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自民党による亡国政治の歴史を、徹底的に検証しなければならない

  • Posted by: 中の人
  • 2012年5月 5日 00:50
  • 時評

 

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石原慎太郎東京都知事が、4月16日(日本時間17日)アメリカのワシントンで、東京都による尖閣諸島の購入を言明してから、また尖閣問題が大いに注目されている。尖閣諸島を巡る日本と中共との紛争の経緯は、4月28日に産経新聞に掲載された、同紙の論説委員・石川瑞穂氏による「領土保全を怠ってきた政府」と題する記事に、要領よくまとめられていて、尖閣問題を理解するためには非常に参考になる。

 

尖閣諸島は沖縄県に属し、今から40年前、昭和47年・1972年の沖縄返還で、我が国の領土に復帰した。なおこの年は日本と中共の国交が成立した年でもある。その少し前、1968年に、周辺で石油の埋蔵の可能性が発見され、中共と台湾がにわかに領有権を主張し始めた。石川氏による経緯の説明は、この発端部分は略して、昭和53年・1978年から、以下のように述べられている。

「日中平和友好条約の調印を4カ月後に控えた昭和53年4月、尖閣諸島沖に100隻を超える中国の漁船が現れた。多くの漁船が機銃で武装し、日本の海上保安庁の巡視船の退去命令を無視して領海侵犯を繰り返した。
当時の福田赳夫内閣が中国に抗議し、中国漁船は引き揚げたが、中国側は『事件は偶発的』と言い逃れた。国内では、自民党の一部から『調印を急ぐべきでない』との慎重論も出されたが、福田内閣は予定通り、その年の8月、日中平和友好条約に調印した。
尖閣諸島については、調印前、園田外相と当時の中国の最高実力者、鄧小平副首相が会談し、鄧氏は『再び先般のような事件を起こすことはない』と約束した。日本はこれを信頼し、日本の領有権は条約で明確にされなかった。
2カ月後の10月に来日した鄧氏は尖閣諸島の領有権問題について『10年棚上げしても構わない。次の世代の人間は、皆が受け入れられる方法を見つけられるだろう』と述べた。福田内閣はこの『棚上げ』発言にも異を唱えなかった。
当時は中国の軍事力も経済力も今ほどではなかった。日本の領有権を中国に認めさせる機会を逸したといえる。」

つまり尖閣問題は、日中平和友好条約の調印と、密接に関連しているのである。この条約は、日本の外交史の中でも、最も愚かな条約と言うべきもので、当時の総理大臣・福田赳夫は本来慎重派だったが、強引に推進した外務大臣・園田直に押し切られた形となった。すなわち中共側は、漁船の襲来で脅しをかけておいてから、今後このようなことは起きないと口約束をして調印に持ち込んだわけであり、シナ人の騙しのテクニックが、ものの見事に発揮されたのである。自民党による外交の、不様な敗北であった。
ただし私が石川氏の文章で最も注目するのは、以上の記述に続く次の部分である。
「その後、福田内閣から大平正芳内閣に代わり、領土保全策に変化の兆しが見られた。54年5月、森山欽司運輸相は尖閣諸島の実効支配を確立するため、最大の島、魚釣島に仮へリポートを建設する計画を明らかにした。
仮へリポートは同月下旬に完成し、尖閣諸島の地質、動植物や周辺の海中生物などを調べる学術調査団31人がヘリコプターや巡視船で魚釣島に派遣された。
しかし、これに中国が抗議し、政府内が動揺した。園田外相は衆議院外務委員会で「日本の国益を考えるなら、そのままの状態にしておいた方がいい」と仮へリポート建設や学術調査に反対の意向を示し、閣内不一致が露呈した。
大平内閣は調査を予定より早く切り上げさせた。その後、尖閣諸島に本格的はヘリポートや漁港、灯台などを建設する構想が一部で浮上したが、いずれも中国への配慮から先送りされた。」

すなわち日中平和友好条約の翌年には、ヘリポートを建設して実効支配に取り組みながら、中共の抗議にだらしなく撤退したのである。これを主導したのが、日中平和友好条約の積極的推進者であった園田外相である。このような人物こそ、中共の手先、民族の裏切り者と言うべき存在である。その後、1992年に、中共は領海法を制定して、尖閣は自国領だと主張するようになる。しかし自民党はその後も一貫して、尖閣諸島の実効支配から逃げ続けたのである。この間に中共は経済的に急成長をし、その成果を軍備の増強に投入して、今や世界第二位の経済大国・軍事大国に成りおおせた。
石川瑞穂記者は、この文章を「民主党も自民党も、尖閣諸島の領土保全策を怠ってきた過去を謙虚に反省すべきである」と結んでいる。しかし自民党と民主党では、責任の重さと言う点では、全く比べ物にならない。2009年に民主党が政権に就いてから、三年も経っていない。それまでの殆どの期間、村山内閣も含めて、政権を握っていたのは自民党である。1978年の日中平和友好条約から、政権交代まで三十年以上もあるのだ。
尖閣問題は自民党による無能外交の典型的な例であるが、それはもちろん外交に止まらない。今日の日本の顕著な没落は、自民党による長年にわたる無能政治・亡国政治の必然的な結果である。したがって現在の日本に何よりも必要なのは、自民党による亡国政治の歴史を、徹底して検証することである。それができなければ、日本の再生など望むべくもない。

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