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G2と言う名の米中の癒着・野合

 オバマ大統領の東アジア歴訪が行われ、中共訪問に最大の四日間の日数が費やされた。それに対して日本はわずか一日で、あまりにも比重が軽かったことは、誰に目にも明らかである。アメリカの基地での乱射事件のために、日本滞在が減らされたことや、大統領が天皇陛下に深々とお辞儀をしたことを以って、我が国ではそのショックをなるべく軽く受け止めようとしているようである。

 このところアメリカ側から、G2と言う言葉が生み出され、アメリカと中共の親密関係が論じられることが多くなったが、今度のオバマ大統領の中共訪問は、それを一層印象つけるものとなった。昨年のチベット問題、今年のウイグル問題と、中共におけるシナ人の侵略問題が、これだけクローズアップされたにもかかわらず、侵略問題としてはもちろん、人権問題としてすら、米中首脳会談において取りあげられることはなかったのである。
 ただしアメリカと中共との親密関係は、急に始まったものではなく、長い歴史の中で徐々に形成されたものであることを、見逃すべきではない。それは約40年前、1972年のニクソン大統領の訪中から始まると考えればいいだろう。ニクソン訪中に驚いた田中首相は、あわてて日中国交を成立させ、共同声明に歴史の反省を盛り込むことにより、シナ人による対日精神侵略の凶器としての、歴史問題を生み出すことになった。なお米中が正式な国交を結ぶのは、7年後の1979年である。
 約40年間の米中関係の歴史を大きく二分するのは、何と言っても今から20年前、1989年の天安門事件であろう。天安門事件と言う中共における民主化運動は、武力弾圧によって完全に失敗する。この事件を企画・演出したのは、アメリカに違いないが、この失敗によって方針転換が行われたのであろう。以後は、アメリカは中共の経済を積極的に成長させるようになる。それを推進したのが1992年の大統領選挙で当選したクリントンである。クリントンは選挙戦中には、中共の人権侵害を大いに批判していたのに、当選すると完全に変節した。92年の天皇陛下の御訪中も、米中関係のみならず欧中関係をも修復する駒として、謀略的に使われたものである。なおクリントンは経済問題で日本を激しく攻撃し、同時期の江沢民は日本を歴史問題で激しく攻撃した。
 アメリカを好意的に理解するとすれば、その後ある時期までは、中共の経済が発展すれば、それが必ず中共の民主化に結びつくと、楽観的に判断していたのかも知れない。しかし現在は全くそのように考えていないだろう。ましてアメリカの工作で中共を民主化させる、実力も意志も完全に喪失している。中共がアメリカ国債を大量に購入し、中共の安価な製品でアメリカ大衆の消費を支えている状態で、そんなことができるわけがない。かつての米ソ冷戦時代とは異なって、経済急成長を利用した、中共のすさまじい軍国主義路線の驀進も、自由を抑圧し人権を踏みにじる共産主義体制も、チベット・東トルキスタンの残虐きわまる侵略支配も、すべてをアメリカは容認している。
 G2、すなわち米中の結託、はっきり言って癒着・野合は、今回のオバマ大統領の訪中によって完成した。温家宝首相がオバマ大統領との会談で、G2論に賛成しないと明言したことこそ、米中結託が完成したことの、何よりの証拠である。鳩山首相は、日米対等の関係なるものを目指し、東アジア共同体構想を掲げて中共に擦り寄っているが、すでに米中は完全に手をむすんでいるのである。まことに白痴的な外交センスであると言うしかない。

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