- 2012年10月 7日 08:11
- 時評
日本政府の尖閣国有化を根拠として、9月11日から約一週間にわたって行われたシナ人による、反日・虐日行動は、一般に「反日デモ」などと呼ばれているが、それは実態・本質を理解しない、あまりにも間違ったネーミングである。日本人を襲撃して傷つけ、日本企業の工場を焼き討ちし、商業施設で略奪を尽くしたのであるから、明らかにテロというべきものである。しかも、民衆の行動でもなんでもなく、国家権力が企画・演出・実施したのであるから、国家権力による虐日テロと呼ばなければならない。
この国家テロによって、シナ人が企んだのは何なのか。それは単なる尖閣諸島という小島の領有問題などではない。日本人に対する精神的侵略を完璧なものにすることである。歴史問題を利用した、日本人に対する精神侵略は、2007年に安倍首相が靖国参拝を断念した時点で、一応の完成を見ていた。精神侵略の方法にはもう一つあり、それは直接的な暴力を使う方法である。これについては先稿でも触れたが、02年の瀋陽領事館事件、03年の西安寸劇事件、04年サッカーアジアカップ事件、そして05年の官制虐日暴動、08年の長野騒乱事件、10年の尖閣衝突、フジタ社員拉致監禁、本年の日本大使襲撃事件と、着々と実績を積み重ねて、今回の国家テロに至るわけである。
この間、日本はやられるばかりで、まともな反撃は全くしてこなかった。したがってシナ人はそれに味を占めて、対日攻撃はひたすらエスカレートの一途を辿ってきた。その意味で、シナ人の日本に対する精神的侵略は、一般社会、特に学校における「いじめ」に極めてよく似ている。そのメカニズムは、全く同一だといえるだろう。いまた、いじめによる自殺が話題になっているが、いじめられる側が自殺に追い込まれるのは、それなりの自尊心を持っているからである。自尊心を持っているから、その屈辱に耐えきれず、自ら命を絶つのである。自尊心がなければ、恥辱・屈辱も感じずに、へらへらと生きて行くであろう。
今の日本人は、まさにこの屈辱すら感じない、究極の「いじめられっ子」と全く同じである。日本人というだけで暴力を振るわれ、日本企業というだけで焼き討ち・略奪にも見舞われる。すさまじいばかりの民族差別であり、恐るべきレイシズムである。日本人は膨大な経済援助をし、日本企業は中共の経済成長に懸命に貢献してきた。ところがシナ人は日本人の善意を真っ向から踏みにじるのである。しかし、このシナ人による日本を標的とした、悪逆非道な行為に対して、日本人の中から怒りの声が、殆ど湧き上がってこない。現在の日本人は、シナ人にこれだけ迫害され、誇りを傷つけられても、まだ目が覚めないほどの、劣等民族になっているのである。屈辱を屈辱と認識する、知力も感性もないのだ。世界広しといえども、これほど民族意識を喪失した民族はいないのではないか。弱小民族であっても、現在の日本人に比較すれば、はるかに民族意識を有しているだろう。
この、日本人がいくら暴力を振るわれても、全く怒らないということこそ、今回の事件の核心である。これは日本民族が、民族として当然もっているべきナショナリズム、民族意識・大和魂を完璧に喪失して、シナ人の精神奴隷に成り果てたことを意味している。これは、少しも大げさではなく、日本の歴史上最大の危機である。しかもそれを日本人が全く自覚していないという点において、より一層の絶対的危機である。要するに日本のナショナリズム・民族意識は、すでに死滅状態にあると、判断せざるを得ない。死滅した民族意識の再生は、容易のことではないだろう。この凄まじいまでに愚かしい現実を直視しない限り、何事も始まらない。
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