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2010年5月 Archive

代替フロン報道の奇々怪々

  • Posted by: 中の人
  • 2010年5月31日 22:44
  • 時評
100531.jpg 少し前になるが、5月18日の日本経済新聞と、5月20日の毎日新聞に、代替フロンの問題が報じられている。国立環境研究所などの調査によって、代替フロンを発生させている国別の割合が、初めて分かり、17日に公表されたと言うものである。
 代替フロンとは、オゾン層を破壊すると言って、以前しきりに批判されたフロン(これを「特定フロン」と言うようだ)に代わって、冷媒などに使われるようになった物質なのだが、これが二酸化炭素以上に地球の温暖化を促進するとして、すでに京都議定書で削減の対象になっているらしい。毎日新聞によると、代替フロンの一種であるHFC(ハイドロフルオロカーボン)23は、二酸化炭素の1万4800倍の温室効果があり、PFC(パーフルオロカーボン)318は、約1万倍の温室効果があるのだそうである。

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政治の再生のためには自民党時代の検証が是非とも必要だ

  • Posted by: 中の人
  • 2010年5月27日 22:14
  • 時評
100527.jpg 5月22日、産経新聞の連載コラム「新聞に喝!」で、ブリティッシュ・コロンビア大学名誉教授の永谷敬三という人が、「求む!楽しいニュース」と題して書いている。その書き出しの部分が、なかなか興味深い。いわく「もう四半世紀あまり、日本から楽しいニュースがやってきた記憶がない。『失われた10年』は今や『失われた20年』になり、なお更新中である。まるで国全体が長期的鬱病に侵された感がある。政治家も財界人もひたすらこの病の慢性化に務めている」。この見方に私は大いに賛成である。筆者はカナダのバンクーバーに在住しているとのことで、外部からだと、比較的客観的に日本を見ることが出来るようである。
 ところで「失われた10年」とは、バブル崩壊後の10年間、すなわち1990年代のことを言うが、永谷氏は少し前から、「もう四半世紀あまり」と言っていることが重要であろう。今から四半世紀、25年前と言えば1985年である。この年に起った日本の運命にかかわる重要事件は、例のプラザ合意である。これによって円は急速に騰貴してバブルが発生し、ついで崩壊した。それでも90年代前半は経済成長していたが、半ばから以後現在まで十数年間に渡って、日本の経済は全く成長していない。これはすべて、アメリカの経済攻撃に対して、日本の政治家・官僚が全く無能であり、マスコミや言論人もその実態を隠蔽してきたからである。

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反核思想という偽善

『月刊日本』2010年6月号 羅針盤 2010年5月22日

100524.jpg 五月六日、原子力発電の高速増殖炉「もんじゅ」の運転が再開された。それは今から十四年以上以前、一九九五年の十二月八日に大量のナトリウム漏れ事故を起こして停止していたものが、ようやく再開されたのである。いくら我が国が世界で唯一の被爆国であるとはいえ、日本人の、と言うよりマスコミに誘導された一部日本人の、非科学的な核アレルギーのひどさには、つくづくあきれてしまう。そのために、再開までにこれほど長期の時間が、費やされたのであろう。
 ただし、マスコミは今回も難くせをつけ、金がかかりすぎる、成功するかどうか不明だ、うまくいっても実用化は四十年後だ、などと言っているが、やって見なければわからないのであり、愚かしい子供手当てで浪費するより、よっぽどましであろう。また高速増殖炉をやるのは、日本ばかりではない。フランスやロシアのみならず、後発の中共やインドすら、やろうとしているのである。
 実際には、日本の原子力発電は、極めて安全なものなのである。今までに日本の原子力発電には、それなりの歴史があるが、その間の事故による死者は、僅かに二人に過ぎない。その事故は、一九九九年九月三十日に、茨城県の東海村で起きた。株式会社JCOというウラン加工施設で、ウラン燃料を作っているうちに、核分裂反応が始まってしまった。そのために数百人が被爆し、直接作業をしていた人間が重態となり、一人はその年の十二月二十一日に、もう一人は翌年の四月二十七日に亡くなった。

