- 2010年6月15日 02:22
- 時評
取材した場所は、ミンダナオ島の町リロイ、ルソン島バターン半島の町オリオン、同じくルソン島の町アンヘルスの三箇所である。これらは別個の家族であるが、約三年前に強制送還されたことと、日本に居たときには横浜に居住していたことが共通している。
リロイの子どもたちは、男15歳・女13歳・男12歳の三人兄弟で、すべて日本で生まれて育ち、横浜の公立小学校に通っていた。フィリピン人の母親は、横浜に居たときに家出し、父親はマニラに出稼ぎに出て、祖母と一緒に暮らしている。弟のアルフィーは現在言葉で苦労し、現地語も日本語も水準に達しない、「ダブル・リミテッド」状態であると言う。兄のジョマールは言葉で苦労したがなれてきて、「ハイスクール3年の1学期の成績は48人中1位」であった。女の子のマリアは、記者に日本語の本を読んでくれて、「普段使っていないにもかかわらず、日本語力の衰えを感じさせなかった」。
オリオンの子どもは、14歳と12歳の男の兄弟で、二人とも横浜で生まれ育ち、公立小学校に通っていた。兄のマヌエルは、「タガログ語や英語の読み書きが追いつかず、妹(9)と同じクラス学ぶが、近所の子どもたちと遊ぶ姿は、すっかり地元の子だ」という。ただし横浜時代の友だちのことは、忘れられない。アンヘレスの子どもは、14歳のデニスで、「フィリピンに根を張り始めた一方、母との内緒話は日本語で、今も流暢に話」し、横浜に遊びに行きたいと懐かしがる。
実は、採り上げられている三家族とも、横浜に居住していたことには、それなりの理由がある。それは佐々波記者の取材を、お膳立てした人間が存在したのである。それは記事中に出てくるが、NPO法人「在日外国人教育生活相談センター・信愛塾」の、センター長・竹川真理子、同理事・大石文雄という人物で、すでに横浜時代からこれらの三家族の面倒を見ていたのである。
佐々波記者の報告は、余りにも当たり前過ぎて、少しも意外ではない。母国に帰った子どもたちは、始めは言葉の問題で苦労するかもしれないが、すぐに生活に順応して、たくましく生きて行くに違いないのである。6月5日の記事に添えられている、佐々波記者が撮影した写真は、「友達に囲まれるマヌエル君」「いきいきとした表情のデニス君」と、説明がつけられている。当然の内容の記事ではあるが、これを朝日新聞が報道したことが、正確に言うと、報道せざるを得なかったことが、極めて重要である。
カルデロン問題を煽り経てた朝日としては、強制送還された子どもたちの、悲惨な状況を是非とも取材したかったに違いない。だがそれは全く不成功に終わった。それでも佐々波記者は、どうしても人権問題に結びつけようとする。そこで阿部浩己神奈川大学大学院教授を使って、「日本で生活の基盤を築いた子どもにとって、退去強制命令という形で暮らしや学びを断ち切られることは、生きてきた証しを丸ごと奪われるようなもの。国際人権法に照らし合わせても、問題がある」と、わざわざ言わせている。
しかしそもそもカルデロン問題を、悲劇に仕立て上げたこと自体が、全くの誤りであったのだ。事情によって、急に生まれ育った国を離れて、外国で暮らさなければ成らなくなった子どもなど、世界中では莫大に存在するに違いない。日本でも、親の外国転勤に伴って、外国で生活するようになった子どもは幾らでもいる。学者やマスコミばかりでなく、国家権力を握る政治家・法務大臣までが、こんな簡単な事が全く理解できず、特別在留許可を与えるほど、現在の我が国は驚くほど愚かな国家に成ってしまったのだ。しかも白痴的政策によって、日本国家は確実に解体されて行く。悲劇と言うなら、日本人偽善者に洗脳されて、両親と離れて暮らしている、現在のカルデロン・のり子こそ、本当の悲劇のヒロインと言わざるを得ない。
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