- 2010年2月14日 18:23
- 時評
それが一層よく分かるのは、コメントを寄せている二人の人物の発言内容である。一人は石川県の公立高校の女性教諭で、事前に注意しておけば良かったのだと、当人より周囲の関係者のほうを批判している。また同教諭の高校では、男子学生の3分の2が腰パンで、当たり前の格好だから、注意してもきょとんとされるだけ、なのだそうである。つまり制服の着崩しが野放し状態になっているわけだが、この59歳にもなる女性教諭は、それが異常だとは全く考えていないらしい。もう一人は九州の高校野球指導者で、「社会全体に寛容さが消え、服装や言動など競技以外でも厳しくチェックされる時代になった」と、社会が悪く暗くなったようなことを言っている。
この問題の最も重要なところは、一スノボ選手の問題に止まらないところである。現在では、学生の服装の規律が全く乱れてしまっているは、町を歩いてみれば良く分かる。男子の詰襟の学生服の場合、カラーをつけていないし、ホックも掛けていない。更に襟のボタンを一つか二つは外している。背広型の学生服では、スノボ選手と同じ状態である。もう遥か昔の話であるが、私が高校生の時代には、詰襟を完全にキチンと着ていたし、学生帽も被っていた。
根本は、服装が精神に与える影響である。だらしない服装をしていると、精神がだらし無くなる。とくに本来キチンと着るべき制服を、だらしなく着れば、その影響は一層甚だしくなる。だから制服を着る組織である軍隊や警察は、常に服装が乱れないように注意している。つまり学校における生徒の服装の乱れは、現在の教育が崩壊していることの、何よりの証明である。
ただし学生生徒の服装として最も問題があるのは、女子生徒の服装ではないだろうか。近年は女子生徒の制服として、セーラー服ではなくブレザータイプのもがあるが、これに穿くスカートが異常に短いことが多い。例の超ミニスカートである。したがって太ももが丸出しになる。これは端的に言って娼婦スタイルである。その娼婦スタイルが、学校の制服として広範囲に通用し、しかもそれを異常だと批判する声が殆ど聞こえない。
私はこの学生服としての超ミニスカートの横行こそ、現在の日本がいかに堕落した社会になってしまっているかの明白な証拠であり、社会に与える害毒は極めて深刻だと考えている。太もも丸出しの超ミニスカートを穿いているとどうなるのか。それは必然的に性的な羞恥心が失われていくだろう。つまり貞操観念が失われていくのである。だから「援助交際」という名前の、実質的売春行為も平気になる。しかもそういう女子生徒が、やがて子供を育てる母親になってゆく。
一方、超ミニスカートは、男子生徒にも不自然な影響を与えるのではないか思われる。超ミニスカートを男女共学である学校の場で日常的に見続ければ、結局はそれに慣れてしまって、健康な性的好奇心の発達が阻害されるのではないのか。それが現在の少子化の問題に繋がってくるのかも知れない。
では、いつから何故、学校の制服の乱れが始まったのだろうか。朝日新聞の先の記事では、腰パンは1990年代から広まったと書いてある。これは私が学校の制服の乱れについて、以前から感じていた印象と一致する。つまりそれは約20年ほど前からであり、昭和から平成への代替わりと連動していると思われる。多くの人は忘れてしまっているだろうが、実はこの頃、朝日や毎日といった新聞による、校則批判の大キャンペーン報道があったのだ。生徒に坊主刈りを強制するのは甚だしい人権侵害だ、などの議論がなされた。
その中でも重要な画期だったのが、1990年7月6日に起こった、校門圧死事件である。兵庫県立神戸高塚高校において、朝の登校の門限が過ぎたので、教師がスライド式の門を閉めたところ、走りこんできた女子学生が挟まれて、圧死したのである。これによって一挙に、学校の管理は厳しすぎるとする批難が巻き起こった。それはすべての学校における校則への批難・糾弾となり、学校側はそれに次々と屈服して、服装もどんどん乱れて行ったのである。朝日新聞は、校則破壊の張本人であるから、スノボ選手を擁護するのは、当然といえば当然なのだ。
現在、保守派の人々は教育改革を求めて、日教組教育を批判している。私は教育の現場のことは全く知らないが、乱れきった生徒の服装を正常化するだけでも、かなりの改革効果は挙げられるのではないだろうか。
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