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二回の大戦、フランス・イギリスの戦死者数の意味

  • Posted by: 中の人
  • 2010年5月20日 14:46
  • 時評
100520.jpg 前稿「ナチスドイツと戦おうとしなかったイギリス・フランス」で、ソ連の戦死者数を2700万と記したことについて、読者から違うのではないかとのご注意を受けた。これはご指摘が正しく、やはりあまりにも誇大な数字であり、私の勘違いなので訂正する。なおこの数字は、5月12日の産経新聞国際面のコラム、「赤の広場で」(遠藤良介記者)に、「旧ソ連の対独戦での犠牲者は2700万人ともいわれ」と出てくるので、ロシアでは流布しているのかも知れない。インターネットなどで簡単に調べて見ると、ソ連の戦死者数としては、600万とか1100万といった数字が示されている。
 ところで、第二次世界大戦の犠牲者数において、イギリスとフランスの犠牲者が案外少ないことは、余り注意されていない事実であると思う。それはとくに、第一次世界大戦の場合と比較してみると分かりやすい。第一次世界大戦と第二次世界大戦とは、部外者である日本人には、ピントこないかも知れないが、ヨーロッパの歴史で考えてみると、極めて密接な関係がある。まずこの二つの大戦の間は、約20年の間隔しかない。第一次大戦は1914年に始まって1918年に終わり、翌年19年にヴェルサイユ講和会議が開催された。それから20年後、1939年に第二次世界大戦は始まっている。第二次大戦後、もう65年も経ってしまったが、20年といえば日本では平成の御世、世界ではいわゆる冷戦崩壊後の期間に過ぎない。

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ナチスドイツと戦おうとしなかったイギリス・フランス

  • Posted by: 中の人
  • 2010年5月16日 12:57
  • 時評
100516.jpg 前回、5月9日に行われた、ロシアの対独戦勝65周年の式典について採り上げて、ロシアの歴史の歪曲・偽造について述べた。この第二次大戦の問題は、日本の歴史問題にも関連するから、さらに述べてみたい。私も、ナチスドイツを打倒するために、ロシア人が大きな犠牲を払ったこと自体を否定するものではない。そもそも、今までソ連のナチスドイツ打倒における貢献は、過小評価されて来たと言っても良い。それは冷戦時代つまり東西対立時代には、ソ連の業績を欧米諸国が積極的に評価しなかったからである。
 したがって、ソ連が各国の中で最大の、2700万人という犠牲者を出したというのも、それほどウソではないだろう。そしてソ連がいなければ、イギリス・フランスだけではもちろん、それにアメリカが味方しても、決してナチスドイツに勝つことはできなかったに違いない。その意味でよく言われる、第二次大戦はファシズムに対する、自由主義・民主主義の勝利だとの評価は、明らかにウソである。一方の主役ソ連は、共産主義国家、つまり左翼全体主義国家だったのであり、自由なき共産主義国家であったからこそ、膨大な犠牲を払うことが可能であったのである。
 今回の式典の最大の問題は、大戦の初期の段階でソ連はナチスドイツと完全に結託し、東欧を侵略してベルサイユ体制を破壊したのであり、その点でナチスドイツと全くの同罪であると言う、紛れもない歴史的事実を、ロシアが懸命に隠蔽したことである。そしてその歴史事実を歪曲する目的で開催された一大イベントに、欧米諸国、アメリカ・イギリス・フランスが、やすやすと参加してしまったことである。ただし、欧米諸国が軍隊まで参加したことについては、その背景として、ロシアに対して欧米諸国側に一定の弱みがあったからではないかと、私は推測する。一つは先に述べた、これまでナチスドイツ打倒におけるソ連の功績を、正当に評価してこなかったことである。そしてもう一つが、大戦の初期段階における、欧米諸国とくにイギリス・フランスがとった、実際の行動にあるのではないかと思われる。

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ロシアの対独戦勝65周年式典の大謀略が、今度は日本を直撃する

