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ナチスドイツと戦おうとしなかったイギリス・フランス

  • Posted by: 中の人
  • 2010年5月16日 12:57
  • 時評
100516.jpg 前回、5月9日に行われた、ロシアの対独戦勝65周年の式典について採り上げて、ロシアの歴史の歪曲・偽造について述べた。この第二次大戦の問題は、日本の歴史問題にも関連するから、さらに述べてみたい。私も、ナチスドイツを打倒するために、ロシア人が大きな犠牲を払ったこと自体を否定するものではない。そもそも、今までソ連のナチスドイツ打倒における貢献は、過小評価されて来たと言っても良い。それは冷戦時代つまり東西対立時代には、ソ連の業績を欧米諸国が積極的に評価しなかったからである。
 したがって、ソ連が各国の中で最大の、2700万人という犠牲者を出したというのも、それほどウソではないだろう。そしてソ連がいなければ、イギリス・フランスだけではもちろん、それにアメリカが味方しても、決してナチスドイツに勝つことはできなかったに違いない。その意味でよく言われる、第二次大戦はファシズムに対する、自由主義・民主主義の勝利だとの評価は、明らかにウソである。一方の主役ソ連は、共産主義国家、つまり左翼全体主義国家だったのであり、自由なき共産主義国家であったからこそ、膨大な犠牲を払うことが可能であったのである。
 今回の式典の最大の問題は、大戦の初期の段階でソ連はナチスドイツと完全に結託し、東欧を侵略してベルサイユ体制を破壊したのであり、その点でナチスドイツと全くの同罪であると言う、紛れもない歴史的事実を、ロシアが懸命に隠蔽したことである。そしてその歴史事実を歪曲する目的で開催された一大イベントに、欧米諸国、アメリカ・イギリス・フランスが、やすやすと参加してしまったことである。ただし、欧米諸国が軍隊まで参加したことについては、その背景として、ロシアに対して欧米諸国側に一定の弱みがあったからではないかと、私は推測する。一つは先に述べた、これまでナチスドイツ打倒におけるソ連の功績を、正当に評価してこなかったことである。そしてもう一つが、大戦の初期段階における、欧米諸国とくにイギリス・フランスがとった、実際の行動にあるのではないかと思われる。

 第二次大戦の初期の段階で、ソ連はナチスと完全な共犯関係にあったことは、忘れられがちなのだが、イギリス・フランスがドイツと戦うことを極力避けていた、という極めて重大な事実も、殆ど忘れられているようである。第二次世界大戦は、ドイツがポーランドを侵略することによって、1939年9月1日に開始された。その二日後、9月3日にイギリスとフランスは、ドイツに対して宣戦布告をした。宣戦布告をしたにも拘わらず、イギリス・フランスは、ドイツを攻撃しなかった。したがってドイツは、東部戦線に集中することができ、9月27日にはワルシャワを陥落させ、翌28日に独ソ友好条約を調印して、仲良くポーランドを分割した。
 翌年、40年4月に、ドイツは中立国であるデンマーク・ノルウェーを征服して北方を押さえ、5月10日から西部戦線での行動を開始した。中立国のオランダ・ベルギーを攻撃して降伏させ、そこからフランスに攻め込んだ。イギリスも参戦して、ようやくこの時点から、ドイツとイギリス・フランスの戦争が始まったのである。英仏の対独宣戦布告から、実に八ヶ月後である。しかし英仏軍は敗北して、英軍は本土に撤退し、パリが6月14日に陥落し、22日にはフランスはドイツに降伏した。つまり、ソ連や英仏の行動が、ナチスドイツが急速に強大化することを絶大に援助したのであり、ソ連が積極的な共犯者であるとすれば、英仏は消極的な共犯者と言えるのではないか。
 一般に、英仏がヒトラーの侵略的野心を増長させて、後に禍根を残したとされるのは、第二次大戦開始の一年前、1938年9月末のミュンヘン会談である。これは英仏と独伊の四カ国の首脳による会談で、チェコスロバキアのズデーデン地方を、ドイツが併合することを英仏が承認した。これは明らかにベルサイユ体制の否定であるが、ズデーデン地方はドイツとの国境地帯で、ドイツ人が多く居住していた。民族自決の原則から言えば、それほど不自然なものではない。実はこの年の3月には、ドイツはオーストリアを併合している。第一次大戦後のオーストリアは、完全にドイツ民族の国であり、そもそもヒトラー自身がオーストリアの出身であった。歴史に禍根を残したとすれば、ミュンヘン会談より、第二次大戦の初期段階の、英仏の対応のほうが遥かに重大である。そして、戦争をして負けたのは仕方がないにしても、宣戦布告をしながら戦わなかったことは、国家として民族として、極めて不名誉であると言わざるを得ない。
 アメリカは、第二次大戦の開始後、9月5日に不介入・中立を宣言した。アメリカがドイツと戦うようになるには、ドイツと軍事同盟を結んでいた日本と開戦する、41年12月以降のことである。先日5月11日の日本経済新聞によると、ロシアの対独戦勝式典にアメリカのオバマ大統領は出席しなかったが、そのかわり「8日に声明を発表し『(独ファシズムを敗北させた)偉業は米ロを含む人々の驚くべき自己犠牲によってもたらされた』と強調した」という。そんなにドイツのファシズムが悪者であるなら、すぐに参戦すべきであったのだ。第二次大戦の初期段階の実態が明らかにされると都合が悪いのは、ロシアだけでなく、イギリスもフランスも、そしてアメリカも同様なのである。
 今回の対独戦勝65周年式典における、戦勝国のハシャギ振りを見ていると、世界の歴史は65年前に逆戻りしたような異常さを感じる。その時点の善悪の評価を、懸命に固定化しようとしている。しかし歴史はテレビの時代劇とは違って、勧善懲悪ドラマのような単純なものではない。歴史を少し調べてみるだけで、戦勝国側のやったおかしなところは、いろいろと出てくる。日本の保守派の人々は、日本の過去を100パーセント正当化しないと、気がすまないらしいが、そんなに無理する必要は無い。戦勝国側が誤魔化している歴史の真実を、冷静かつ的確に指摘し続け、彼らが振り回す安直な正義の神話を破壊すべきなのである。またそうでなければ、東京裁判史観をとても覆せないだろう。

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