- 2009年12月28日 04:25
- 時評
正確な意味での最高実力者とは言えないかもしれないが、影の実力者としては、田中角栄が最も顕著なものであろう。田中は1972年総理大臣となり、直ちに中共を訪問して、日中国交を成立させた。この拙速外交が、今日の日本没落の端緒となったことは間違いない。しかしロッキード問題が起こって、二年半ほどで総理を退いた。さらにその二年後には逮捕され、有罪判決を受ける。しかしその後も政治的実力は維持し、仲の悪かった三木・福田時代はともかく、以後の大平・鈴木・中曽根時代には、大きな影響力を振るった。長期に亘った中曽根時代は、田中曽根とも表現されるほどである。しかしあまりにも自己の派閥を押さえ込んだために、子分である竹下登に裏切られ、脳梗塞を発病する。
本物の最高実力者の例としては、外国の場合であるが、中共の鄧小平が有名である。鄧は何度も失脚を乗り越えて復活し、華国鋒時代の1978年に最高実力者になったようである。胡耀邦が81年に党主席、翌年に党総書記として表面的な統治者になったが、実権は鄧が握り続けていた。87年には胡を解任して趙紫陽をすえたが、89年の天安門事件で趙も解任して、江沢民を総書記とした。鄧は97年に死去するが、93年に江が国家主席になるころまでは、最高実力者であったらしい。鄧小平は良くも悪くも、今日の中共を作った、偉大な政治家であったことは間違いない。
小沢一郎は田中角栄を手本としたと言われるが、もともと体質的に共通するものがあったのであろう。同じ体質の者同志は、反発する場合もあるが、強く惹かれあう場合もあるものである。田中と小沢と共通するのは、極めて強度の権力欲と金銭欲とである。ただし田中の場合は、遅れた裏日本の人々の暮らしを楽にするために権力を握り、権力を振るうために金銭を利用するという、それなりの合理性が感じられるが、小沢の場合はひたすら権力欲に集中している印象が強い。それが記者会見などに現れる、傲慢不遜な態度となるのであろう。要するに小沢は、権力を握ること、具体的には選挙に勝つこと自体を目的とする、権力の亡者であると言わざるを得ない。なお、田中と小沢が、シナ・中共と妙に馬が合うのも、この権力欲・金銭欲を追求する体質と関係していると考えるべきである。
権力欲に集中する小沢は、最近では更に暴走気味である。最高実力者は、本来陰に隠れて表に出てこないものだが、小沢は最高権力者であることを、満天下にひけらかしたくて、仕方がないらしい。それが前稿でも述べた、大訪中団や天皇会見問題になったわけである。しかし小沢の周囲にいる関係者も実にだらしがない。最高権力者に唯々諾々と従うだけなのだ。総理大臣鳩山由紀夫はもちろん、威勢が良かった亀井静香も、小沢の前では文字通り静かになってしまった。以前は犬猿の仲といわれた野中広務も、小沢に膝を屈した。そして同じく腑甲斐ないのがマスコミである。日本のマスコミは、強く出るものに対しては、まことに弱いのだ。戦争中の軍部、戦後のアメリカ占領軍、そして現在の中共と、強いものには常にあっけなく隷属している。
国内的には傲岸不遜の小沢も、対外的には、とくにシナ人・朝鮮人に対しては、極めて卑屈である。日本での仏頂面が、中共・韓国に行くと、不気味なまでの愛想笑いになる。幾ら国内で威張ってみても、外に出ればたちまち卑小な正体がばれてしまうのだ。小沢一郎は、まさに裸の王様状態で、誰も本当のことを言わないが、客観的に見れば、権力亡者のピエロに過ぎない。最高実力者といっても、鄧小平とは全く逆である。つまり我が日本は、権力亡者のピエロが最高実力者となり、それが外国に操られる、とてつもなく駄目な国になってしまったのである。
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