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愚劣な現代史の象徴としての成田空港

  • Posted by: 中の人
  • 2013年5月21日 23:29
  • 時評

 

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成田空港がこの5月20日で、開港35周年を迎えた。実は1978年3月28日に開港を予定していたのだが、直前の3月26日に、過激派・極左暴徒が管制塔に殴り込み、管制機器を徹底的に破壊したために、開港が遅れたのである。
本年5月19日の朝日新聞は、「開港は難産だった。地元農民らが反対運動を繰り広げ、78年3月には過激派が航空管制塔を占拠」などと、実に簡略に述べているだけであるが、この成田空港の建設をめぐる紛争こそ、日本がいかに愚劣な国家・社会になったかを、雄弁に物語る重大事件なのである。

 

5月20日の産経新聞は、さすがに建設の歴史と現実の問題点について、朝日新聞よりはるかにしっかりと報じている。例えば年表の中では、71年9月16日に「東峰十字路事件で警官三人死亡」と出ている。これは代執行の際の衝突で、極左暴徒が神奈川県警の機動隊員三人を殺害したものである。また現在でも未買収地が存在し、開港35年になるのに当初の計画通りに完成していないこと、現在でも警備のために膨大な経費が費やされていることなどが指摘されている。
ではなぜ朝日新聞は、産経のように現実の問題点を追及しないのであろうか。それは朝日自身が、かつての空港建設反対運動において、凄まじい応援団であったからに違いない。現在の不完全で異常な成田空港が出現するために、朝日新聞は絶大な貢献をしているわけである。
若い人々はほとんど知らないと思うので、この成田空港建設問題の歴史を、簡単に振り返っておこう。1966年7月、成田市の三里塚に新東京国際空港を建設することが、閣議決定された。東京オリンピックの二年後のことである。この建設には一部の農民が強硬に反対し、当時の大学紛争で活動していた、反日共系の学生が大挙して応援した。そのために機動隊との間に、何度も大規模な武力衝突を繰り返したのである。神奈川県警警察官の死亡も、その中で起きたことであった。
マスコミはこの紛争に際して、農民側に極めて同情的な報道に終始した。それは、純朴な町民や農民が悪代官や悪徳商人に土地を取られるのに抵抗する、時代劇の勧善懲悪ドラマのような報道振りであったと言えば、もっとも分かりやすいであろう。大学紛争で学生の応援団であった朝日新聞は、成田紛争でももちろん学生を応援した。それは「大学闘争」・「成田闘争」という、一方の側に立った用語を、臆面もなく使っていたことにも、端的に表れている。
政治家でも社会党などは、極めて熱心に反対したし、一般知識人などもそれに加わった。その理由は農民が可哀そうだというだけでなく、成田空港は軍事空港になるからと言う理由も、大真面目に主張された。私の記憶に間違いなければ、寅さん映画の山田洋次監督が、テレビでそう言っていたことがあった。
反対運動にも拘わらず、空港は次第に建設されていったが、なかなか完成して開港するまでには至らなかった。その原因は政府自民党、すなわち当時の三木武夫首相にそれを断行する勇気がなかったからである。次の福田赳夫首相になって、ようやく開港に踏み切ったわけである。成田開港は福田首相の業績の一つであるといえる。ついでに言っておくと、福田首相の最大の失政は、同じ年1978年の「日中平和友好条約」の調印である。
35年前に開港したにも拘わらず、その後も反対運動は執拗に継続し、空港本体だけでなく、成田空港関係者個人に対する、悪質極まりない放火テロまでが、夥しく凶行された。そのために膨大な警備費用が必要となり、前記の産経新聞によると、現在でも年間で73億円もかかっているという。日本政府は開港後も、穏便な対応を続けてきたために、これも産経が報じたように、現在でも当初の計画通りの完成に至っていない。さらに成田紛争のために、東アジアにおけるハブ空港の地位を、日本はみすみす失うことになった。
成田空港は不便だと言われているが、それはわざわざ努力して不便な空港にしてしまったのである。当初計画では、成田新幹線が構想されていて、空港の地下に駅が整備されていた。東京側の駅の用地としては、現在の東京駅の京葉線ホームの場所が用意されていた。その成田新幹線を潰してしまったのである。こんな事実も今ではすっかり忘れ去られている。
成田空港紛争は、そのほかにも巨大な害悪を日本社会に与えた。例えば関西空港の建設に当たっては、反対運動を恐れるあまり、海上空港は必要以上に沖合に建設され、その埋め立てに莫大は費用がかかった。それだけでなく、沈んでゆく軟弱地盤に対応する特殊工法で建物が作られ、ここでも本来不要なムダ金が使われなければならなかった。建設会社はそれで大いに儲けたのかもしれないが、国民の税金が浪費されたのである。
成田紛争は、その他の公共事業の建設にも、多大な悪影響を与えた。少しでも反対運動があると、政治家がそれに怯えてしまって、必要なものであっても、なかなか建設できなくなってしまったのである。その典型が首都圏の環状高速道路であって、計画から何十年も経つのに、いまだに完成していない。逆に反対のない田舎の高速道路はどんどん作られるから、あまり車の通らない高速道路ができてしまっている。つまり財政赤字が積み上がった割には、必要なインフラが整備されていないわけである。
過去の失敗は失敗で仕方がない。問題は失敗してもその貴重な経験をキチンと反省せず、過去の失敗が少しも生かされないことである。特に朝日のような、失敗を生み出した張本人ほど、それを必死に隠している。戦後日本の愚劣な現代史の構造は、朝日や左翼が騒ぎ、自民党政権がそれに振り回されていったところにある。歴史認識問題では、両者の間に外国勢力が介入してくるが、その構造は基本的に同一である。何度でも言うようだが、日本が真に再生するためには、没落の現代史の徹底した見直しが、絶対に必要なのである。

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