- 2010年1月25日 15:13
- 時評
今回の地震の報道で、ハイチの歴史についても多少の解説があるが、見かけなかったのは、コロンブスのアメリカ大陸「発見」との関係である。有名なコロンブスのアメリカへの到達は1492年のことであるが、その時に着いたのがキューバ島とその隣のハイチのあるエスパニョラ島であった。1494年のトルデシリャス条約による植民地分解線によって、世界は大きく二つに分けられ、アジア・アフリカをポルトガルの領分、南北アメリカをスペインの領分とされたが、その中でもエスパニョラ島は、スペインの最初の植民地といえる存在になったのである。
このエスパニョラ島では、スペインによる支配のために、多くの人々が殺されて、原住民の絶滅状態になってしまった。スペイン人の司教ラス・カサスは、その有名な著作である『インディアスの破壊についての簡潔な報告』の中で、約300万人居た人口は、40年の間に200人ほどになってしまったと述べている。原住民・インディオが余りにも居なくなってしまったために、代わりの労働力として導入されたのが、アフリカの黒人であった。それはアメリカとアフリカの距離は、日本人が漠然と考えているよりずっと近いからである。実際に地図を見れば分かるが、大西洋は太平洋に比べて、遥かにせまいのである。
コロンブスから約200年後、1697年にエスパニョラ島の西部三分の一が、スペインからフランスに割譲された。これが現在のハイチという国の淵源である。以後はフランス領の植民地として、アフリカ黒人も更に大量に流入するようになっていった。1791年、その黒人奴隷が反乱を起こす。以後、騒乱の時代を経て、1804年に黒人による独立した共和国が誕生した。これにはフランス革命の影響があったとされる。中南米諸国の殆どが、スペインの植民地から独立するのは、1820年の前後であるから、ハイチの独立はそれより以前である。
黒人の独立と言えば、第二次世界大戦後の植民地体制の崩壊によって、1960年以後、アフリカで黒人独立国が続々と誕生する。ハイチはそれより150年以上も前に、黒人独立国だったのだ。またアフリカの黒人独立国としては、19世紀にすでにリベリアがあるが、これは1820年頃、アメリカ植民協会がアメリカの解放奴隷を送り込んだもので、建国は1824年だが独立宣言は1847年である。したがってハイチは、世界で最初の黒人の独立国であると言って間違いない。
しかし20世紀になって、アメリカがカリブ海地域に支配を伸ばしてくると、それに従属せざるを得なくなってゆく。近年はクーデターなどで政情不安となり、2004年から国連のハイチ安定化派遣団が駐屯して、ようやく治安を維持する状態となり、西半球の最貧国にまで落ちぶれてしまった。ハイチの世界最初の黒人独立国いう栄光は、今や完全に色あせた。
過去の栄光が失われたのは、我が日本も同じである。過去がいくら立派でも、現在が馬鹿では駄目なのだ。明治維新の成功によって、欧米の植民地にならなかったと自慢するが、現在はアメリカの保護国であり、明らかに軍事的植民地である。精神的には米中共同の植民地であると言ってよい。保守の人々の中には、維新の志士気取りの人がいるようだが、歴代最低の鳩山白痴宰相でさえ、「無血の平成維新」(所信表明演説)くらいは言えるのである。
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