  • Posted by: 中の人
  • 2010年5月13日 07:38
  • 時評
100513.jpg 5月9日、第二次大戦の対ドイツ勝利から65周年を記念する、一大イベントがロシアで開催された。5月11日の新聞各紙に、その様子が報じられている。モスクワでは赤の広場で、一万人以上の大軍事パレードが行われ、これはソ連崩壊後の最大規模だったという。全国の約70都市でも記念行事があり、19都市で軍事パレードがあった。実際には5月7日がドイツが降伏した日であるが、ロシアでは5月9日を戦勝記念日にしているわけである。今回の対独戦勝記念行事は、日本にも今後甚大な悪影響を与える可能性が大であるが、日本では全く注意されていないのは、驚くべき鈍感さだと言うしかない。
 赤の広場の軍事パレードには、ロシア軍だけではなく、旧ソ連の独立国家共同体の軍隊が参加し、ともにナチスと戦ったと言うことで、アメリカ・イギリス・フランスの軍も、初めて参加したのは、極めて注意すべきである。さらにロシアとはカチンの森事件という歴史的因縁のある、ポーランドの軍隊まで、65年ぶりに参加したと言う。

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あっと言う間に消えて無くなった米中対立

  • Posted by: 中の人
  • 2010年5月10日 18:50
  • 時評

20100510.jpg 今から僅かに二三ヶ月以前、つまり2月・3月の頃には、しきりに米中の対立ということが言われた。例えば、2月6日の産経新聞の一面トップの記事には、リードに「協調路線を掲げるオバマ政権の下で静穏に推移してきた米中関係が、にわかに緊張を増してきた。両国は今や、気候変動、グーグル、台湾・チベット、人民元、イランの5つの戦線で角突き合わせ出している。対立は国益を超え、理念の領域にまで広がっており、激化しそうな雲行きだ」と述べている。 確かにダライ・ラマは2月18日にオバマ大統領と会見したし、グーグルは3月22日に中共から撤退した。台湾への武器売却も行われるのだろう。しかしそれによって、米中の対立が激化したなどということは、現在全く起っていない。気候変動問題については良く分からないが、米議会が熱心だった為替操作国認定も先送りされたし、イラン問題でも協調しようとしている。私は従来から、米中は結託していると考えていたから、別に不思議とも何とも思わないが、米中対立をしきりに強調していた人々の、現在における見解を聞いてみたいものである。

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言論による巨大テロ組織としての朝日新聞

  • Posted by: 中の人
  • 2010年5月 6日 02:22
  • 時評
asahi001.jpg

 いまから23年前の1987年5月3日、西宮市の朝日新聞阪神支局で、小尻知博という若い記者が何者かに殺された。この事件は犯人が不明のままで解決していないが、朝日新聞は毎年必ずこの事件を回顧する報道を行っている。テロで殺された人間は、朝日の記者ばかりではないのだが、それらの事件を回顧する報道が殆ど行われていないのは、実に奇妙である。いくら小尻記者は身内だと言っても、テロによる暴力を憎むのなら、他の事件も積極的に回顧すべきではないのか。

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日米安保条約では防げないシナ人による人口侵略という直接侵略

  • Posted by: 中の人
  • 2010年5月 2日 17:09
  • 時評
100425.jpg 今回は、別に動画の映像もあるが、4月25日の池袋街宣で話したことを、重要な内容であるので、文章としてもまとめておきたい。
 最近いわゆる保守の人々の中でも、外国人参政権問題の真の危険性、そしてその問題の中核がシナ人であることが、ようやく理解されるようになってきた。私は今から5年前に、「外国人参政権問題の本命はシナ人だ」と題する文章を、『国民新聞』(2005年4月)に発表したことがあるが、その当時は全く反応が無かった。
 ただし保守なる人々のこの問題に対する理解は、まだまだ不十分だと私には思われる。例えば、先日別冊宝島として出版された、『外国人参政権で日本がなくなる日』という小冊子で、田母神俊雄さんが「外国人参政権法案は、我が国に対する間接侵略の第2段階」と言い、また「現在は情報戦が中心の、間接侵略の時代」とも言っている。このような現状認識は、果して正しいのだろうか。

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