- 2008年12月22日 16:28
- 月刊日本 羅針盤
『月刊日本』2009年1月号 羅針盤
新しい国籍法案が成立した。12月5日、参議院での賛否の結果は、圧倒的な賛成に対して、わずかに反対九人・棄権三人というものだった。このことは日本の国会議員が、完全に国家意識を喪失していることを意味している。国籍という国家の構成員たる重大な資格について、かくまで安易・安直にしか考えることができないのであるから、現在の世界における国家という組織の意味が、全く理解できていないのである。国会議員が国家意識をまるで持っていない、これは悲劇を通り越して喜劇である。
ナショナリズムは、国家主義とも民族主義とも訳されるが、国家より民族が基本でありしたがって国家意識のさらに根底にあるのが民族意識である。世界に民族の数は数千とも言われるが、国家の数は二百足らずであり、複数の民族で構成される国家・多民族国家が一般的である。日本は単一民族国家であるというと、現在は批判されるようになったが、そもそも単一民族国家とは多民族国家との対概念であって、日本を単一民族国家といわなければ、この言葉自体が成り立たない。単一民族国家論への批判は、日本民族のアイデンティティを破壊するための、意図的な謀略である。
国家より民族が根本であることは、国家が滅んだとしても、民族意識を持ち続けて民族として生き残れば、再び国家的な独立を取り戻すことができる事実からも理解できる。歴史上にそのような例はたくさんあるが、例えばポーランドは十八世紀の後半に三回にわたって、ドイツ人(プロシア王国とオーストリア帝国)とロシア人(ロシア帝国)によって侵略され、ポーランド国家は消滅した。それから百年以上たって、第一次世界大戦後に、民族自決・民族独立の潮流に乗って、ようやく復活することができた。しかし民族そのものが滅んでしまえば、国家もへったくれもないのである。
では国家意識なき国会議員の先生方に、日本民族としての自覚、民族意識はあるのだろうか。それが極めて怪しくなっている。何よりの証拠が歴史問題への対応である。今や保守政党・自民党の総理大臣が、河野談話・村山談話を唯々諾々と継承することが、全く当たり前になってしまっている。保守の希望の星であった安倍首相、比較的まともだと思われていた麻生首相まで、無残にも河野洋平に同一化したのである。民族意識の喪失状態は、もちろん政治家ばかりではない。官僚も経済人も学者も報道人も、あらゆる分野の日本の指導者層に普遍的に見られる現象である。この民族意識・大和魂の喪失こそが、現在の日本の腐敗堕落・混迷の根本原因である。
その意味で、同じく日本の危機の時代といっても、明治維新のときと今とでは、状況は全く違っている。現在の保守派の人々の中には、明治維新になぞらえて、しきりに勇ましい発言をする人は数多い。しかし当時は、侍だけでなく町人や農民にまで、広範に国学思想が行き渡り、討幕派にしても佐幕派にしても、強固な民族意識をもっていたのである。だからこそ明治維新が成し遂げられたのである。
すなわち現在の日本は、歴史上最低の時代であると言って、決して過言ではない。日本は過去においてすばらしい歴史を有していたかも知れないが、それはあくまでも過去のことである。家や会社などの組織に栄枯盛衰があるように、国家や民族にも栄枯盛衰はある。いつまでも過去の栄光に酔いしれているときではない。悲惨な現実を直視することこそ、現時点で最もなされなければならないことである。
また保守派の人々の多くは、現在の日本の堕落・没落の原因を、左翼思想のためだと説明しているが、私の考えは全く違う。そもそも左翼思想・共産主義とナショナリズムは、矛盾するものではない。むしろ共存するものであり、アジアにおいては、特にそうである。毛沢東も、ホーチミンも、金日成も、すべて強烈なナショナリストであった。日本だけがあまりにも異常なのである。
その意味でシナ人・朝鮮人のほうが、日本人に比べて、はるかにまともである。彼らは自らの先祖をわざわざ貶めるようなことはしていない。シナの古いことわざ(詩経)に、「兄弟牆(かき)に鬩(せめ)げども、外その侮りを禦ぐ」というのがある。兄弟で内輪揉めをしていても、馬鹿にされないように、外部には共同して対処するということである。これと全く逆のことをやっているのが、今の日本人である。それに比べれば、日本人が馬鹿にした、百年前のシナ人・朝鮮人ですら、はるかに民族意識を持っていたであろう。
シナ人・朝鮮人だけでない。身内・同胞が悪いことをやったとしても、それを隠すか、あるいはことさらに騒ぎたてないのが、世界の常識、グローバル・スタンダードである。欧米キリスト諸国は、過去数百年にわたって世界を侵略し、植民地支配を展開したが、国民がそれを反省すべきだ言っているという話は聞いたことがない。
現在の日本人が、先祖を悪者にして平気なのは、要するに民族意識を喪失しているからである。同一民族としての、一体感・連帯感がないから、己の道徳的虚栄心を満足させるために、同胞を簡単に差別・迫害することができるのである。保守言論界でよく言われるのは、アメリカの戦後政策によって、日本はここまで駄目にされたとの説明であるが、すでに戦後六十年以上たつ現在、我々はなぜかくも簡単にやられてしまったのか、民族意識・大和魂を骨抜きにされてしまったのか、何よりも自らの問題として、その根本原因と復活の方策を、真剣に究明すべきである。
保守派の人々の現実認識はまだまだ甘いと私は思う。現在はいまだ日本国という国家組織が存在しているが、外敵の侵略によってこの国家が消滅した時、民族意識を喪失したままの日本民族は、民族として生き残れずに、一挙に民族そのものの滅亡にいたるだろう。
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