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歴史の抹殺を糾弾する

『月刊日本』2010年11月号 羅針盤 2010年10月22日
101023.jpg ロシアのメドベージェフ大統領が九月末に中共を訪問し、二十七日に共同声明を発表した。その共同声明の内容は、第二次大戦に関するものであり、ドイツ・ナチズムと並んで、日本軍国主義を最大の敵と決めつけ、中ソの協力による勝利六十五周年を謳い上げた。ただしこの企みはかなり以前から準備されていたもので、五月六日の対独戦勝記念日に、ヨーロッパの戦争とは関係のない、中共の胡錦濤をわざわざ呼び寄せ、プーチン・メドベージェフ両人と、歴史問題に関する会談を行っている。また今年から九月二日を、「第二次大戦終結の日」として、対日戦勝を大々的に祝賀することを始めた。

 共同声明で展開されている歴史の解釈は、第二次大戦のそれも末期の状況を固定化して、戦勝国の立場から、歴史の善悪を判定したものであって、その前後の歴史については、都合の悪いところは、すべて抹殺するという、徹底してデタラメなものである。それを共同声明として公表する、無神経極まりない厚顔無恥さには、日本の立場を離れて客観的に見れば、まことに見事なものだと感心せざるを得ない。
 ところで今回の声明は、ちょうど尖閣問題が進行中に出され、日本の北方領土との絡みも想定されているようだ。かつて中共はロシアとの間に領土問題があるから、日本の北方領土には理解があるといわれていた。ところで現在は、中共とロシアとの間の領土問題は、完全に解決したとされている。しかし本当にそうなのだろうか。実は解決されたとされている、中露間の領土問題すなわち国境画定問題は、世界の歴史から考えて、極めて重大なごまかしの上に築かれたものなのである。そこで意図的に隠蔽されている、簡単明瞭な歴史的事実を指摘しておきたい。
 ロシア帝国は17世紀に東方のシベリアに大発展して、清帝国と対峙するようになった。その結果結ばれたのが、一六八九年のネルチンスク条約であり、極東における両帝国の境界を、外興安嶺(スタノボイ山脈)とした。しかし十九世紀になり、特にアヘン戦争以後の西洋列強の侵略行動が活発になった段階で、清帝国はロシア帝国に広大な領土を割譲している。それが一八五八年のアイグン条約によるアムール地方と、一八六〇年の北京条約による沿海州である。またこれとは別に中央アジアにおいても、ロシア帝国に奪われた土地がある。これらのことは、日本の高校世界史教科書にも載っている、歴史の常識中の常識である。
 シナ人はアヘン戦争以後、列強に侵略されたことをもって最大の屈辱とし、その怨念を晴らすことを口実として、現実の侵略行動にいそしんでいるわけである。ではかつてロシア帝国に侵略された地域は、現在どうなっているのだろうか。アヘン戦争でイギリスに奪われていた香港は、近年一九九七年に至ってようやく回収した。しかしロシア帝国に奪われた部分は、全く取り戻していない。にもかかわらず、両国の国境を確定してしまったのである。それは一九九一年五月、ソ連が解体する半年ほど前のことだが、江沢民がソ連に行って、中ソ東部国境協定に調印したのである。その後西部の国境協定も調印したが、このときには中央アジアの諸国は独立していた。東部国境については、その後アムール川の島の帰属問題などが残っていたが、最終的に決着したのは最近のことである。
 そもそも清帝国の巨大な版図は、直轄地と藩部とに大きく分けられる。藩部はモンゴル・トルキスタン・チベットなど、間接的に統治したところである。さらに直轄地の部分も大きく二つに分けられる。それはいわゆるシナ本部と満州とである。シナ本部は十八の省で構成され、ほぼ明の時の版図に一致する。満州が直轄地になったのは、清帝国は満州人が支配者であったからであり、発祥の地である満州は、封禁の地として他民族の移住を厳しく制限した。その満州の北部と東部の広大な地域が、約百五十年まえにロシア帝国に強奪されたわけである。ロシアは更に満州の南部まで勢力を伸ばし、朝鮮半島をも伺うようになったために、ついに日露戦争となった。日本が勝っていなければ、満州は丸々ロシアのものになっていたであろう。
 シナ人は現在でも、一九三一年に満州事変が勃発した九月十八日を、日本のシナ侵略の重大記念日とするが、日本が満州国を作ったのは、本来の満州の半分に過ぎない。ちなみに江沢民が、東部国境協定に調印したのは、一九九一年の五月十六日である。シナ人はまず、「固有の領土」をロシアに奪われたままで、国境を確定した共産党支配者の背信を厳しく糾弾すべきである。さらに、五月十六日を国恥記念日に認定して、領土回復運動に邁進すべきである。そんな当然なこともやらないで、ロシア人と共に日本の過去を中傷したり、尖閣諸島を固有の領土だと主張しても、何の説得力も迫力もない。
 ただし、中共とロシアの共同声明によって喧伝されている、我が日本に対するいわれ無き差別・迫害と、正面から戦うことができる、これだけ明らかな反撃材料があるにも関わらず、シナ人とロシア人による、理不尽極まる言いがかりに対して、少しも反論しない日本人も、余りにも間抜けで腑抜けだと言うしかないが。

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