くべきものである。日本はシナ人に過去の数十年前の歴史問題、つまり侵略問題で追求され、反省と謝罪を繰り返しているのだが、その追求している当人が、まぎれも無い現実の侵略者であるのだ。日本人はまったく自覚していないが、これは客観的に見て、真に無様な醜態と言わなければならない。世界広しといえども、日本ほど精神的虚弱さを露呈している国はないであろう。
 そもそも歴史問題は、シナ人の日本に対して企んだ精神侵略そのものである。その基礎は、一九七二年の日中共同声明に歴史問題を盛り込んでおいたことにある。そして十年後の第一次教科書事件で発動させたのである。以後、あらゆる歴史問題を利用し、国内的にも「愛国教育」という名前の反日教育を大々的に展開して、四半世紀を経て対日精神侵略は大成功を収めたのである。この間、日本政府はまったく反撃をしてこなかった。逆に一部政治家の不用意な発言が、徹底的に利用された。中共の支配者たちも、対日精神侵略がこれほど易々と成功するとは、予想外であったろう。それほど現在の日本人は、民族意識・大和魂を喪失してしまっているのである。
 この精神侵略の目的は、日本人に歴史問題よる負い目を意識させることにより、日本を操作することにあったのだが、それはさらに深化していると考えるべきである。つまり本格的日本侵略のための地ならしという目的である。私は以前から、シナ人による日本侵略の三階論というものを主張してきた。それは精神侵略・人口侵略・軍事侵略の三段階である。先述したように、私見では精神侵略はすでに完成した。次は人口侵略の段階である。ただしこの人口侵略の意味を理解するには、シナ侵略主義の特質について知っておかなくてはならない。
 シナ侵略主義の凶悪さは、単に侵略を正当化するだけでなく、侵略をした民族を究極的に消滅させるという点にある。つまりいわゆる「少数民族」に生存権は無く、シナ人に吸収同化されて消えて行くべきものとされる。それはシナ侵略主義の完成者である孫文の三民主義に明確に述べられている。すなわち現在流行の言葉で言えば「民族浄化」であるが、正確に表現すれば、民族抹殺・民族虐殺であるから、ナチズムと異なるところは無い。その虐殺の方法が、人口圧力による同化吸収であるわけであり、人口侵略こそシナ侵略主義の最大の特徴なのである。今回の北京オリンピック開会式では、やらせ演出が話題になったが、CG花火や口パク少女よりも、もっとも悪質なのはニセ少数民族である。少数民族に見せかけた少年少女の中身が、漢族すなわちシナ人であったのだが、これこそシナ侵略主義という悪魔のイデオロギーの具体化に他ならない。
 ところでシナ人による日本侵略の場合、チベットなど中共国内とは異なって、軍事侵略と人口侵略との関係が、逆になるであろう。中共国内になっているところは、まず軍事侵略があって、侵略をさらに完全なものにするために、シナ人の大量移住、人口侵略が行われているが、現在独立国である日本に対しては、まず人口侵略を先行させる方式をとるだろう。
 ところが驚くべきことに、現在の日本においては、わざわざシナ人の人口侵略を積極的に迎え入れる政策が企てられている。それは最近明らかにされた、一千万人移民受け入れ計画である。それを政権政党の幹部が企て、この真に亡国的な計画に明確な反対が挙げられていない。またこれ以前においても、シナ人の人口侵略の凶器になるに違いない、東アジア共同体構想もあった。この熱心な推進者が、かつてナショナリストといわれた、中曽根元首相である。また石原東京都知事は、今年三月二十日の産経新聞のコラム「日本よ」で、日本人のルーツはシナや朝鮮にあるのだから、シナ人や朝鮮人がいくらやって来ても、まったく問題が無いと断言した。
 国家意識・民族意識の所有者と思われていた保守政治家ですら、シナ人の人口侵略に完全に無知であり、警戒心がゼロであるのだから、別に大げさでもなんでも無く、日本民族はすでに片足は棺桶に突っ込んでいるといえるだろう。すなわち、日本人がこれほど愚かになったことは、歴史上かつてなかったに違いない。
 このように日本人が民族意識を完全に喪失して、間抜け・腑抜け・腰抜けの三抜け民族になってしまったから、シナ人の対日侵略意欲が、止め処も無く肥大化するのである。この精神侵略状態を脱却するには、シナ人の侵略攻勢と戦うしかない。いままであまりにもシナ人と戦うことを忌避してきたために、シナ人をここまで増長させてしまったのである。国際関係といえども、そこで働いている原理は、一般社会と変わることはない。すなわち歴史問題はいじめ問題と同じである。不当ないじめに屈服すればするほど、いじめはエスカレートする。勇気を持って反撃して、いじめを根元から断つしかないのである。
