- 2009年11月29日 17:09
- 時評
同じような意味で、日本人に日本罪悪史観を吹き込んだのは、日教組による偏向した学校教育というよりも、マスコミによる洗脳的な一種の社会教育だと、私は考えている。昭和30年代に、中学・高校の中等教育を受けた、自分自身の体験から言っても、学校教育ではそれほど変なことを教えられた記憶はない。日の丸・君が代も、全く当たり前に行われていた。大学では日本史を専攻したが、私が直接学んだ大学教師に、いわゆるバリバリの左翼という人物はいなかった。
ただし学者としての世界は別である。学者は学会に属して活動するが、有力学会は戦後からマルクス主義の影響力を、極めて強く受けていた。したがって学術雑誌には、そういう傾向の論文で溢れていたし、そういう本も刊行されていた。しかしその社会へ影響力としては、いわゆるインテリ層はともかく、一般市民に対しては、労働組合運動を除けば、殆どなかったといえるだろう。すなわち学問の世界に閉じ込められていたのである。日本罪悪史観が、社会に影響するとしたら、それはマスコミ、中でも新聞であり、朝日新聞はその最も顕著なものである。それでも新聞は、社会全体への影響力としては、まだまだ限定的であったろう。
マスコミとして、社会全体、つまり社会のあらゆる層に、大きな影響力を与えるようになったのは、明らかにテレビである。昭和20年代の末に始まり、50数年の歴史を持つテレビであるが、この間に大きく変質、はっきり言って著しくその質が劣化したことが、極めて重要である。若い人々には分からないかもしれないが、昔のテレビは現在より、遥かに遥かにマトモだった。各種の番組は丁寧に作られていたし、例えば芸能番組はずっと上品であった。
その中でも最も変質したのが、ニュース番組である。今でも昔のニュース番組のスタイルが残っているのが、NHKのBSニュースである。アナウンサーが原稿を淡々と読み上げるだけの形式である。しかし一般のニュースは、悪い意味で大きく変質した。背景音楽があったり、ナレーションがあったりするが、最も大きく異なるのは、キャスターなる人物が、ニュースに関する自己の見解を、視聴者に垂れ流すことである。つまりこれは明らかな洗脳作業に他ならない。この方式は、最近なくなった田英夫あたりが始めかもしれないが、画期的な成功を収めたのが、テレビ朝日の久米宏であり、TBSの筑紫哲也であった。
久米の登場が85年、筑紫の登場が89年だから、80年代の中ごろ以後である。久米や筑紫がいかなる言説を展開したかと言えば、それは私が偽善主義と言うものである。しかも自分を良心的人間と美化するために、日本を貶めるという極めて悪質・卑劣な性格の言説であった。なお「虐日偽善」については、本エントリーの『虐日日本人の精神構造』を見ていただきたい。80年代といえば、第一次教科書事件が82年、第二次教科書事件が86年、靖国参拝の問題化も同時期である。さらに南京問題・慰安婦問題など続発するが、これらの歴史問題が、久米・筑紫に語られて、それが毎日毎日繰り返されることによって、日本罪悪史観が大衆のレベルまで、深く深く浸透したのである。
以後、ニュース報道は、ますます軽薄に、偽善的にと、劣化の一途をたどっている。ワイドショーなど、各種の番組で、面白おかしくニュース、特に政治のニュースを採り上げることが多くなった。そこではタレントと称する人種が、無責任なコメントなるものを、喋り捲っている。そこで貫かれている基本的イデオロギーは、やはり偽善主義である。この種の番組を多くやるのが、テレビ朝日とTBSであることも、それをよく表している。
民主党のイデオロギーも偽善主義である。つまりマスコミも民主党も同じ体質なのであり、ウマが合うのも当たり前である。もちろん自民党にも偽善体質はあった。歴史問題に関して、それが見事に表れたのが、宮沢喜一・中曽根康弘・河野洋平といった人々である。
民主党は自民党の偽善体質を、更に一段と深化させ純化させた政党と考えることができる。
無責任な言辞を弄してブレまくる、偽善の塊・鳩山由紀夫は、その意味で民主党のトップとして、まことにふさわしい人物だと言って間違いない。
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