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政治の再生のためには自民党時代の検証が是非とも必要だ

  • Posted by: 中の人
  • 2010年5月27日 22:14
  • 時評
100527.jpg 5月22日、産経新聞の連載コラム「新聞に喝!」で、ブリティッシュ・コロンビア大学名誉教授の永谷敬三という人が、「求む!楽しいニュース」と題して書いている。その書き出しの部分が、なかなか興味深い。いわく「もう四半世紀あまり、日本から楽しいニュースがやってきた記憶がない。『失われた10年』は今や『失われた20年』になり、なお更新中である。まるで国全体が長期的鬱病に侵された感がある。政治家も財界人もひたすらこの病の慢性化に務めている」。この見方に私は大いに賛成である。筆者はカナダのバンクーバーに在住しているとのことで、外部からだと、比較的客観的に日本を見ることが出来るようである。
 ところで「失われた10年」とは、バブル崩壊後の10年間、すなわち1990年代のことを言うが、永谷氏は少し前から、「もう四半世紀あまり」と言っていることが重要であろう。今から四半世紀、25年前と言えば1985年である。この年に起った日本の運命にかかわる重要事件は、例のプラザ合意である。これによって円は急速に騰貴してバブルが発生し、ついで崩壊した。それでも90年代前半は経済成長していたが、半ばから以後現在まで十数年間に渡って、日本の経済は全く成長していない。これはすべて、アメリカの経済攻撃に対して、日本の政治家・官僚が全く無能であり、マスコミや言論人もその実態を隠蔽してきたからである。

 その結果、如何なることが起ったか。実に分かりやすい証拠が、自殺者の急増である。1998年、平成10年から、それまでコンスタントに2万人台前半であったのが、8千500人近く増えて3万人台になり、以後ずっと維持し続けている。その意味で、経済不況による困窮者増加の原因を、小泉改革だけに求めるのは、明らかに誤っている。小泉首相の登場は、2001年4月であり、その前に自殺者は急増していたし、日本の経済成長は止まっていた。すなわち自民党政治そのものの責任こそが、極めて重大であると言わなければならない。
 したがって、小泉郵政改革に反対して自民党を離脱した、亀井静氏や平沼赳夫氏も、今日の日本の惨状を招いた責任を、免れることはできない。両氏は当時すでに自民党の重鎮であったはずである。また現在、民主党で政権を掌握している、小沢・鳩山両氏も自民党員だったのであり、小沢氏などは若くして幹事長であった。政権交代により民主党政権が誕生したが、迷走を続けている。それなら自民党政権に復帰すればよいかといえば、全く期待できないし、また群小政党が幾つも誕生したが、これも丸で魅力がない。それはなぜかと言えば、そのすべてが自民党政治の亜流に過ぎないからである。
 現在の日本の政治を立て直すためには、戦後の歴史をキチント回顧・検証することが、絶対に必要である。現在の惨状に至るには、それなりの歴史的経過があるのであり、それを明確に認識しておかなければ、再建の仕様もない。永谷氏は四半世紀と言っているが、私はもう少し広げて、少なくとも1970年頃以後の40年間の歴史を詳しく検証すべきであると思う。1970年と言えば、大阪万博の年であり、日本が戦後の復興に成功したとされる時期である。しかし日本人はそこで安心し、油断してしまったのではないだろうか。
 この40年間の中間が、昭和から平成の代替わりであり、先述したようにバブルの崩壊である。そこから日本の没落が始まっているのであるが、それはそれ以前の20年間に、周到に準備されていたものである。この40年間は、一口で言えばアメリカと中共にあやつられた、自己喪失の時代であると言うことができる。それは時と共に深化して、現在の惨状に至ったわけである。結局、日本の再生は、歴史の検証に基づいて、現在の日本がいかに愚かで間抜けな存在になったのか、白痴国家・白痴民族に成り果ててしまったかを、深刻に自覚することから始める以外にないだろう。

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