- 2012年10月19日 13:18
- 時評
今回の中共における虐日国家テロに関連して、少し前になるが、作家・村上春樹が朝日新聞に一文を寄せたことが話題になった。それは9月28日の朝刊一面トップで、「魂の道筋 塞いではならない」と題して報じられ、寄稿文そのものは、3面に全文が掲載されている。
それは日本の書籍が中共の書店から追放されたことに、大きなショックを受けて書かれたものらしい。文化の交流とは魂の行き来する道筋であるであり、長年にわたって苦労して築き上げてきたものだから、一時の感情に駆られて、それを閉ざしてはならないというのである。
この中共側が一方的にやっている、野蛮な書籍の追放について、村上は次のように言う。「中国の書店で日本人著者の書物が引き揚げられたことについて、僕は意見を述べる立場にない。それはあくまで中国の国内問題である。一人の著者としてきわめて残念には思うが、それについてはどうすることもできない。僕に今ここではっきり言えるのは、そのような中国の行動に対して、どうか報復的行動をとらないでいただきたいということだけだ。もしそんなことをすれば、それは我々の問題となって、我々自身に跳ね返ってくるだろう。」シナ人がいくら野蛮な書籍追放をやっても、それは中共の国内問題だから、抗議はできないというのである。それに反して、日本人に対しては報復してはいけないと、お説教を垂れるのである。なんとシナ人に対しては驚くほど卑屈で、日本人に対しては極めて傲慢な精神構造の持ち主であることか。
村上は自分の本が売れなくなるのを危惧して、こんな文章を書いたのかもしれないが、書籍の追放問題が起こる前に、シナ人が日本人に直接的暴力を振るい、日本企業を放火・略奪する、虐日国家テロが起こっているのである。書籍の追放などあくまでその余波に過ぎない。しかし村上は巨大な暴力事件については、何も言わない。本質的問題には眼をふさぎ、枝葉末節の問題にこだわっているのである。村上は、日本人への直接的暴力や、日本企業への放火・略奪も、中共の国内問題であるから、日本人が抗議してはいけないというのであろうか。また日本人はこれだけシナ人に暴力を振るわれても、それに対する報復事件など一つも起こっていない。村上の論法に従えば、この方が書籍追放への報復をしないことより、はるかにはるかに賞賛されるべきことであろう。
また村上は、尖閣をめぐる領土問題から発したからということで、ヒトラーを引き合いに出してくる。日本と中共と、どっちもどっちと言いたいらしいのだが、ヒトラーと極めて類似しているのは、明らかに中共のほうだろう。なぜなら、中共は現役バリバリの侵略国家であるし、民族絶滅政策を実践しているからである。確か、村上はイスラエルから文学賞をもらった時に、あえてイスラエルを批判したことがあったと記憶する。しかし村上が、チベット問題など中共の民族問題で中共を批判したとは、寡聞にして聞いたことがない。
また村上はこの文章で、尖閣をめぐる日中の感情的対立を、安酒に酔っていると表現しているが、酔っているのは村上のほうである。では何に酔っているのか。それは偽善に酔っているのである。しかもその偽善は、日本を貶めることによって自分を美化する、偽善の中でも最悪の、私が「虐日偽善」と呼んでいるものである。したがって本当は、偽善に酔っているというより、偽善に狂っていると言ったほうが正しいだろう。村上は、「安酒の酔いはいつか覚める」と言っているが、偽善は容易に治らない。なぜなら偽善は精神の麻薬だからである。村上やその先輩大江健三郎のような虐日偽善者が、朝日・岩波のような虐日偽善組織が、大きな顔をして跳梁跋扈している日本の現実こそ、世界の中でも比類のない不幸であり災厄である。
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