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歴史を捏造するロシア

『月刊日本』2009年7月号 羅針盤

 五月二十六日の朝日新聞によると、ロシアで大統領直属の「歴史捏造の試みに対抗する委員会」なるものが、十九日発足した。委員は二十八人で、治安関係の人間が多く、歴史学者は数名で、それも御用学者と評されているらしい。その目的は、「旧ソ連軍に自国民を大勢殺されたポーランドやバルト三国では、第2次世界大戦の歴史の見直しが広がっている」のに対して、反撃するためだとうい。これにはロシア内部でも批判があって、マスコミは「リベラル派の希望だったメドベージェフ大統領」に失望したらしいが、ロシアの政治には全く不案内な私でも、同大統領は始めからプーチン首相の忠実な子分にしか見えない。

 第一次世界大戦と第二次世界大戦における、ドイツとロシア・ソ連との関係は、ちょうど逆転した関係になっているのは、興味深い事実である。つまり、第一次大戦では、ロシアは最初セルビアに味方して、ドイツ・オーストリアと戦ったが、途中でロシア革命が起こってソ連になると、単独でドイツと講和してしまう。第二次大戦では、最初はドイツと結託して、ポーランド・バルト三国を侵略したが、ドイツが対ソ戦を開始したことにより、それ以後はドイツ打倒に貢献する。
 ソ連・ロシアでは、一九四一年六月以後の対独戦争を大祖国戦争といって、これだけが第二次大戦であるかのように印象付けているが、第二次大戦は三九年九月に始まっているのであり、独ソ戦開始まで約二年弱の前半部分が明確に存在しているのである。ポーランドやバルト三国が問題にしているのは、まさにこの時期のことであるが、歴史的事実そのものを完全に否定することは難しいだろうから、「歴史捏造の試みに対抗する委員会」の任務は、自己の行為を正当化するもっともらしい理屈を、考え出すことにあるのであろう。
 ところでヒットラーは歴史上の極悪人ということになっているが、第二次大戦の歴史を振り返ってみるとき、ユダヤ人の大虐殺はともかく、スターリンのやったことと、ヒットラーのやったことに、それほど違いがあるとは思われない。基本的に同一ではないのか。それはヴェルサイユ体制の否定ということである。
 一番分かりやすいのは領土問題である。ヒットラーはオーストリアを併合し、チェコのズデーデン地方を併合した。このあたりまでは、ドイツ民族の統一という大義名分が成立しないでもない。しかしさらにチェコ全土を併合し、スロバキアを保護国にして、ポーランドに侵攻した。かくて第二次世界大戦が始まったのだが、それ以前にドイツはソ連と不可侵条約を結び、このときの秘密条約によってソ連は東からポーランドに襲いかかった。さらにバルト三国を併合し、フィンランドも攻撃したが、フィンランドは懸命に抵抗し独立を守った。
 東ヨーロッパの、第二次大戦前と大戦後の二つの地図を比較してみると、いろいろなことが分かる。それには高校の世界史の授業で使われる副教材の歴史地図帳で充分だ。私は吉川弘文館の「世界史地図」を愛用している。戦後はまずバルト三国が完全に消滅している。フィンランドは独立を維持したが、ラトガ湖の北から西の地域がソ連領に獲られた。ルーマニアのヴェッサラビア地方は、ソ連領となった。一番大きな変化はポーランドの領土が、東から西に移動したことである。つまり東部の広範な地域がソ連領となり、その代わり西部でドイツ領だったところがポーランドに与えられた。この新しいドイツ・ポーランドの国境が、オーデル・ナイセ線である。ドイツは、古くからの領土であった、東プロシアもソ連に奪われた。これらすべて、完全なるヴェルサイユ体制の否定である。
 純然たる領土侵略問題以外にも、当時のソ連は沢山悪いことをやっている。五月二十八日の産経新聞「赤の広場で」欄で佐藤貴生記者が、公使館付武官の婦人だった小野寺百合子さんの「バルト海のほとりにて」という本を紹介しているが、ラトビアでは大量強制連行が行われ、「ソ連軍は住宅を襲って家族ごと家畜用の貨物車両に乗せ、全人口の3分の1をシベリアに送ったと推定している」とある。また虐殺ではポーランドに侵攻した際の、ポーランド将校団の大量虐殺、いわゆるカチンの森虐殺事件が有名だが、ソ連自体に大粛清があったのだから、ユダヤ人虐殺を含めても、ヒットラーとスターリンに相違は無かったと言えるのではないか。
 しかしヒットラーは今でも批判されるのに、スターリンの犯罪は黙認された。それはナチス打倒のためには、ソ連の軍事力が絶対的に必要だったからである。その意味でよく言われる、第二次大戦は「民主主義のファシズムに対する勝利だ」との説明は、意図的に創られた、余りにも見え透いた神話である。イギリス・フランスは勿論、アメリカが参加しても民主主義だけでは、とてもファシズムには勝てなかった。共産主義という全体主義の、粗暴な暴力によってようやく打倒できたのである。六月六日、フランスでオバマ大統領も参加して、ノルマンディー上陸65周年の式典が行われた。65周年ということは一九四四年であり、ドイツ敗北の約一年前、独ソ開戦から三年もたった時点である。その間、ソ連がドイツの攻撃を支え続けたわけである。したがって第二次大戦の戦死者は、ソ連が最も多いのである。
 約二十年前、ソ連が解体してバルト三国はようやく独立を取り戻した。しかしポーランドなどが失った領土は回復していない。却って領土問題は複雑になった。それは旧ポーランド領だったところが、白ロシアやウクライナの一部として独立したからである。旧ルーマニアのヴェッサラビアも、モルドヴァとして独立した。今後この東ヨーロッパの領土問題がどのように推移するか分からないが、再び紛糾する時があるかも知れない。
 それにしても、世界の国々の中で、「歴史捏造の試みに対抗する委員会」が最も設置されなければならないのは、わが日本国の政府ではないのか。

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