- 2009年12月14日 15:08
- 時評
すなわちこれは、安直な平和主義、非暴力主義への、真っ向からの否定である。したがって日本に多数存在する平和主義者にとって、まことに都合の悪いものになった。日本における平和主義を鼓吹する一大拠点である朝日新聞は、かなり分量の多い演説の全文を、一面全部を使って報道したが、記事の見出しとしては、「正義としての平和をめざそう」「戦争と非暴力の板挟み」と言ったもので、演説の中核である積極的な戦争肯定を、明らかに隠していた。オバマは、イラク戦争も、アフガン戦争も、完璧に正当化したのだから、本物の平和主義者なら、オバマ演説を正面から批判しなければならないのである。
しかし他方、産経新聞のように、空想的な平和主義を批判する観点から、オバマ演説を一方的に賞賛するのも、明らかにおかしい。私は平和主義者ではないが、部分的にはともかく、総体としてのオバマ演説を、全く認めることはできない。オバマは、現在の世界において一番重大なことを、懸命に隠蔽してこの演説を行っている。その意味で、オバマ演説は支離滅裂である。
「間違ってはいけない。世界に邪悪は存在する。非暴力の運動では、ヒトラーの軍隊を止めることはできなかっただろう」と、オバマは言っている。しかし現実に存在する邪悪として挙げられるのはイランや北朝鮮であり、中華人民共和国・中共が全く出てこない。邪悪としては、小者ばかりを取り上げて、巨悪の中の巨悪には、目をつぶっている。シナ人がやっていることこそ、侵略と虐殺であり、全く疑問の余地なく、現在におけるナチズムそのものである。
ただこの演説の中で、中共に関することが、一箇所だけ出てくる。それは「文化大革命の戦慄を考えると、ニクソンが毛沢東と会ったことは弁解の余地がなかったように見える。だがその会談が、何百万人もの中国国民を貧困状態から引き上げ、中国を開かれた社会とつながる道に乗せる助けになったのは確かだ」という部分である。これは現在ますます進行中の、アメリカと中共の結託、すなわち癒着・野合を、その発端にさかのぼって弁明していると、理解することができる。
ニクソン訪中によって、中共を国際社会に引きいれることができたとしても、問題はその後である。この訪中で、チベットの抵抗運動の支援が打ち切られ、チベットがアメリカに裏切られて見捨てられた。間接的武力行使は止められ、アメリカが今でも多くの国に対してやっている経済制裁も実施されなかった。口先だけでも行っていた人権批判も、今や全く止めてしまった。国際社会に引き入れたら、その場でシナ人の悪逆非道を止めさせなければならないはずである。それこそ世界の警察官である、アメリカの責務である。アメリカはその責務を、全く放棄した。私がいつも使う例えだが、警察官と暴力団の癒着であり、アメリカは悪徳警官になってしまったのだ。
そもそもオバマが戦争の必要性を説くのなら、少なくとも日本に対しては明確に謝罪すべきである。アメリカが占領中に戦力放棄の「平和」憲法を押し付けたのだから。
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