 そのために、日本人にもっとも必要なことは、日本の敵を正当に敵視することである。シナ人は日本を侵略しようとしている真の敵なのだから、これを正面から敵視しなければならないのである。今から十二年前、当時のニューヨークタイムズ日本支局長、ニコラス・クリストフは、朝日新聞の長期連載企画「中国・台湾とどう付き合うか」の中で、「日本への敵意深刻」と題する一文(九六年六月三日朝刊)を載せている。そこに「中国人の大多数が抱く日本に対する敵意に、大部分の日本人がほとんど気付いていないことに、私は衝撃を受けている」と書いた。ただしこのときクリストは、日本人の対応として、「敵視しないことが重要だ」と述べたのだが、これは完全に間違っていた、その後日本人はシナ人を敵視しないにもかかわらず、シナ人は官民を挙げて日本敵視路線を驀進し、ついには二〇〇五年の官製反日暴動に至ったのである。実は、日本人こそシナ人を敵視して、一向に構わなかったのだ。クリストフの翌年、朝日の同一企画欄で在日シナ人作家・莫邦富は、「『ノーと言える』に潜む本音」という文章(九七年二月九日朝刊)で、日本を脅迫する意図から、「相手を敵と見ることはイコール相手に敵とみなされることだ」とぬけぬけと書いている。日本人は日本を敵視続けるシナ人を敵視して、何の問題もないのである。
 ついで日本人がしなければならないのは、シナ人と直接的に戦うことだ。戦うといっても、別に殴り合いをするわけではない。ましてや鉄砲を撃ち合うわけではない。要するに言論の戦いである。砕けた言い方をすれば、口喧嘩である。その際にはシナ人がやっているような、ことさらに歴史を捏造する必要はまったくない。我々はシナ人に、本当のことを率直に教育してやればいいのである。それは本稿の冒頭に述べた、「中華人民共和国は現実の侵略国家であり、シナ人は侵略現行犯民族である」という、単純明快な真実である。そしてさらに「シナ人は侵略を止めろ」と「厳命」してあげることである。
 本心はともかくとして、実はシナ人も日本人と率直な対話を望んでいるようだ。その一例として、先般話題になったドキュメンタリー映画『靖国』の監督、在日シナ人李纓がいる。同人は本年四月三日、朝日新聞夕刊の全面広告の田原総一郎との対談の中で、「人間は自分に都合のいいことだけ覚えていて、都合の悪いことは忘れてしまいます」と述べ、さらにこの映画は自分から日本へのラブレターだとし、「いいことだけではなく、相手の悪い点もきちんと指摘してあげる。それが本当の愛だし、本音で話すところから、本物のつきあいが始まるのだと思います」と明言している。すでに十一年前、先の朝日の莫発言においても、「宴会での乾杯による交流がいかにむなしいものなのか、そして時には喧嘩も伴う本音での交流がいかに重要なのかをつくづくと感じた」と述懐している。我々は、この二人の在日シナ人の意見に、素直に従うことにしようではないか。
 歴史問題が勃発してから、すでに二十六年四半世紀を経過している。その間、右派・保守側からの反論も大量に積み重ねられてきた。しかしその効果は殆ど挙がっていない。それは右派からの言論は、攻撃に対して愚直に反論するだけ、つまり防御に回っていただけだからではないか。だから極めて単純な慰安婦問題ですら、世界の理解が得られないのだろう。攻撃が最大の防御なのだから、敵側の弱点・急所をつかなければだめなのだ。シナ人は、侵略現行犯という最大の弱みを持っている。そこを徹底的に突けばよいのである。
 この戦いは本来、政治家や官僚、マスコミや言論人がやるべきものだが、現状においては殆ど期待できない。明治維新と同じように、目覚めたに人間がやっていくしかない。その際、若者の活躍が絶対に必要だ。現在の右派・保守運動では、登山と同じく中高年の活動が目立っているが、若者こそが主体になるべきなのだ。精神の奴隷状態を脱却して、民族意識・大和魂を回復することができなければ、我々中高年はともかく、現在の若者が生きているうちに、チベットの悲劇が日本にも襲い掛かかり、亡国の運命に陥るであろう。

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